まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

その瞬間

2014年11月29日 20時16分28秒 | 日々雑感
同じことを、ど忘れする癖がある。

前にも思い出せなくてやっと苦労して思い出したというのに、また忘れてしまうのだ。

あんなに苦労して思い出したのだから、2度と忘れないくらいに覚えてもよさそうなものなのに。

神野美伽の名前がそうだ。

顔ははっきり思い浮かべているのに、坂本冬美の名前が思い浮かんだ途端に

絶望的に神野美伽が思い出せなくなる。

もちろん、坂本冬美でないことはわかっているのだ。

彼女の歌った美空ひばりの歌が絶品だったことなど思い出しても

名前は一向に思い出せない。

まったくすまない気持ちになる。

映画の題名なども、1度思い出せないとなったらとことん思い出せなくなる。

先日はまず、マグニートという主人公ではない人物の名前を思い出した。

なんだっけ、題名。

ファンタスティックフォー・・・じゃないんだよ。

と考えた時点でもう正解が遠くなったことが分かる。

こういうとき、インターネットで調べればすぐに解決することは分かっている。

だが意地でも調べない。

分からないまま放っておく。

するとしばらくして、さっき思い出せなかったのはなんだったっけ?ということになり

まったく厄介なことになったりする。

何かを思い出せなかったことを忘れてしまうこともある。

ところが数時間、長いときは数日後に

ふと、正解を思い出すことがあるのだ。

その瞬間のために正解を調べずに悶々とするほうを選ぶ。

この映画の題名の時はわりと早かった。

ファンタスティック・フォーを忘れるため

題名を思い出すことを中断してご飯など食べていた時に

主人公の名を思い出した。

さっきまで、どう頑張っても顔しか思い出せなかったのに。

あと、手から長い爪のようなものがビュッと出てくるところしか。

ウルバリン、かっこよかったな。

あの彼女とは結局どうなったんだっけ。

自分の見たのが1なのか2なのか、1しか見てないのかもよく思い出せない。

そしてまたしばらく中断してテレビを見ていた時に不意に

X-MEN

思い出した。

何かを成し遂げた後のような達成感が脳内を駆け巡り

記憶との戦いは幕を閉じた。

「おみやげ」はいっぱいあります

2014年11月18日 19時26分40秒 | 日々雑感
図書館から借りたい本の予約がインターネットでできるようになってどれくらいになるのだろう。

便利すぎて、カウンターで手続きしていたのが大昔のように感じる。

著者名や題名からはもちろん、内容検索もできるので

かなり曖昧な探し方でも、案外と目的の本が見付かる。

ときどき、探していない本を検索してみることがある。

例えば「犬」と「猫」ではどちらの本が多いかとか

「愛」や「憎しみ」で検索するとどんな本があるのか、とか。

そして(こんな題名の本あるのか?)という検索をしてみる。

先日は「もみあげ」で検索してみた。

さすがに題名にはない。

しかし内容検索すると2件あった。

予約はしなかったが、興味深い結果だった。


ハグ?

2014年11月13日 11時18分22秒 | テレビの話
ドラマの中で、断絶していた親子が和解したり再会したりといった場面で気になることがある。

それは親子が抱擁することだ。

設定年齢50代の父親と20代の娘が、40代の母親と中学生の息子が

泣きながら抱擁するシーンではうっかりもらい泣きしそうになりつつも

(抱き合うか?)と毎度疑問に思うのだ。

異性の親子のみならず、同性であったとしても

思春期以降、親と抱き合ったことのある人は少ないのではないだろうか。

もちろん、思わず抱き合うような劇的な目に遭っていないというせいもあるけれど。

で、30年前くらいの時代劇。

やっぱり最後は涙の抱擁なのだ。

父の無実が証明されては抱き合って泣き

生き別れの母と巡り合っては抱き合って泣く。

たまに、血のつながらない父娘というパターンもあり

そこ、遠慮してもいいんじゃない?と言いたくなる。

それでもたとえ血がつながらずとも、親子であればこそ

思いっきり抱き合って泣くのだ。

元々、抱擁の習慣はあまり日本に根付いてないと思うのだけど。

そう思うのはわたしだけで、昔から、そして今も

日本のあちこちで親子が抱擁したりしているのかもしれない。

どんどん早くなる

2014年11月09日 18時23分08秒 | 日々雑感
待ち合わせの時、相手を待たせるのが嫌な人と、待たせても平気な人がいる。

待たせるのが嫌な人は、たいてい他人の時間のルーズさにも厳しいし

待たせるのが平気な人は、待たせられても気にしない人が多いようだ。

わたしは待たせるのが嫌なので、少し早めに行くタイプ。

昔まだ、携帯電話がこの世にない頃、2時間近く待たせられて絶交した苦い経験から

待つのもほどほどにしようと考えていたけれど、

昨今、遅れるときは連絡が入るし、どうしたのかと思えばこちらから電話もできるのだから

「待ちぼうけ」や「すれ違い」といったことはほとんどなくなった。

むしろ、待たせるのが嫌な人同士の待ち合わせのが厄介だ。

例えばわたしが、「迎えに来てもらうのだから少し早めに待っていよう」と考える。

しかし迎えに来る人は「XXさんは早めに来るタイプだから、それより少し早く待っていよう」と考える。

結果、待ち合わせ時間より双方が10分ずつ早く来ていたりする。

そのときも待たせたほうが恐縮し、次の機会には

この前、10分前に行って待たせちゃったから・・・などと考えて

さらに早く行くようになるから、全くもう。

せっかちという性分もあるのだろうけど、両親もやたらと早く用意したがるタイプ。

10時に出れば余裕で間に合う、というときは

「じゃあ、ちょっと余裕見て9時半ね!」

なんでだ。

父親が車で送ってくれるときも、頼んだ時間より15分も前からエンジンをかけ始めるので

近所迷惑だし、早く着いてしまうし、最近は出たい時間より遅めに言うことにしている。

それでちょうどよいくらい。

かと思えば、つわものはわたしの妹である。

「13時頃」と約束したら大体14時。

頃、の概念がどうかしてる。

なので最近は、言われた時間からほぼ1時間~1時間半を目安に待っている。

そうするとどんぴしゃり。

どこかラテンの国の待ち合わせを思わせる感覚に

こういう風にわたしもなりたい、と本気で思うのだ。