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まりはなの、のんきでありたい日々

地方都市で、清貧生活  

優先

2025年08月09日 13時34分18秒 | 日々雑感
レデイィファースト、という言葉はよく知られているけれど日本では外国ほど優先されている印象はない。

外国でも今は、どうなんだろう。

都民ファーストという言葉を耳にしたときの違和感は何だったんだろう。

自分が都民じゃないから疎外されたような感覚だったんだろうか。

わたしの家の近所にもいつの間にか外国籍と思しき人たちが増えた。

朝早く、あるいは夜遅くに自転車で帰ってくるのは工場に勤めているのだろうか。

夜中に大きな声で歩いていたりすると怖いなと思ったりする。

何をされるわけではないのだが。

これは差別的な感情か?と思ったが日本の高校生が騒ぎながら群れて歩いていても怖いと思うので

単に群れて大声の人が怖いだけなのかも。

隣近所の人と話をしていたとき見知らぬ外国人が一人、わたし達の前を通った。

わたしだけだったら特に声をかけずにやり過ごしたと思う。

が、近所の人は「こんにちは」と声をかけた。

すると彼は笑顔で「こんにちは」と返した。

挨拶をするからいい人だと言うつもりはない。

挨拶した彼女を偉いなーと思ったが後で

「この辺りもずいぶん外国の人増えて、なんか怖いですね」と言っていた。

たぶん、わたし達は外国人だからと言うより見知らぬ人を怖がるのだと思う。

それはともかく。

外国人労働者が日本人の仕事を取っているという意見の是非をどうこう言えるほど実体に詳しくない。

が、外国の人が勝手にやって来て仕事をしているわけではないだろう。

日本人のやりたがらない仕事、例えば肉体労働、危険な仕事を日本人なら引き受けない賃金で

外国人に下請けさせている日本人がいることについて、日本人ファーストを主張する人たちはどう考えているのだろう。

バブルの頃に出稼ぎに来ていた大勢のイラン人は誰に雇われてどんな仕事をしていたのだろう。

日本人ファーストと主張する人たちは、かつて嫁不足の農村に

アジアの国々から日本語の話せない女性が嫁いできて、労働力を担い地域に馴染めず苦労した人たちがいたことを

どう考えているのだろう。

日本の中では日本人が優先と主張するなら、外国で暮らすときは差別や待遇の悪さを受け入れるのだろうか。

我々がなんらかの理由で日本に暮らせなくなったときに外国で難民になる可能性はゼロなのだろうか。

わたしにも差別の感情はきっとある。

外国の人を避けたり恐れる気持ちもある。

見た目の違い、言葉の違い、表情の違い、習慣の違い。

でもそれは日本人同士にもある軋轢だ。

日本人同士でも思想の違いでもめている人々が大勢いる。

どうして違う考えを持つか、対話をせずに対立するのは悲しいことではないだろうか。

誰かを優先する社会では、いつか自分が優先される側ではなくなることだってあるだろう。

平等や公平を口にするのは簡単で、きれい事だと言われるだろう。

だが、平等でも公平でもないことを知っているからこそ、きれい事を捨ててはいけないのだ。

強さは人を引きつける。

映画のアクションヒーローも、アニメのバトルヒーローも。

爽快な活躍と華麗な暴力にわたし達はエキサイトする。

フィクションに魅了されるのは良いけれど、現実を強さだけで解決することは出来ない。

強い言葉で人を引きつけるだけではなくてその言葉で対話をして欲しい。

違う意見の人を排除せずに。







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少子化の原因・・・

2025年07月24日 21時30分35秒 | 日々雑感
タクシーに乗ると、なぜか運転手さんと少子化についての話題になることがある。

60代~70代の彼らは大体、同じようなことを言う。

「女の人が外で働くようになったから」

それは結果であって原因ではないと思うけど、それを原因と言いたいのならその自由は彼らにある。

「自分たちが子供の頃は、親父が稼いでお袋が家を守って」と言うけれど

どうしてそうじゃなくなったとか、そうしたくない人がなぜ出てきたかということにまでは言及しない。

家を守るのも立派な仕事だという考えを、わたしは否定しない。

でも、そんな立派な仕事がしたいから、生まれ変わったら女になりたいという男の人には一人も出会ったことがない。

わたしがリサーチした限り、100%の男性が、生まれ変わりがあるのならまた男に生まれたいと答えている。

少子化の原因のひとつはここにある気がするのだけど。


