山に生き、山に死す。『日本百名山』深田久弥のエッセイ集。
湯沢の一年
山の本
剣岳
山行の服装
ルックザックの中味
十一月の山
薬師から槍へ
秋の穂高・槍
冬山の独り歩き
ふるさとの山
夏山へのいざない
ところが山登りは、もちろん実践も大事であるが、しかしまた書物だけでも十分に娯しめる趣味である。イギリスの登山家ヤングも言っている。
「私が山岳人と言うのは、山に登る人だけを指すのではない。歩くことが好きで、山について読みまたは思索することの好きな人は、誰でも山岳人と言うのである」
境遇上、山に登る余裕がなくても、年老いて足が利かなくなっても、なおわれわれは書物によって山を娯しむことが出来るのである。
滑川町・・・背後を振り返るとこごしい岩に装われた剣岳が毅然と立っている。
蜃気楼と蛍イカを名物とする滑川町は、またかつて大正時代の米騒動の発源地でもあった。
この町の女房連が引き起こした米屋打ち入りが、ついに日本中に波及してあの有名な米騒動となったのである。
一人の若い女性がサイダーや心太(ところてん)を売っていた。
スゴ乗越は、立山から薬師に続く、黒部川左岸の長い山脈の最低鞍部である。
30分登っていくと、スゴ小屋があった。
それから薬師岳頂上までの、何と長かったことか。
さすがはその図体の大きいこと北アルプス随一の山だけあった。
おそらく北アルプスの山々をこれほど間近く見ることのできる小都市は、高山以外にないであろう。
平湯から見た笠ヶ岳は山岳家の間でも定評があるが、私たちはその笠ヶ岳が次第に暮れて行く夕方の空に消えてしまうまで、飽かずに眺めることができた。
私は涸沢小屋の外に立って、鋭い岩峯を幾つも並べた前穂高、それから奥穂高、涸沢岳、北穂高それらが次第に夕づいて行くおごそかなさまを眺めていた。眺めていたというより打たれていた。
終戦後軍隊の悪口を書いた小説類が市にあふれた。
私は理念としては戦争を嫌悪するが、しかし現実の野戦生活は私に辛苦とともになつかしい思い出をたくさん残している。
涸沢小屋の高度は2,300m、めざす北穂高小屋のそれは2,960mであるから、その差660mの登りだが、山の頂に近いから勾配は頗る急である。
奥穂高の頂上、3,190m、これこそ富士山、北岳につぐ日本第三の高峯。
西穂高の方へ少し行ってみることにした。
ロバの耳と称する痩せた岩尾根を伝う。
両側は切り立ったような岩壁で、このあたりから見るジャンダルムの飛騨側は全くすばらしい。名のごとく西穂高の稜線上に頑張っているこの衛兵は、遥か下の方までほとんど垂直に切りおろしたような岩である。その黒々とした岩の色が何ともいえずいい。見ただけでその堅いガッチリした手触りが感じられるような、底光りした岩の色である。
反対の飛騨側の方を見下すと、そこは北アルプスの中でも一番凄いところとされている滝谷と称する岩の谷が、深く食いこんでいる。眼が眩(くる)めくような深い絶壁をなした谷である。その切り立った岩は底光りのする鉄(くろがね)色をしていて、谷の底に何か神秘をひそめているような趣である。
北穂高は壮烈雄偉である。
槍ヶ岳の肩の小屋の裏手からザグザグの砂礫の急坂を下ると、もうそこから西鎌尾根が始まっている。
その辺から見下した右俣谷の源頭の何と美しかったことか!
大抵渓谷は暗く細い所から始まっているが、この右俣谷の源はあけっぴろげの明るい、一種の圏谷状をなしている。そしてそれが力強い豪快な岩の世界の中にあるだけに、何か柔かな静かな女性的な安らいを感じさせる。
そののんびりとした源頭が、いま燃え立つような紅葉の褥で覆われていた。
鮮やかな真紅である。
この見事な紅葉は、3,000mの高さにのみ許された自然の宝であろう。
右俣川は下って蒲田川となり、更に高原川となり、神通川となって、末は富山湾に注ぎ入る。
いま私はその源に立って期限の短い紅葉の絶頂を飽かずに眺めている。
西側の方に赤岳から硫黄岳に続く、それこそ名の通り硫黄で赤く爛れた、一種凄惨な剥き出しの山肌が眺められた。
千丈・天上の両沢の合流点から、沢の名は水俣と変わる。
遂に水俣と湯俣の合流点にきた。
まず湯俣の流れに眼をみはった。
水俣の真青な水に比べて、湯俣はその青に白濁の色を混じて滾々と流れている。
これは湯俣の少し上流に有名な噴泉丘があって、そこは無間断に豊富な温泉が溢れでているためであって、いわば湯俣そのものが温泉の流れのようなものであった。
湯俣と水俣と合して高瀬川の本流となる。
道は俄然ここから良くなって、足が独りでに前にでるような、なだらかな下りである。
今までの覆いかかるような狭い谷間から開放されて、高瀬の谷は明るい。
下るにつれて行く手の正面に、針ノ木岳がまことに秀れた形で見えてきた。
不動岳、七倉岳等の前山を控えて、それは秋空に君臨しているような威を帯びた姿であった。
頂上へ攻めあげるようにむらがりそそり立った岩の1つ1つが数えられる位、はっきりとそれは空中に抜きんでていた。北アルプスの一雄峰たるを失わない恰幅であった。
戦争中「ゼイタクは敵だ」という標語が流行ったころ、うっかりスキーなどかついで上野駅に行くと、殴られそうな気配があったので、私はよくスキーなしで登れる丹沢や甲州の山へ出かけた。
まことに白山は女神にふさわしく、その姿は優しく美しい。
しかも、そのうちに毅然とした威厳を持っている。
白山の頂上には幾つかの小さな旧火口があり、そこに水が湛えられて、翠ガ池、千蛇ガ池となっている。殊に翠ガ池の方は夏晩くまで周辺に残雪があって、水は紺青に澄んで、山の神秘が湛えられている趣がある。
白山は加賀側の優しさに引換え、飛騨側から見るとこごしい岩山に変る。
大白川温泉
白水滝;直下60m
白山は、主峰の御前峰と大汝峰と剣ガ峰との3つから成っている。
白山のような岩壁や大雪渓に乏しい山は庭園のような山上の逍遥的散策にその良さが発見できるのである。
白山山脈中の一怪峰、三方崩山
岩間温泉
そのとき大変なことが起った。
私たちの行く手に山崩れが始まって、大きな泥の流れが一挙にして道を埋め、川っぷちまで、見るも無惨な一面の泥の斜面にしてしまった。
ところがすぐに次の災難が私たちを襲ってきた。
頭の上に岩石の破片が降ってきたからである。
その一発にでも当たったら一たまりもあえるまい。
おどろいて路傍の岩石にピッタリ貼りついた。石ころの襲撃の死角を利用したのである。
大小さまざまの石がまるで雹のように降った。
大きいやつは唸りを立てて頭上を飛んでゆく。
それがぶつかりあって火を放つものもある。しばらくは生きた気持ちもなかった。
白山はいつ行っても楽しい山である。
行けば行くほど、滋味の出てくる山といっていいだろう。
われわれ男性の間にはけしからぬ1つの通用語がある。
「女性と一緒に山へ行って一番いいことは、彼女らがおいしいものをたくさん担いでいることである」