未知への体験「4,095mのキナバル山登山」の思い出と「富士山登山」
富士山は20歳の時、福岡の学校の友人4人で頂上まで登った。勿論、
途中の日の出、ご来光は感動的だった。帰り道は、何もない瓦礫と
いうか殺風景な道のりだった。でも日本一の山3,776mに登ったと
いう気持ちの高揚は素晴らしい思い出になった。
因みに富士山の標高を覚え方は「皆、なろう=37・76」です。
マレーシア在住時にローカルのファミリーからのお誘いで、コタ・
キナバルの「キナバル山」への登山に参加した。このブログにも
過去に数回に分けて書いたけど、今日はその時の山の頂に被る雲を
中心に徒然に。
日本と違うんだな、キナバル山に登るのに予約が必要なのだ。半年
前から予約をし、ローカル親友ファミリーと階段上り下り等一応は
足腰を鍛えたものでした。コンドの非常階段を使ったり、バトゥ―・
ケーブの階段に挑戦したり、今思えばキツかったけど楽しい思い出。
富士山のご来光も感動です。キナバル登山もほとんどの人が1泊2日
のツアーを選び、1日150人?以内しか、入山出来ない規則がある。
富士山と違うね。なので、1日の登山者数は下りてくる人と登る人
で、あのデカイ山には、多くて、独占300人しか存在しないことに。
色んな思い出があるけど、途中のラバンラタのロッジに泊まるが、
まずここで軽い高山病にかかって辛かった。食欲がなく非常食で
持って行った日本のインスタントラーメンしか口に入らなかった。
・・けれど、味がしなかったな。一時的に、味覚がおかしかった。
お湯が出るというので、シャワーを浴びるために素っ裸になって、
いざ、ひねったら氷水のような冷てェ~水しか出ない。腹立った
思い出。それに仮眠をしろと言われたけど眠れない。深夜2時から
登り始めるのだ・・深夜1時過ぎには起きていなくてはならない。
今日はキナバル山の登山の思い出し「シルバーヘアー雲?」の事。
ゴルフ行って足がツルようじゃ、再度、登頂に行けないのかなぁ。
この写真はローカルからいただく。頭隠さず、頭出して尻隠さず?
富士山登山でサンダルとか、スニーカーとかで登る人がいるけど、
山は甘く見てはいけない。ましてや、キナバル山は、絶対必須品。
当時のキナバル山登山は、付近震源の地震から約1年後に登ってきた。
その山行記録はすでにシリーズで書いたけど、今でもいろいろ思い
出されます。若い頃、日本で富士山含め、山登り単独行も度々敢行
したり、でもキナバル登山はやはり未知との遭遇、良い経験だった。
マレーシアで地震はほとんど無いのにこの時だけは皆さんビックリ。
サバ州のBSN銀行
キナバル山荘付近の地面割れ具合・・・・・・・
初めての地震の経験に、マレーシア人達は外でオロオロ・・・・・
地震とは関係ないけどキナバル山頂前で張った氷。写し方が面白い
同じマレーシア人からの転送写真。キナバル山の山頂にかかる雲。
自然は凄いですね、別世界です。この雲も見ました。
当時のこの写真は、綺麗に撮れたと思っている。キツカッタぁ~。
この向うの山の山頂が4,095mなのだ。まだまだ1,500m位の位置。
カッコなんてつけてられねぇ~、足も攣ることなく、よく頑張った。
・・無理の出来ない歳だけど・・でも一歩一歩、よく着実に登った。
夫婦で2つの必需品、ヘッドランプ。予備でもう一つ。計3個を持参。
これが辛い帰り道、雨と暗黒の中だった私たちの命を救ったライト。
・・・標高3600ⅿ付近を下山中・・・ロープを伝って降りる。
山行での苦しさが自分への叱咤激励、励ましが、希望光りとなる。
暗闇からの一条の光となって気持ちの転換を示唆してくれる事も。
山は、人間の弱い心に響く何かを、強く秘めている。海では味わえ
ない山の空気。海は綺麗で健やかに憩いをいざなうが、山はいつも
汗まみれで重荷と時間との戦い。危険との隣り合わせ。頂上だけが
目的じゃない・・その途中の過程が山行のホントの意味合い。
身体に限界を感じながらも自然との調和を感じ、立ち止まって感動。
見事な流星や星空に気を取られ、太陽の浮き沈みを見るにつけ、サン
ライズとサンセット遭遇の時は、神の領域を感じることもしばしば。
言葉で表現できない程の美しさを見て感じたら、口は開けたままで、
感動、息をのむだけ、感涙することもある。
若い時から単独行ありで丹沢、立山、剣岳、谷川岳にはよく登った。
若く、がむしゃらだったので、落下に近い危険にも遭遇した。
人間の生きている意味や、死んでどこに行くのか。山は来訪する
人間に瞑想を至らしめる。だから、山が好き。汗かいて、辛いこと
キツイこと多いけど、山が好き。
当時、MM2Hの私ども夫婦は、キナバル山で密かにその心を取り
戻したみたい。・・奥さんは初めての経験で、未知の世界だった。
未経験故、日頃から多少の腕の筋力も鍛えねばと認識しているはず。
キナバル山の「岸壁の母」にて、母は、何を思ったのでしょうか?
< 来て良かった?・・・来るんじゃなかった? >
登山開始当日のキナバル山の山頂に「シルバーヘアー?」出現か。
・・富士山でいえば、「ひさし笠」という名前の雲なのかな~
見上げれば「シルバーヘアー」が「神秘的な空」と一体だった。
山の天気は激しく変わって辛かったけど、あの雲の上に登ったのだ
ラバンラタのホテルの壁の額にも、このような珍しい帽子雲写真が
山登りを通じて、感じさせてくれる人生・・キナバル山は、自分の
海外生活の中で不安と喜びの交錯する毎日の生活に励ましと潤いを、
覚醒させてくれた不思議な山だ。
過去の事、未来の事いろんなことが脳裏をよぎってゆく。山登りを
通じて、「生」を感じ、今生きていること、生かされていること、
これを思う想い。・・・キナバル山がますます好きになってゆく。
最後に “『人生は登山』” ・・吉川英治のこの言葉が好きだ。
「登山の目標は「山頂」と決まっている。しかし、人生の面白さは
その山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹の過程にあるのだ。
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