新宿‐松本間、左右の車窓に展開する130の山々。「国鉄」時代の昭和60年に刊行され、版を重ねること20回、長らく復刊が望まれてきた「車窓」の名著が待望の文庫化。新宿駅から富士山、西荻窪駅付近から雲取山…と次々に展開する車窓の展望、「初鹿野」「勝沼」を越え、塩尻駅から松本駅に向かって右に左に山々を見る。途中、何度も顔を出すのは日本一の富士の山。ヤマ線乗務、40年。中央線を知り尽くした車掌が電車から見た山、登った山。
深田久弥;「山は骨董品と同じで、いいものをたくさん見れば見るほど、目がこえてくる」
78 茅ヶ岳;1703.5m
「百の頂に百の喜びあり」の文学碑が、山麓、大明神開拓地に建っている。
深田久弥終焉の地
この山は私にとって終生、忘れることはできない。ちょうど13年前、山の作家、深田久弥先生を眼前で失った山だからである。
昭和46年3月21日、お彼岸の中日、穏やかな日であった。
女岩の鞍部から稜線をたどること5分。あと少しで頂上という所で、何の前ぶれもなく、11時23分、先生は突然倒れた。そして大きないびきをかきだした。これは脳出血、手に負えないと判断。救援依頼のため麓の柳平に向かってかけ下った。
その間を藤島敏男氏は「心臓の鼓動が止まって、3月21日、午後1時、深田君は還らぬ人となった。僕たちは眠った深田君の傍で、刻々色調の変わっていく富士を眺めながら、黙然として、暗然として、悄然として佇んでいた」と記録している。
84 鋸岳;2,675m
それにしても、この山の眺望はすばらしい。
北には八ヶ岳の大きな裾野。戸台の谷1つ隔てて優雅な仙丈岳。一人抜きんでている北岳。赤茶けた鋸山の岩肌と対照的な甲斐駒ケ岳の白い岩稜。
甲斐駒ケ岳の右に特異な山容を見せる冬の鋸山。
96 日向(ひなた)山;1,659m
小淵沢駅のホームに立つと、正面に大きく甲斐駒ケ岳が雄姿を見せてくれる。
98 釜無山:2116.5m
富士見駅は海抜955m。中央線で一番高い駅である。
田山花袋は「山水古記」の中で、「富士見高原が富士を眺めるには最もすぐれたところであろうと思ふ」と書いている。
106 守屋山;1650.3m
南アルプス最北端の山、南アルプスの唯一の火山、そして雨乞いと信仰の山。
八ヶ岳、甲斐駒、白峰や仙丈岳、中央アルプス、北アルプス、眼下の諏訪湖の眺めなど、絶品の名に値する。
守屋山立石コース
108 経(きょう)ヶ岳;2296.2m
富士見から茅野にかけて、電車は1000分の25の下り勾配をかけおりる。
前方に、槍、穂高といった北アルプスの盟主が見える。
隣の木曽駒ケ岳には、ワンサと人が押し寄せるというのに、中央アルプス最北端の独立峰のこの山は不遇で、人影も記録も少ない。
クマザサの頂上からの眺めはすばらしい。
木曽の谷をへだてて御岳山、更科山から八ヶ岳。さらに南アルプスの山並み。南の木曽駒ケ岳は指呼の間。
このまま、ここにしばらくの間、電車を停めておきたい。
何でそんなに旅を急がなくてはならないのか。
そんな融通無碍(ゆうずうむげ)のダイヤは組めないものだろうか。
非情な電車は、人間の思いなど無視して、富士山をどんどん南の端に追いやってしまう。
そして、中央線車窓から見える富士山はこれで一巻の終わりとなる。
大城山;1035m
大八まわりといって、政治力で鉄道路線が曲げられたところが辰野駅。その裏山。
昭和58年7月、塩嶺トンネルが開通して、特急「あずさ号」は全列車、岡谷から塩尻に直行するようになった。だから従来の辰野経由の電車は大幅に減ってしまった。しかし、飯田線に直通する「こまがね1~5号」を併結している急行「アルプス号」の3本は相変わらず辰野まわりである。