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尊ぶというのなら

2025年07月22日 16時52分27秒 | 日々雑感
テレビでインタビューを受けた20代と思しき女性が

「専業主婦になりたい。家事がしたいんですよ」と答えていた。

専業主婦になるのは自由だけど、もしかして家事の大変さを知らないのかも、と思った。

でもまあ、大変と思うかどうかはその人の感覚にもよるしなあ。

どこまで何をやるかで変わってくるしなあ。

あと、手際がいいかどうかでも違ってくるし。

専業主婦という選択がもっと尊ばれるべきだと主張する人がいるけれど

ならば専業主夫という選択も尊んで欲しい。

そして専業主婦も主夫も子供や家庭だけではなく、社会とつながりが常に持てる世の中であって欲しい。

専業主婦という選択が尊ばれるべき、と主張する本人は専業主婦ではないのになあと思ってしまう。

「誰に食わせてもらってんだ」なんてことを言われる人がいないように

経済的な自立が出来ないから我慢する人がいないように

離婚してキャリアがない状態で働き始めて苦労する人がいないようにできるのなら

専業主婦という選択もあるとは思うけれど

リスクが多すぎる。
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逆サバ

2025年06月03日 19時15分21秒 | 日々雑感
今の家に越してきて20年になるが、近所の何軒もの家のおじいさんが亡くなっているのに対し

亡くなったおばあさんはいない。

当時、今のわたしくらいだった人たちは、もちろん20年分年を取っているので

町内の高齢化が進んでいる。

もちろん自分も20歳年を取っているのだが

周りの高齢化が進んでいるので、いつまでも若手のつもりでいる。

若いときは実年齢より若く見られた人が多いと思う。

わたしもそうだったが、それは若かったからである。

今の年になってみると、年相応にしか見えず年齢を口にして驚かれることなどない。

だから自分から年を口にすることはない。

年を知られるのが嫌なのではなく、以前のように「え、もっと若く見える」と言われないことに

ほんのり落ち込む自分がバカみたいだから。

同世代や少し上の人でやたらと自分の年を口にする人は

若く見えるという自信がある人なのだろう。

大抵は年相応であるが。

そしてなぜか男女関係なく「自分はもう還暦だ」という人の年は58歳で

「もう古希だよ」という人は68歳。

「もう90歳だよ」という人の年は86歳くらいだ。

逆さば読み。



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人に歴史あり

2025年06月03日 15時14分44秒 | 日々雑感
仕事でもプライベートでも、70代~80代の人と接する機会が多くある。

高齢者、と一括りにしてしまうのは乱暴だなーと思うのは

同じ年代でも違う考えや生き方をしてきたことが分るからだ。

もっとも、若い人たちという一括りもありがちだし、

団塊、バブル世代、就職氷河期・・・

世代で括られるのは高齢者だけではない。

でも、どの世代だって一人一人は違うのだ。

当然だけれど。

なんでくどくどいうかと言えば、自戒を込めてなのだ。

「高齢者」と一括りにするのが乱暴だと分っていながら、してしまうことがあるからだ。

少し前に、それこそ腰が直角に曲がっている男性と仕事で接した。

年齢は80代半ば。

年寄り扱いを嫌う高齢者も多いので、プライドを傷つけるような話し方はしないように心がけている。

(たとえば幼児に対してのような声音で、ため口をきいたりしないように)

ただ、見た目から(弱々しいおじいさん)認識はしてしまっていた。

もちろん、顔にも態度にも出さないけれど。

話し始めたら手強いのだ。

眼光も舌鋒も鋭い。

馬鹿にされてたまるか、憐れまれてたまるか、騙されてたまるかという気迫を感じる。

馬鹿にするつもりも騙すつもりもないが、弱者としての年寄りと認識し、憐れむ気持ちはあったかも。

憐れみというか、お年寄りには親切にしなくちゃ、みたいな。

でも向こうは年寄りだから親切にされることなど望んでないのよな。

顧客として礼を持って接することを望んでいるのだ、きっと。

少し話していると彼の仕事の話から、昭和の映画スターの話になった。

赤木圭一郎とか近衛十四浪とか、わたしの生まれる前のスターである。

だが名前くらいは聞いたことがある。

月影兵庫とか鞍馬天狗とか耳にしたことがあるのは、時代劇の好きだった父から聞いたのだろうか。

それとも雑誌や新聞の懐かしい映画紹介?

BSの時代劇チャンネル?

