母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

12月18日

2006年12月18日 22時20分31秒 | Weblog
昨日 49日法要を 無事に済ませることが出来た。
何しろ、父は私任せなので、自分なりに精一杯やったつもり。
パパや妹夫婦・父にあれこれ指示みたいな感じになっちゃった

母だけが埼玉、あとの兄弟は神奈川なので、年齢を考えると、いつまで法要に呼んで良いのか分からないが、その時には声を掛けさせて貰う事にしようかと 今は考えてる。
で来ることも70才過ぎたら、待っている私達は不安だし。
で来るにも早い時間で、乗換をして貰う事になってしまうから。

パパは銚子の現場に戻り、引き上げは年末らしい。
今日は妹に手伝って貰い、祭壇の部屋(一階和室・両親の部屋)をちゃんと過ごせるようにし。
一階洋間も元に戻した。
母の荷物も、かなり処分を仕始めた。
洋服って言っても、母と私ではサイズが違い、着れる物は2着あったので それは貰う事に。
靴も全然違うし・・・結構こぅみえて、私は足のサイズが小さいのだ

本が結構有り、しかもN○Kの今日の健康って本や・新聞の切り抜きの医療関係。
昭和の時代の新聞に『最新医療』なんて書かれてて
パラパラ見て捨てました(ばぁちゃんごめんよ~。
色々処分する事にはなるけど、私の中の思い出は処分される事は無いからね

全てが終わるのは まだまだ先だけど、年内にはメドをつけたいなぁ。
パパも年末引き上げだと、そのまま正月休みだろぅし、正月明けは風力の仕事は春まで無く、
タワークレーンとかになるらしい。
春にはまた和歌山・・・(遠い目
和歌山だと行ったきりだろぅなぁ~3ヶ月。 
『ちょっと帰る』って距離じゃないし、私達が行こうにもかなり出費するし。

ともかく、明日から毎日ゴミ出しは大変です
祖母の時も大変だったけど、母も健在だったから2人で集積所往復したから ちょっと楽だったんだけど、今回はそぅもならず

小さなノートに 私達が小さい頃、母が入院した交換日記があった。
そのノートには『お姉ちゃんだから、お父さんのワイシャツアイロン出来るかな? 大丈夫だよね。おばあちゃんも疲れてしまうから手伝ってね』
って書いてあり、
妹の欄には、『ちゃんと御飯食べているかな? みんなのお母さんは居るのに居なくて寂しかったかな?』
って書いてあった。
結構 私的にはショックな面が 
でも反面 昔から 私を頼っていたのね って 思い、
今日は二階に上がるとき 洗濯を干しながら、独り言を母に言いながら、
『おやすみ』と上がってきました。
さぁ~明日からも1日が始まります。
忙しい日々になるけど、頑張ります

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