
東大から台東区生涯学習センターへ。第1回 台東区ゆかりの文学講座『伊勢物語』の魅力に迫る を聴講した

。事前に応募して当選したもの。講師は伊勢物語や源氏物語に造詣が深い東洋大学教授・河地修(かわじおさむ)先生。「言問橋(ことといばし)」「業平橋(なりひらばし)」など、浅草周辺に現存する『伊勢物語』ゆかりの呼称…約90分間にわたって、物語の主人公とされる在原業平(ありわらのなりひら)の東下りや伊勢物語の《初段》と《六十九段》を読み下し、源氏物語と関連づけた解説をされた。恐らく、古文を目にしたり(先生の朗読で)耳にするのは、高校卒業以来のこと。このグログ内でも今年1000年を迎えて盛り上がる『源氏物語』についてまったく触れたことがないように、あまり興味を持つことはなく、漫画『あさきゆめみし』でさえ3巻ほど読んで投げ出してしまった

。“待つ女”

というのが肌に合わず、感情移入できない

のがその理由だったと思う。ただ、『伊勢物語』だけは、最初に受けた古文の授業だったので、「つついつの いづつにかけし まろがたけ…」の部分だけ、なぜか鮮明に記憶に残り、とてもなつかしく思えたからだった。古文の授業は(現代国語の授業もそうだが)、必ず文章を音読する。生徒に読ませもするが、先生が読む場合、その口跡がどうあれ、とても耳に残るように思う。高校3年間で3人の先生に古文を教わったが、そのすべての先生の声と読み方を思い出すことができる。古文の音読にはその人の感性や古文をどのくらい愛しているかといった人となりがとてもよく表れるような気がする。河地先生が読む『伊勢物語』はとても耳に心地よく

、《初段》や《六十九段》以外の段もリクエストしたくなった。『伊勢物語』にも『源氏物語』にも予備知識がないので、先生がポロポロこぼされる知識片までもれなく拾い続ける。そんな90分間はあっという間だった。最も印象に残ったのは、源氏物語は伊勢物語がなければ誕生していなかったということだった。読み下しが難しい、おもしろくないといわれる『伊勢物語』の初段に登場する、「若紫」、「女はらから」…『源氏物語』の初段と最終段に紫式部が『伊勢物語』を引用し、自分の原点としてリスペクトしていた証拠。そして、光源氏といい、在原業平といい、貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)があること。天皇に匹敵する資質を持ちながら、若いときに苦難の道を選ばざるを得ない境遇。それにしても、業平はなぜ自分を無用の人間だと思い、東下りをしたのだろう

。みずから選んだ道なら京の都でどれだけ失望したことか。また、天皇に価する資質はないにしても、頼朝も流離譚を持つ「貴種」といえるのではないか、と頭の片隅でふと思っていた。伊豆での雌伏およそ20年、その後の転身を誰が想像できただろう。