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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

山岳展望  深田久弥/著

2021年06月21日 16時58分46秒 | 読書・登山
出版年月 1982年9月

北アルプスを大観出来る所はどこにでもありますが、この角間峠から眺めるような素晴らしさは、ちょっと類がないと思います。

胃袋のような形をした山中湖が浅緑の色を湛えてくっきりと浮かんでいるのが綺麗だった。

韮崎の駅から朝靄にぼんやり浮かんでいる茅ヶ岳を指して、ああ八ヶ岳が見えると愚かなことを口走って赤面したことがあった。

友人の小林秀雄などはそれで、彼は僕がいくら熱心に遠い山の名を教えてやってもいっこう覚えようとしない。頂上について皆が忙しそうにカメラを覗いたり地図と首っ引きしている間を、彼はただ山を眺めてその美しさに見とれている。純粋な山の鑑賞はあるいはこんな眼に宿るのかもしれない。いちいち名前を知らなければ山の眺めに退屈するようでは、知識上では山岳家と呼ばれても、本当に山の美しさを感じることが出来ない人であろう。

本当に山を愛し山に数多く登った人の鑑賞眼には確かに優れた所がある。
「素人は連峰を横から見るデス、玄人は縦から見るデス」
なるほどとその言葉に感心した。
景色が複雑でそれだけ奥深さがあるのだ。
たいていの人はパノラマ式な連峰の眺めを喜ぶものだ。
それは分かりやすいからだ。
南アルプスは乗鞍岳などから縦に見たほうが確かに優れている。
眺めていても見飽きがしない。

昼の雲
舟のさまして動かざる
鹿島槍てふ
藍の山かな

三好達治が永く滞在していた発哺(ほっぽ)の温泉宿から望んで出来た歌であろう。
あそこからは北アルプスのうちでもことに白馬、後立山連峰がよく見える。
廊下に立ってただちにこんな素晴らしい北アルプス大観に接し得る宿は、そうザラにはない。
美しい山容を持った鹿島槍岳が彼の眼を牽いたのであろう。

あの北槍と南槍の峰がキッと持ちあがって、その2つをつなぐやや傾き加減の吊尾根の形の美しさ。

後立山連峰は唐松岳から鹿島槍までずっとひどい痩せ尾根だが、鹿島槍を過ぎるとそれから南は山稜もゆったり広くなって、何となく伸びやかな気持ちになる。
冷の小屋から黒部の谷を距てて望む立山連峰大観の素晴らしさはかねてから人に聞かされていたが、今日は雨のために何も見えない。

西洋でも登山趣味が大いに流行しだしたのは18世紀の終わり頃からであって、それまでは山岳に対して彼らは恐怖と敵意をのみ抱いていたと言われる。山は彼等に死と破滅との脅威を感じさせていたのだ。
「万葉集」に出てくる山は、富士山でも筑波山でも耳無山でも天の香具山でも、いずれも皆和やかな線を引いた温雅な山であって、険しい山容を持った高山はわが国の古代人もやはり避けていたのである。

白馬がハクバではなくシロウマであり、それが代馬から由来している。

尾瀬の燧ケ岳に登り、頂から北を望むと、会津駒ケ岳の優しく美しい姿が堪らなく僕の眼を惹きつけた。

桧枝岐村の人達は皆村から2里3里の土地まで開墾に出る。
そこに耕作小屋を建てて開墾に従事するのだ。
だが1,945mの大津岐峠を越えてその向こう側まで耕作に出かける勇気には感じ入った。
こんな山奥の、山と川に挟まれたわずかな平地をも見棄てておかないわが国の農夫の根強い勤勉さを、錦繍綺羅(きんしゅうきら)の人々は想うべきであろう。

久しぶりに接する巒気(らんき)に心が高鳴った。
山特有のひえびえとして冷たい空気。山気。
※山吹(1944)〈室生犀星〉一二
「彼女の眼は山にはいると、〈略〉巒気によって清められるといふのか」

遠く御岳と木曽駒が道の曲がり目の具合でヒョイヒョイと見えた。
これから一夏朝夕厭きるほど見る山だが、最初の一瞥ほど新鮮な感動はないものだ。

霧が峰を訪れた人が、誰でも行ってみる所が2つある。
最高峰の車山;1,925mと八島ヶ池とだ。

ちょうど盂蘭盆(うらぼん)だった。
旅に出て、その土地土地のお祭りやお盆を見ることほど、何か楽しいような、果敢ないような気持ちのするものはない。

雪を付けているかいないかで、山の風格に非常な相違がある。
いったい山の雪の残り方というものは、まことに神技とおどろく他なく、その審美的な残雪の在り方は、いかなる名工も思いつくことの出来ない巧妙を尽くしている。

