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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

秋の峠道

2021年06月18日 14時14分08秒 | 読書・登山
「山と渓谷」2020年10月号

その昔、長い道程を経て上高地に向かった時代がありました。
島々(しましま)の集落から島々川を遡る徳本峠越えの一本道。
いつかこの古道を歩いてみたい、ずっとそう思っていました。

島々から上高地までは20kmにも及ぶ長丁場。
その長さも気になるが、ただ長いだけでは語れないなにかがある、そう思っていた。
川沿いの単調な林道も、秋色に飽きることなくウキウキしながらも進む。
この峠道は先人たちの思いを共有しながら楽しむのがふさわしいのではないか、そう思えた。

林道から登山道に変わる二俣の傍らに、古い道しるべを見つけた。
苔むした石板に「左かみかうち、右きたさわ」と刻まれている。

ぼくが気になったのは登山家ではなく、同じ絵描きとしてこの峠道をたどってきた高村光太郎と智恵子の道行きだ。
島々谷の沢音に導かれ、沢筋を右に左にと幾度も渡り返して高度を上げていく。
途中の橋は思いのほかしっかり設えてあって、行き橋、戻り橋など、ひとつひとつに名もついていた。

落ち葉を踏みしめながら歩いていくと、甘い香りが広がった。
先ほどから気になっていたカラメルの香りだ。

岩魚留橋を渡った先に、岩魚留小屋が時が止まったように佇んでいた。
この場所は、あの光太郎と智恵子の二人が待ち合わせした「岩魚止」だ。
古びた小屋の傍らには、見上げるようなカツラの巨木が姿勢よく青空に向かって立っていた。
鼻をくすぐる甘い香りは、このカツラの黄葉が放ったものだった。
枝葉を広げた巨木の下で、どれだけの旅人が心を癒したことだろう。

1913年;大正2年の夏、光太郎は秋の展覧会に出品する絵の制作のために上高地に滞在していた。そこに絵の道具を抱えた智恵子が訪ねてくるという。9月、知らせを受けた光太郎は上高地から徳本峠を越えて、岩魚留まで迎えに行った。
智恵子27歳のことだった。

次第に道は傾斜を増してきた。
ダケカンバの黄がまぶしい。
徳本峠まで残り2.8キロの道標に奮い立つ。
道がつづら折りの急登になるころ、うまい具合に湧き水が用意されていた。
「ちから水」だ。

頭の上に風を感じると、ひょいと峠に上がった。
歴史を感じさせる徳本峠小屋の旧館がそこにあった。
隣には、新館が脇を固めていた。

ウェストンが賞賛した峠からの展望は、残念ながら雲の中。
穂高連峰は明朝の楽しみにしよう。
その晩、月夜の峠になった。

中村みつお

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