Lepidolite(レピドライト)・・・まりあ◎シャクティというARTのこと。

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私的、描くこととヒーリングの関係。

2011-02-25 21:21:07 | ココロ・カラダ
私の中には何本かの柱がある。


描くこと 歌、踊り ボディーワークあるいはヒーリング。
その中でも、描くことは
本当に本当に私にとっては なくてはならないもの であることを
わかっていながらも まだ腹に落とし込んでいなかった部分を
日々の出来事を通して
腹の奥へ奥へと 落とし込む作業をしている様に思う。
ことにこの数日をかけて。。。



紙やキャンバスを前に、あるいは筆を進める中でチラと脳裏をよぎる声がある。
「うまく描けなかったらどうしよう」
「こんなもの屁でもない」
それでも、私にとって描くことは特別だ。
恐れの中にあっても 何が出て来るかわからないドキドキ。
時に、サードアイのあたりにあらわれる色つきの映像。
理由がわからないままに選ぶ色。
何かが下りてきているという感覚。
説明のつかない、湧きあがる感情。
描くことは私から外せない。




転じて、ボディーワーク、ヒーリング。
もう10年以上は前から関わっているこの世界にはかつて
「自分が癒されたかった」という理由から足を踏み入れた。
そして、人に触れることの恐ろしさにも直面した。
でも、それを乗り越えた後は 
人により瞬間により様々な変化を見せ 
共にその動きを作り出すというアートな側面に魅せられ、探求を続けてきた。



ボディーワークが好きであることは間違いない。
今まで触れてきた方々からは、自慢になってしまうが
手がおおきくて熱いですね、とか
こんなに大切に扱ってもらえるなんて・・・と
言っていただける事が本当に多い。
でも、出会うチャネラーからはことごとく「絵だね」と言われるし
自身も、絵を描き始めて以来の自分や環境の変化から、
そうだろうなとは思っていた。
しかし、気付くといつのまにかボディーワーク寄りの生活になっているのだ。



そうさせているのは
「描くことでは 食べていけないから」という 
世間一般の常識として広まっている生存に関わる恐れ。
描くことへの真のコミットから私が遠ざかっている理由のひとつだ。
ボディーワークやヒーリングなら、少なくとも描くことよりはずっと
職業として成立しそうではないか。
食べていってる人も多いではないか。。。。
ボディーワークは、好きではあるけれど、こんな下心もあったのだ。
これが、ついこの間までの、
私の中での描くこととボディーワークの位置付けである。



それが、つい最近こんなことがあった。
何を考えたか突然
仲間内に対してヒーリングの活動の告知をかけたのだ。
おかげ様で、何人かの方々からお問い合わせや依頼をいただくことができたのだが
しかし現実としての私は
青色申告や個展の準備、プライベートな感情的トラブルなどなどの只中にあった。
絵を描く精神的時間的余裕もない。
こんな時に、何故?
一つには、焦りもあったと思う。
サイキックマッサージにしろ、美顔整体にしろ、
一緒に学んだ仲間はドンドン活躍の場を広げていて、
私は出遅れていると感じていたから・・・



結果、どうなったかというと
私は疲れ果ててしまった。特に精神的に。
問い合わせに応答し、スケジューリングをし、あれこれと気遣いする私は容易に
自己を消し去り、「いいセラピスト・お仕事モード」に入る。
自己を消し去る・・・・
それによって、生き残るために20年余り会社員としてお金を稼ぎ
また身近な人の状態を「自然に」察知してきた。実に小さい頃から・・・
この資質は私にとって大きなギフトであるとは思うが
ギフトは同時にもろ刃の剣でもあるのだ。



もう一つ。
私の中には、わざと忙しくするチャイルドちゃんがいて
(おそらく、何かをじっくりと感じたり考えたりすることからの逃避か。
あるいは、何もしないでいることへの罪悪感もあると思う)
そのコの存在は、気付いてはいたのだが
この度は非常に強い勢力の台風となって現生活に上陸するカタチとなった。
でも、このことが大切な気づきを私にもたらすこととなった。




(続く)




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