霏霏として降っている雪を見てガッカリした。

一般に尾瀬というが、尾瀬沼と尾瀬ヶ原とに分かれている。
双方の距離は4kmで、沼のほうが250mほど高い。
山の景色なら何でもあるという点において、安価な譬(たと)えをもって言えば、尾瀬は一大山岳デパートの観がある。しかも僕が声を強めたいのは、それらがすべて一流品であることだ。
他のどこよりもここの景色は日本的という感じがするのだ。

蒼茫と暮れて行く広大な原の真向こうの、鈍く残雪を光らせた至仏山と相対していると、何か大らかに虚しい太古の感動があった。

和久田弘一氏は三井物産機械部勤務で、北大山岳部OB、わが国で最初に特殊鋼のピッケルとアイゼンを考案した人だ。

絶対にアイゼンを信頼すべし、アイゼンを疑ってちょいと足で小細工をしたりするのが滑落の因だと感じた。

僕のアイゼンは札幌の門田製、ピッケルは仙台山内作だ。
双方とも日本で最も信用の出来る品で、ある人に言わせると世界へ出しても遜色がないそうだ。この堅牢な特殊鋼のアイゼンやピッケルを考案したのが和久田氏だそうで、僕らはストーヴのそばでその苦心談を一席聞いた。アイゼンなどちょっと見たところただ8本の爪のある小道具に過ぎないが、説明を聞くと、ほんのわずかなところにも綿密な力学的な工夫が施されている。何にせよ生命をゆだねる品だ。アイゼンが折れて命をおとした人もあるという。ここ富士山観測所員も案内人も皆門田製のアイゼンを使用していた。

ことにこの木曽山脈の一連の尾根は、その高度の割りにして幅に乏しく、木曽・天竜両川に立ちはだかっているので、なおさら屏風という感じが深いのである。
したがって、東西の伊那・木曽両方面において削いだように急激に落下する。

例えば中央線の上松駅で下車すると、そこから直ちに最高峰の木曽駒ケ岳;2,956mを目がけて急坂が続いている。全く梯子段を登るような急坂の連続である。日本の山で、停車場を出るなり乗り物の便をかからず山にかかり、しかもその日のうちに3千m級の頂に立てるという所は、まず木曽駒ケ岳を措いては他にないだろう。いかにこの山脈が屏風のように屹立しているかという一証左である。

またその証拠の1つとして、この尾根から流れ出て天竜川に注ぐ川が幾筋ももあるが、その川が、太田切、中田切、与田切などと名づけられているのを見てもいい。「たぎり」というのは「滾(たぎ)る」の意で、これらの川がすべて急傾斜のため滾り落ちるように奔流しているからである。確かにこれらの川は、他に比して、太く短く終わっている。

越百山というのは実に美しい山だ。
森林帯を抜けると一面の匐松で、なだらかな線をした山が、まるでビロードに覆われたようである。こんな綺麗な山はちょっと類がないだろう。ここのは全山が褥のような物軟らかい優しい美しさだ。
越百山は遠ざかれば遠ざかるほど、ますます好もしい山になってくる。
再び繰り返す、何という優しい綺麗な山だろう。

仙崖嶺は岩山で、近づいて行く間じゅう、3つの岩峰が丈競べしているように際立って見える。その左手にはドッシリ大地に根を張ったような南駒ケ岳。重鎮、磐石、胆汁質、横綱、--そういった感じの山である。いい山だ。
山は朝がよい。
ちょっとした襞でさえ皆それぞれの陰影を持って、見事な諧調を現している。

摺鉢窪の周りは削り取ったような断崖である(摺鉢窪小屋がある)
山肌を赤く曝け出して、荒涼と言うか凄愴と言うか、これが人間なら残酷無慙(むざん)と言いたいような、すさまじい光景である。これを百軒薙と言うのだそうだが、そのために底にある摺鉢窪はますます秘境めいてくるのである。

浅間山の鬼押出に着く。
これは天明3年;1471年の大噴火に流れ出た熔岩である。
山の北方を破壊して、延長16里、36ヵ村を蕩尽したというから、その凄まじかったことが察しられる。

だから山の湖沼の景色ほど毀誉褒貶(きよほうへん)まちまちのものはない。
ほめたりけなしたりする世間の評判のこと。また世間の評判が様々であることのたとえ。

南アルプスの中で、三峰川、野呂川、小渋川、遠山川、--その名を聞いただけでも、その源流の豪壮な山々が彷彿として襲いかかってくるような気がするのだ。

小仙丈と反対の空には、駒ヶ岳の摩利支天が大入道のような頭を、ズングリと前山の上に覗かせている。

それから間もなく仙水峠だった。
ここは北沢峠と違って、いかにも「峠」という我々の概念にふさわしい所である。
東京市立商業学校の生徒いっこう7人が遭難して、4人の犠牲者を出したのは、この峠を経て朝与岳を越えたあたりだった。

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