赤木圭一郎が事故で亡くなったことは知っていたので、そのことを言うと

「よく知ってるなぁ」と喜んでいる。

その後はもう、勝新太郎や石原裕次郎の話などで盛り上がった。

わたしの記憶違いで津川雅彦のお父さんは映画監督ですよね?と言ったところ(実際は祖父)

「いや、俳優の澤村・・・」と正した。

すごい記憶力だ。

昔のことはよく覚えていて、今のことは忘れてしまうと言うけれど

それでも映画が好きだったという彼の過去は確実に今とつながっているのだ。

「十三人の刺客」のことを言うと

「そんな映画まで知ってるのか!」と驚いてくれたが

これはリメイクされているので知っている人は多いと思う。

もっともわたしは、リメイクの方は見ていない。

初見で「腰の曲がったおじいさん」と思った自分を少し恥じたよ。

仕方のないことだけど、話もせず深く関わらなければその人のことは見た目で判断するしかない。

人の本質なんて、話しても分らないことの方が多いし、本質を知る必要がないことの方が多いし。

わたしも、その辺を歩いているときは「さえないオバサン」と思われてるんだろうなあ。

いや、そんな認識さえされてないかもね。

でもまあ、これはひょっとして子供の頃に願った事なのかも知れないな

自信のなさと自意識過剰に苛まれていたわたしは、道端のおばあさんを見て

失礼にも(あのくらい年を取れば誰からの視線も気にすることなくなるのかも)と思ったものだ。

だとすれば路傍の石になれているのであれば、何よりではないか。

年を取って自分をちゃんと見てくれというのは老害だよ。

って、昔のわたしに怒られそうだ。










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重さ。

2025年05月17日 16時58分26秒 | 日々雑感
介護というか、介護補助も終わってみればあっという間で

大変だったようなそうでもなかったような。

もう少し寝付く期間が長ければ仕事をセーブする必要があったかも知れないし

在宅で看られない症状が出れば、医療施設や緩和ケアにお世話になったかも知れないし

家で看取りまで出来たのは、本人や家族の意志を超えた状況というかなんというか。

訪問診療の看護師さんや医師からは「家で看取るのは大変ですよ」とちょっと言われてびびっていたけれど

痛みや苦しみを訴えることもなく、穏やかに旅立ったのはもう運とか奇跡としか言いようがない。

わたしは母の補助をしていただけだから偉そうなことは言えないのだけど

そして介護の大変さは人それぞれだから、決めつけは出来ないのだけど

介護で大変なこと、それは「人の体の重さ」ではないだろうか。

介護をする前は、下の世話や口腔ケアや入浴が大変だと思っていたのだ。

もちろんそれらも大変だとは思うけど、徐々に抵抗感はなくなる。

はじめはビニール手袋をしていたのに、いつの間にか素手でやっていたりする。

汚れた手は洗えば済むし、臭いは消える。

慣れるどころかどんどんしんどくなったのは体の重さだ。

父は小柄で、体重も重くなかった。

それでも抱き起こすには渾身の力が必要で、わたしは一度、肋骨にひびが入った。

もっとも咳をして肋骨にひびを入れたこともあるので、単にわたしの肋骨がもろいのかも。

それにしても人の体は重い。

ベッドでずり下がってしまったのをほんの少し上に移動させるのさえ二人がかりでてこでも動かなかった。

YouTubeってのはすごいもんですね。

上方移動の方法、という介護動画が何本も投稿されていて、そのうちのひとつのやり方がものすごくためになった。

ロボットスーツのような物も開発されているけれど、一般家庭に普及するにはまだまだ時間がかかるだろう。

今、介護職に従事している人、家庭で介護を担っている人の全ての重さが少しでも緩和されますように。








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ブログの終了に寄せて

2025年04月24日 00時28分05秒 | 日々雑感
このブログも終了になるそうです。

どこかに移行して続けるかは検討中です。

もしも昔なじみでまだ読んで下さっている方がいらっしゃいましたら、

今のうちにコメント下さると幸いです。
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のんきな職場 祖母はかぐや姫だった?

2025年04月12日 13時23分33秒 | 日々雑感
同僚と、なんのきっかけからか「ぴんぴんころり」が理想だけど

それはなかなか難しいのだという話をしていた。

わたしの父方の祖母は当時としては長生きの80代半ばで亡くなったのだが

自分の娘(わたしからすれば伯母)と夕飯を食べた後、

「月がきれいだね」と話をして亡くなったのだそうだ。

そのことを同僚に話すと「月からお迎えが来てたんですかね」と言う。

え、ってことは祖母はかぐや姫だったの?

(余談ながら母方の祖母は99歳まで生きました)
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強い!

