奇才ニコラス・スロニムスキーによって編まれた、酷評だらけの音楽事典。歴史という琥珀に封じ込められた小さな短慮の数々から、われわれは何を学ぶことができるのか?
新版への序文 もし何かすてきな言葉を思いつかないなら、こちらに来て私の隣に座りたまえ(ピーター・シックリー)
事典への前奏曲 なじみなきものに対する拒否反応(ニコラス・スロニムスキー)
バルトーク(1881‐1945)
ベートーヴェン(1770‐1827)
ベルク(1885‐1935)
ベルリオーズ(1803‐1869)
ビゼー(1838‐1875)
ブロッホ(1880‐1959)
ブラームス(1833‐1897)
ブルックナー(1824‐1896)
ショパン(1810‐1849)
コープランド(1900‐1990)
カウエル(1897‐1965)
ドビュッシー(1862‐1918)
フランク(1822‐1890)
ガーシュウィン(1898‐1937)
グノー(1818‐1893)
ハリス(1898‐1979)
ダンディ(1851‐1931)
クルシェネク(1900‐1991)
リスト(1811‐1886)
マーラー(1860‐1911)
ミヨー(1892‐1974)
ムソルグスキー(1839‐1881)
プロコフィエフ(1891‐1953)
プッチーニ(1858‐1924)
ベートーヴェンの交響曲田園の真価についての意見は大きく分かれているが、これがあまりにも長すぎることにあえて異を唱える者はほとんどない。アンダンテだけでも演奏時間が15分以上かかり、反復が多いので、作曲家にも聴衆にも不満のないように短縮した方がよいと思われる。
ベートーヴェンの交響曲第9番の長さは正確に1時間5分である。
実に恐るべき長さであり、楽団員の筋肉と肺、そして聴衆の忍耐力は過酷な試練にさらされる。
最終楽章、合唱は異質である。これがこの交響曲とどのような関係があるのか、われわれには理解できなかった。
このベートーヴェンの交響曲第9番は、その長さだけでも、音の独占体制を拒否する者にとっては不満の種が尽きることはないだろう。ーーそして極めつけは、終結部の耳を聾するようなお祭り騒ぎで、通常用いられるトライアングル、太鼓類、トランペットなどに加え、音をミサイルのように発する楽器が思いつく限りすべて動員された。
彼が熟考する時間をほとんどとらなかったことをもっともはっきりと示すのは、後期の交響曲に見られる途方もない長さの楽章である。
目指しているのはただひとつ、驚愕させることである。
交響曲「英雄」には称賛すべき点が多々あるが、45分もの長きにわたってこのような称賛の念を保つのは困難だ。あまりにも長すぎる。この交響曲は、何らかの方法で短縮されなければすぐにお蔵入りとなってしまうだろう。
ベートーヴェンが耳障りな不協和音を好むようになったのは、彼の聴覚が衰えて混乱していたからである。もっともすさまじい種類の音の集積が、彼の頭の中では好ましくバランスの取れた組み合わせに聞こえたのだ。