建築弁護士・豆蔵つれづれ

一級建築士・弁護士・豆蔵自身の3つの目線で、近頃の建物まわりネタを語ります。

応急危険度判定と罹災証明は別モノである。

2015年01月25日 | 法制度
ケンチクベンゴシの豆蔵です。
地震ネタが続きます。

先日、ケンプラッツ(日経BPの建築・土木サイト)で、
昨年末の白馬村の地震に際し、現地に入った建築士の方々の活動が、紹介されていました。
建物ごとの危険性を判断すると同時に、雪が降るまでの間に応急措置を行ったという話です。

傾いて倒壊する危険のある建物でも、傾きを修正して補修することは可能であるのに、
補修する前に雪が降ってしまえば、倒壊して元には戻せなくなってしまいますからね。
雪が降るまでの一刻を争う事態だったようです。
非常に興味深い記事でした。

その記事の中で、
一般の方々の間で、地震直後の被災判定(赤・黄・青の色付け)と、罹災証明における判定が
よく理解されていないという点が指摘されていました。
確かに、豆蔵も、阪神大震災までは全く区別がついていませんでした。

応急危険度判定は、行政に代わって民間の建築士のボランティア(応急危険度判定士の登録建築士)が行う
スピード重視の暫定的な判断です。
しかし、被災判定で赤紙を張られてしまうと、もう手の施しようがないとあきらめてしまう方もいるとか。
応急危険度判定の赤紙とは、「危険」という意味で、建物内に入るのには専門家の助力を得ることが前提ですが、
決して取り壊しが必要となるというものではありません。

一方、罹災証明は、災害対策基本法に基づくもので、市町村が発行するものです。
税金の減免や補助金の申請など、被災者支援を受けるときに必要になりますので、比較的慎重に、
場合によっては複数回の調査で、判断が見直しになる場合もあります。

地震において想定外の被害が発生すると、判断基準が見直される場合もあります。
東日本大震災における液状化も、そうした見直しによって罹災が認められるようになった経緯があります。

罹災判定によって、場合によっては数百万円もの補助金の有無が変わってしまうのですから、
公正かつ公平に判定が行われるべきなのですが、どうも調査・判定の限界もあるような印象です。



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危険な建築物に撤去命令を出せる場合とは?

2015年01月18日 | 法制度
ケンチクベンゴシの豆蔵です。

先日、空き家問題の公開討論会をNHKでやっていました。
残念なことに、途中からしか見られなかったのですが。

コンパクトシティに対する反発は、想像以上に強かったという印象です。
(国交省の方が、2~3世代かけて実現しようというもので、急激な変化を求めるものではないという説明をされていました。)
コンパクトにする代わりに、どうしたらよいのか?という点には、答えは出ていません。

空き家問題と地方活性化、高齢化。
この先、どこへ向かうのでしょうか。

ところで、
国土交通省が今、パブコメ(法案を提出するに当たり行うご意見募集)で、
「既存不適格建築物に係る是正命令制度に関するガイドライン(案)」というものを公表しています。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=155140726&Mode=0
1月23日まで。

建築基準法10条3項では、倒壊の危険性がある建物等に関し、特定行政庁が撤去・使用禁止命令を出せることになっていますが、
前にも述べたように、個人の財産権に対する強力な制限になるということもあり、おそらく、ほとんど使われていません。

これを、具体的な基準を策定することによって、
行政の濫用を防止しつつ、実際に使えるようにしようというものです。

基本的な考え方として、以下を勘案して判断するとしています。
(1)建築物において、劣化が原因で倒壊等するおそれがある
(2)建築物が倒壊等した場合、付近住民や通行人等に被害が及ぶおそれがある
(3)是正命令を行う社会的必要性

しかし、ガイドライン(案)で示されている写真の建物の朽ち果てぶりが、あまりにすさまじくて、
ここまで朽ち果てないと手が出せないのか、と逆に驚きました。
倒壊の危険性には、地震と火災を考慮することにはなっていますが(何もなくても崩れそう)。

なお、これらはあくまで建築時には適法だった「既存不適格」を対象したものであって、
違法建築に対する是正命令(建基法9条)はまた別の話のはずです。

もっとも、実務と世の中的には、古い建物は既存不適格建築物と違法建築物があまり区別されているとは思えませんね。
地震時の安全性の確保には、もっとシビアに取り組んでいただきたいものです。

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少なくともこの時期、きちんと思い出して考える。

2015年01月12日 | 建築物の安全
ケンチクベンゴシの豆蔵です。

ドタバタの年末年始をはさんで、大分ご無沙汰をしてしまいましたが、
本年も、なにとぞよろしくお願いいたします。

この三連休、阪神淡路大震災から20年であるということを、しばしば耳にしました。
震災の頃に生まれた子どもたちが、成人式を迎えたというニュース。

ああ、20年というのは本当に早いものですね。
生意気な若造だった豆蔵もずいぶんと年をとり、その間に職替えもしました。

豆蔵が地震に遭遇したのは大阪市内なので、被災には程遠いのですが、
それでも、三連休明けの早朝にやってきた地鳴りと突き上げるような衝撃、寒さと心細さ、
そして、その後現場に出て目にした光景は、それまでの人生に無かったものでした。
元々怖がりでしたが、地震や防災に興味つようになり、今の仕事の一部にもつながっています。

もちろん20年の間には東日本大震災があったのですが、
地震の揺れや被害の受け方が全く異なり、
私個人の建物や都市災害という意味での衝撃は、阪神の方が大きかったです。

それでも、
ここ5年くらい、生々しい記憶は薄れてきているのを感じます。

例えば、臭いというのは、写真や映像では伝わらないし残らない、現場の記憶です。
倒壊した家屋群は何ともいえない臭いがしていたと記憶していますが、
あまり思い出せなくなってきました。

被災した当事者ではないからでしょうか、記憶がどんどん上書きされてしまっています。
そして、かつてほど「用心」しなくなってきています。

間もなくやってくるといわれる大地震と向き合うために、
少なくともこの時期、全ての感覚を使ってきちんと思い出し、
これから何ができるかについて考えなければならないと思うのです。

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