線路を曲げるは何も新幹線、岐阜羽島駅の大野伴睦ばかりではなかった。
これと同じく、中央線の勝沼ーー山梨市間も塩山を迂回している。
これは地元塩山の雨宮敬次郎がやったものである。彼は、明治36年6月11日、中央線開通の日、自宅の隣に仮停車場を設け、前総理大臣、伊藤博文を自宅に招いたという。
南アルプスには3,000mを抜く山が13ある。
そのほとんどが、勝沼駅から見ることができる。
でも、仙丈岳、塩見岳、荒川中岳と荒川前岳は残念ながら見ることができない。
34 間ノ岳;3189.3m 農鳥岳;3025.9m
電車が大日影トンネルを抜けると勝沼。
遠い山脈は南アルプス。その中でひときわ目立つのが、中央右よりの3つのうねりである。
これが白根三山。右から北岳、間ノ岳、農鳥岳である。
もう少しくわしく見れば、北岳、間ノ岳の間に中白峰、農鳥岳の右にかさなる西農鳥岳、
合わせて五山。すべて3,000mを抜く高い山である。
北岳は富士山の次、間ノ岳は4番、中白峰は16番、西農鳥岳は17番、農鳥岳は23番、
日本の高山ランクの順位である。
35 悪沢岳;3,141m
日本で6番目、南アルプスでは3番目の高さを誇る山。荒川岳とも呼ぶ。
この山は、勝沼から酒折にかけてよく見える。
36 赤石岳;3120.1m
大正15年、88歳の大倉喜八郎は、自分の持ち山のこの赤石岳に登りたいと言いだした・・・
南アルプスは地理の教科書では赤石山脈という。
その名のもとになったのが赤石岳である。
山体はその名のとおり赤い岩塊である。
ラジオラリア板岩といって、海中の放散虫の死体が岩となったものである。
この山は、明治12年に測量が開始され、24年には一等三角点が設けられた。
16年にはエドモンド・ナウマンが登ったという。
登山者としては、ウェストンが明治25年に登った。
この山域は、現在東海パルプの所有だが、その前身は大倉山林といった大倉喜八郎氏の持ち山であった。彼は生涯一度でいいから自分の山に登りたいと言いだした。
37 辻山;2584.7m
夜叉人峠から鳳凰三山へ縦走する人にはなじみの山。大パノラマを楽しめる。
辻山の展望はすばらしい。
右は鳳凰の薬師岳、観音岳。早川尾根。野呂川の奥には仙丈岳。まん前は、吊り尾根を従えた北岳。左に間ノ岳、農鳥岳、悪沢岳から赤石岳への大パノラマが満喫できる。振り返ると、富士山はあまりにも気高い。
38 甲武信ヶ岳;2,475m
深田久弥は「奥秩父のヘソ」と表現。
甲州、武州、信州の境にある山だから甲武信ヶ岳とはうまい名前をつけたものだ。
39 思入山;500.1m
慶応4年、甲府城攻略をはかり西下した近藤勇と東山道東征参謀の板垣退助は、ここ勝沼で戦火を交えた。時に近藤勇34歳。この戦いは柏尾坂の戦いといって、勝沼駅の東南、大善寺付近。
42 聖岳;3,011m 笊ヶ岳;2,629m
顕著な双耳峰の笊ヶ岳のふもと一帯は、信玄の昔から甲州金の産地であった。
塩山駅西端から。登りにくい山だが、南アルプスの大展望台。
46 破風山;2317.7m 雁坂(かりさか)峠
この峠は、谷川岳の北、関東と越後を結ぶ清水峠、信濃大町と富山を結ぶ針の木峠とともに、日本三峠の1つといわれている。
76 地蔵岳;2,760m
甲府盆地の西をかぎる山魂の1つに鳳凰三山がある。
北から、地蔵岳、赤抜ノ頭、観音岳、砂払と実は5つのピークに分かれている。
この中で特徴があるのは、高さ18mの尖塔がそそりたつ地蔵岳である。
東京23区内で一番高い所は、新宿区戸山町の箱根山;44.6m、
東京都の最高地点は雲取山;2017.7m。