2025年04月01日 14時44分59秒 | 日々雑感
あまり笑わなくなった父が、近所のわんちゃんを見てニコッと笑った。

元々、動物好きなのだ。

ふーん、娘が笑いかけても滅多に笑顔を返さないのに。

もしかして、と思いポンタのぬいぐるみを見せてみた。

まさかのニッコリである。

もともとこのぬいぐるみを気に入っていたのだけど

動物もキャラクターも強いなー。

生身の人間よりも働きかけるものがあるんだなー。
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結局、自己中

2025年03月29日 15時26分50秒 | 日々雑感
お世話になってる美容師さんは、40になるかならないかという年頃。

彼は「お金なんか貯めたって、年取ってから使い道ないんだから、今遣った方がいい」と言う。

今なら、体も動くし旅行に行っても楽しいけど、年取ってからそんなにアクティブなこと出来ないだろうから・・・って。

そうかもねえ。

同僚が、最近話題になっている貯蓄を使い切って死ぬという内容の本を読んだらしく「やっぱり若いときにお金を使った方が楽しめると思います」と言う。

30代前半。

そうかもねぇ。

でも、二人とも若いなあと思う。

人が貯蓄をするのは老後の生活への不安があるからだということは、その本にも書かれていたらしいし

そのことへの対応も書かれていたみたいだ。

わたしは読んでいないので、本への意見は言わない。

というか言えない。

ただ、若い頃にはお金がかからず出来たことの全てに、年を取るとお金がかかるということだけは

彼らよりも実感している。

なぜなら彼らよりも高齢の親がいるから。

彼らの親はせいぜい60代から70代である。

健康寿命は人それぞれだけど、わたしの周りの70代は概ね若々しい。

自分の親だってホント、元気だった。

その後、病を得たり年を重ねたりしていくと徐々に「老い」を迎えるのだ。

単に年を取ってもそれは「老い」ではないんじゃないか。

身体か認知機能か、その両方が徐々に衰えてゆくことが「老い」なのだなーと親を見て実感した。

徐々にと書いたけど、徐々にを過ぎると急激だったりする。

しかも結構、予測のつかないスピード。

ここから自分の老後を考えると、老後を気にしすぎて貯蓄しすぎると若いときに楽しめない、という考えを否定は出来ないけれど

逆に言うと、お金をかけなくても楽しめたり快適に過ごす術を、若いときは持っているのである。

若さ、体力、気力、知力というのは財産なのだ。

どんなに金を払っても、老いてから手に入れることの出来ない財産なのだ。

若ければ、遊びに行く気力も満々で、車も欲しいテーマパークに行きたい

おしゃれな洋服を着たい、ブランドの時計が欲しい、リゾート地で羽を伸ばしたい・・・欲望は尽きないでしょう。

でも、ただその辺りをぶらぶらすることが出来る健脚があれば近所の桜を心ゆくまで楽しめる。

高額な入場料の必要なテーマパークへ行かなくても、友人と会って話してるだけでも面白い。

公園でフットサルやバスケの真似事をしたり、映画のレイトショーを一人で観るのも楽しい。

高齢になり、自力移動が難しくなった人が、家族の力を借りずに徒歩5分の公園に行きたいと思ったらどうするか。

ヘルパーを頼み、車椅子を借りて、連れて行ってもらうことになる。

そのシステムだけでもありがたいと思うけど、全てのことにお金がかかるのである。

そのお金が惜しいという話ではない。

それこそが必要経費だと思うのだ。

若い頃に自力で出来たことの全てに人の手を借りる必要が出てきたとき、自分はどこで誰と暮らしているのか。

家族と同居しているのか。

同居家族は介護を担ってくれるのか。

どの程度の手助けをしてもらえるのか。

一人暮らしだったとして、近くに頼れる人は住んでいるのか。

その人はどの程度、頼ることが出来るのか。

80代後半で、頼りになる息子に急逝された知人を知っている。

自分が老後、どこでどんな風に暮らしているかなど誰にも分かりはしないのだ。

だから貯蓄は必要という話ではなくて。

「老後」と一言でくくられがちだけど、百人いれば百通りの老後があるのだ。

老後を快適に過ごすには人の助けが必要になる。

そしてそれにはお金がかかる場合が多い。

一ヶ月に一回くらいならちょっと手伝ってあげてもいいという、自分より10歳以上若い友人、知人を持つことを提唱したい。

そういう人が5人いれば、週に一度は誰かに助けてもらえるのだ。

そんなたいそうな助けではなくて、ちょっとしたゴミを片付けてもらうとか

(年を取ると段ボールすらまとめられなくなる)

銀行やスーパーまで車を出してもらう。

(ATMの操作がよく分らなくなったり、買物の荷物は重くて持てなくなるから)

役所からのよく分らない書類を読んで、内容を教えてもらう。

そういう、介護サービスや支援サービスでもやってくれるかもしれないけれど

ちょっとしたことを頼める友人・知人を持つことはライフラインだと思うのだ。

それにはまず、今からお金を使うのは、ライフラインになる友人、知人作りのためではないですか。

日頃から後輩の面倒をよく見て、ご飯をごちそうし、決して先輩風を吹かせたり武勇伝を語ったりせずに

この人といると楽しい、困ったことがあれば恩返ししようと思わせて

ゆめゆめ、食い逃げされないように・・・





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