癒しの時間始めました!

あなたは何に癒されますか?
日々思う事を素直に。

明治の女。

2010年08月01日 | 日記
私の祖母は明治生まれだった。

当然、とってもレトロな人。

だけど、柔軟な人だった。

両親の不在が多かったのと、外で遊ぶ事が苦手な私の1番の理解者。

友達は居たけど、女の子特有のべったりした付き合いが苦手だったので、それほど多くなかった。

「来る者拒まず、去る者は追わず」の考えだった。

とっても冷めたイヤな子供かも?

そんな私の遊び相手&話し相手だった。

祖母とはお手玉とかおはじきとかで遊んでた。

祖母には怒られることなく、いつも諭される。

だから、気持ちが伝わる。

父親に怒られても、いつもかばってくれたのは祖母だった。



そんなおばあちゃん子でそだったせいか、たまに年寄りくさいと言われる。

友達の話や、子供の話を「そうか、そうか」と聞いていたり。

「そんなことしてるとバチがあたるよ!!」

「いつも神様が見てるよ。」

「もったいない」は当然なのだ。

自分は食べなくても子供たちに~(T0T)

............何て事は戦時中じゃないので、まず無いんだけど気持ちはそう。

一家の大黒柱はお父さん。

だから、子供の前では旦那の悪口は言わない。

ママ友の前だけ!!(笑)

「お父さんが一生懸命働いてくれてるから生活出来るんだよ」って子供にわからせる。

ついでに、

「主婦には365日お休みは無いんだよ!!」って自分の大変さもわからせる(笑)

本当はそんな事を昔のお母さんは自分から言わなくても、子供はちゃんと見てたよね?

父親は怖い。

かばうのが私の役目。

うちの組織図はそうです。



祖母は88歳で亡くなった。

前の晩まで一緒にクイズ番組を見てたのに、朝には亡くなっていた。

88歳までバスを乗り継いで1人で通院してた。

85歳で大腿骨を骨折。

普通なら寝たっきりになるのに、治して元気に退院♪

何でも食べてた。

サンマの骨もサバの骨も。

って、サバの骨はすごくないですか???

サバの骨を食べてる人を見たのは後にも先にも私は祖母だけです。

鯛の骨はさすがに母親が止めてた。

あと、ステーキ250グラムも軽く食べてた。

それと、食パンにたくわんを挟んでマヨネーズをかけて食べてた。

食べられたら何でも有りなのかな?

なんて子供心に思った。

何でも好き嫌いせずに食べてたから元気だったのかな?


ボロは着てても心は錦。

私には祖母がいてくれたから、たくさんの事から救われた。

いつも背中をなでてくれた祖母。


たまに面白おかしく、子供たちに祖母の話をする。

もっと長生きして欲しかったよ。って言うと........

「そうしたら、お母さんは200歳まで生きてね(^^)/」って。


嬉しいんだけど(^^;)


そんなに生きたら妖怪やん~~~~~(>0<;)