Lepidolite(レピドライト)・・・まりあ◎シャクティというARTのこと。

☆ココロとカラダ、スピリチュアルそしてART☆
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全てはそこから生まれた

2010-10-05 21:39:24 | めにみえないもの
↑久しく描いたことすら忘れていた、
何かに動かされるようにして、ものの30秒くらいで描き上げたこの作品。
(F10、キャンバスにアクリル)

去年11月、伊豆高原2泊3日のアートワークショップの最後に
「天が私にくれたもの」というテーマで描いた上の作品が
土曜日の体験で自分の内に感じたものと一番近いと気づいた。
(体験での色は、どちらかというと限りなく白に近いイエローって感じだったけど。)




あの体験はすっかり影をひそめてしまったものの、
やはり、新しい視点の可能性をもたらしてくれたということ、
それで十分のような気がしている。
あの「光」はきっと、追い求めるものではなく、
むしろ追おうした時点ですでに、今この瞬間から外れて
いっそう「そこ」から遠退くだけだろう。

(あの体験を求めて、古今東西 人は薬物へと、新興宗教へと走るのでは
なかろうか?)



私にとって新しい視点とは、
「あの光から全てのものが生まれたのだ」
という確信。



歓喜の光そのものであった私の中核は、
インチャイワークの視点から説明するなら



過去のネガティブ体験がもとで発生したアダルトチャイルド達が、
必死に守ってきた宝物・・(結果、がんじがらめにしてきた)
実際には、過去も未来も永遠に全く傷つくことのない
純粋で喜びに溢れた「チャイルド」
なのだけど、



「チャイルド」と呼ばれながら、実は全てのものの父であり母であり



これを守らんとして必死に戦い抜いてきたアダルトちゃんは
アダルト(大人)でありながら、
自らの中核であるチャイルドの眼差しによって癒されるのだと、
私は思った。



私が、この眼差しからすべてを臨むならば、

おそらく何も問題ではなくなるのだと。



人が、また自分が、
自らの中核と真に手を結ぶことができたなら、
私達一人一人はどんなにか自分で自分を満足させられるだろうか。
お互いに、自分らしくあれることを祝福しあえるだろうか・・・



一見、問題と思われることは
全て、光から生まれたのなら
光である「中核の私」の眼差しによって
それらはまたいつか 光へと還るはずだ。












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