Lepidolite(レピドライト)・・・まりあ◎シャクティというARTのこと。

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ジョン・エヴァレット・ミレイと奥村土牛。

2008-10-23 18:05:17 | 絵など
芸術の秋だから、というわけではないと思うけれど、
最近(夏くらいからかな)美術館によく足を運びます。
社会人になって以降、何となく興味が薄れていたし、
人ごみが嫌だから、という理由もあり
年に1回か2回観にいくにとどまっていたのですが。


人ごみが好きになったという訳ではないのですが
人ごみが気にならないくらい、作品を観ることで何倍もの喜びを
得られるようになってきた気もします。(大人になったなあ・・・)
昨日は久しぶりに美術館をハシゴしました。


bunkamuraザ・ミュージアムの「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」
そして
山種美術館の「百寿を超えて――奥村土牛・小倉遊亀・片岡球子」。
英国と日本。
油絵と日本画。
対極。楽しかったですねえ。


ミレイ、なんとも不思議でしたね。
これでもか、と細密に緻密に描かれた自然描写の中に
ぼんやりと、輪郭をぼかした人間の姿。


とりまく植物の力強さに対し、
消え入りそうな、人間像。
オフィーリアもしかり。
そうそう、若くして病死した次男坊の肖像画
がありましたが
モデルが亡くなる2年前に描かれたという作品。
ホントウに影が薄いんです。


軽食を摂って、ちょいと疲れを癒して
九段下へと向かいます。


山種美術館は、タダ券が手に入りましてね。
少し前に母が観てきて、それは絶賛していたので興味を持ちました。


高校時代から油絵を描いていて
短大も洋画専攻だった私は
鑑賞する作品はどうしても油絵が多かったのですが
高校時代、奥村土牛が描いた牛の絵を見て、
「日本画もなかなかいいもんだな」と思った記憶があります。




結論から先に言いますと。
ミレイではなく、土牛に軍配が上がりました。


作家さんの性格の違い?
美術館へ行って。作品を通して作家さんにお会いしたように
感じるこの頃なのですが


ミレイの視点は
「こういうふうに描きたい」
「こういうものを狙いたい」


常に最終的な目標というか狙いがあって。
もっというとエゴをみている気がしました。
芸術家はエゴイストなもので
そういうエゴがあるからこそ成り立つ世界のように言われますが
それが私にはとても鼻につくようになりました。


土牛はもっとシンプルで。
あくまでも私の印象ですが
何かを表現しするため、ではなく
自分が書くことで「何か」をアピールしようとしたのではなく。
描きたかった。ただそのために筆をとったように見えました。


ただ、描くという行為のみ。それ以上の思考は存在していない。
シンプル。土牛あるがまま。
体臭が嗅げると錯覚するほどに、生生しい。


その桜の木も
そのお相撲さんも
本物と見まごうものではなく
デフォルメがみられる。
若いころ、デフォルメするのはエゴだと思ったものでしたが
にもかかわらず、エゴを感じない。
リアルに、自然の姿に忠実に、緻密に描かれたミレイの絵に、
逆にエゴイズムを感じる。
パラドックス。


そうそう、一枚だけ書がありました。


「白寿記念」と、書かれていました。


思わず背筋がピン!と伸びるような。
まっすぐな。
でも、どこにも余計な力が入っていない。


私の理想です。
遠く遠く及びませんが
感じることができた。
それで今は満足です。


さて。
ミレイ展の次の展覧会の前売り券を買いました。
アンドリュー・ワイエス――創造への道程(みち)
ワイエス。
短大生のころ、どこかで知って
大ファンになって洋書の画集を買い込んだものでした。
(今はどこかへやってしまった)
それからン十年。
今の自分の目には、どう映るか。
それがとても楽しみであります。




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