Lepidolite(レピドライト)・・・まりあ◎シャクティというARTのこと。

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跳び越えた瞬間

2010-10-03 22:29:00 | めにみえないもの

“new year's day” 2010年7月 F6  紙、パステル




高く、厚く固い壁が
目の前にあると思っていた。
でも
そんなものはまるで存在しないかのように
すっ飛ばす瞬間が突然やってきた。



渋谷で搬出を済ませ、その足で京橋へ搬入に向かうには早すぎるので
四ツ谷へ移動し、お気に入りのパン屋さんのテラスで
カフェラテをすすりながら



自分の内にある、
これまで押し殺そうとした自分と
押し殺してきた思いや感覚が
まるで同じ揺りかごにのせた 双子の赤ちゃんであるかのように
のんびりと ゆったりと
ココロの目で眺め、感じていた


ふいに


ああ、自分は今 こうして存在している


ということは
今の自分のまんまで
生きていていいんだな と・・・・


柔らかな幸福感に包まれた。



おかしいと思われるかもしれないが
私は生まれてきてよかったんだろうか と 
長いこと
自分では気づかないほど深い深い胸の内で
問い続けた私には
その気づきだけで充分、幸せだった。





でも、その続きがあったのだ。





夜。京橋で搬入を終えた帰り道。
新宿で地下鉄を降り、地下道を歩きだした時だったと思う。
カタチやコトバにならない不思議な感覚・・
あたかも ぶくぶくと湧きだす白い泡の中から突然あらわれたかのようだった





これまで私が必死に、傷つかないようにと守っていたものは、

ただ、存在するということを

私が辛いと思っていた体験をも 全てひっくるめて

ただただ楽しんでいたのだ、と・・・・





「それ」と一体になった時 私は

自分が「物忘れ」「勘違い」状態だったことを知り

また、周りを行く人々もまたそうなのだと気付いた。




その私は、私の中核は

あえて言葉にするなら歓喜そのもので
弾けるような 爆発的な光でもあって




辿りつくことなど出来ないと思われた「それ」を目の当たりにした瞬間。

愛ゆえに、意固地になって

私の「中核」をガードしていた何人ものアダルトチャイルドが、

私の中で一気に弛んだのがわかった。




「なんだ、そうだったのか!」と。

全てはゲームで、しかもそれを楽しんでいたのだと・・・





新宿西口地下道を歩きながら私は、全ての人を愛らしいと感じていた。

子供のように愛らしい、と思った。




しかし、そのまま電車に乗り込んで

ドアに寄りかかりながら私は



「どうしよう・・・これ、耐えられない」


と思っていた。





そうして電車を降り バスで自宅へ向かいながら、

私は急速に忘れはじめていた。

一方で 忘れたくない、と執着する私。




一夜明けて今日


私はすっかり 忘れている私に戻っていた。

でも 風邪を引いたのがウソのように今日の私は張り切って

家事をこなして外出した。




忘れはしても、どこかに残っている。


私は、歓喜そのもの。






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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わーーー (あむりた)
2010-10-04 02:35:19
すごいね。なんかすごいね。
ちょっと涙出そうになった、今。。
返信する
なんだかねー (まりあがぶりえる)
2010-10-04 10:52:33
すごい・・・かもしれないけど
結構その時は冷静で
いくつもの次元の自分が同時に存在しているような感覚があった。

「ひゃっほ~~~~」と叫んで
地下道を走り回りそうな自分と
自分の中に光の映像を観ている自分と
それらを俯瞰している自分と・・・

きっと、そのモードにいたら
この日常生活成り立たなくなるのかも。
もうすっかり物忘れ状態に戻りましたです
返信する

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