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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

神々の沈黙

2020年09月07日 15時33分10秒 | 読書・文学
吉村昭著
昭和44年12月5日 第一刷
定価520円



他人の体の一部を移してみたいという欲望は、古くから人類の夢であったといえる。
人魚は美しい女を魚のように泳がせてみたいという空想から生まれたものだし、
神話の中に登場してくる半獣人、半鳥人も、人類の潜在的な願いのあらわれに違いなかった。

1823年にビュルンゲルという外科医が、鼻そぎ刑によって鼻を削り取られた犯罪者に
その太腿から取った皮膚を移植し、
翌々年には、ウォルターという外科医が、決闘で鼻を斬り落とされた男の鼻をすぐに拾って
欠落部分につけ、腐敗することもなかったという報告も残されている。

つまり臓器移植は、あらゆる部門で失敗に失敗を重ね、
それに使用された実験動物は研究者たちの手で累々とした死骸に化し、
臓器移植を受けた人間も次々と死体になっていったのだ。
その主な問題点は拒絶反応という現象であった。
その拒絶を受けると移植された臓器は色も醜く変わって腐敗し、それがたちまち人間を死へ導くのだ。
機械であれば壊れた部品を新品にとりかえようとするのは当然であり、
それは人類がたどりつくことのできる最後の外科学なのだ。

常人の心臓は1分間に平均70回鼓動するといわれているが、
60歳まで生きたとすると、そのポンプは、20億回も休みなく動き続けたことになる。
また一回の血液を押し出す量を60ccとすれば、
60年間には1億2000万リットル、ドラム缶60万個分の血液を絶え間なく送り出したことになるのだ。
また心臓は、1.6mの水柱と同じ血液の圧力を受けているが、その圧力に圧しひしがれることもなく、
人間が死を迎える瞬間まで動くことをやめない強靭なポンプである。
重さはわずか300gほどしかない。

口火をきったのは、独創的な業績を残したフランスの著名な外科医カレルであった。
1905年明治38年に遂に心臓移植史上初の輝かしい成果をあげることができた。

人工心肺という有力な補助装置を得ても、依然として前途にかすかな光明すらささなかった。

ハーディーたちは、老人の死体と心臓を無残にもえぐりとられて横たわっているチンパンジーの死骸を
放心したように見つめていた。
・・・世界初の人間に対する心臓移植は、完全に失敗してしまったのだ。

外科医には、いつかは実験段階から大胆にその壁を乗り越えて、
人体に挑まねばならぬ宿命が課せられている。

独自の方法で心臓移植実験を続けている医学者がいた。それは近藤芳夫だった。

心臓移植手術をおこなうから、無脳児または重症の脳腫瘍児を至急探し出して欲しい。
提供児として最も適当と思われる無脳児は、アメリカで毎年2000人は生まれているといわれている。
その先天的奇形児はこの世に生まれながらすでに意識はなく、ただ呼吸をしているだけのもので、
死は完全に確定している。

1954年、ソ連のデミコフが、一頭の犬に他の犬の首をとりつけた「双頭犬手術」に成功した。

「おれは、他人の新しい心臓をもらうことになった。おれは、健康な体になれる」
「新しい心臓が欲しい」
「いつまで待たせるというんだ」
新しい心臓を得ることは、或る人の悲しい死を期待することにも通じるのだ。
「もしも娘がだめなら・・・その男を救ってやってください」

胸部に空洞のあいたその体は、エンジンを取り外した機械に似た再び動くことのない死体だった。
えぐりとられた心臓は、摂氏10度に冷やされたリンゲルラクテート液に入った容器に漬けられた。

「そうだ、あなたは新しい心臓を手に入れたのだ」・・・ワシカンスキー
南アフリカでのクリスチャン・バーナード外科チームの心臓移植
アメリカの国民性として、世界初の大手術が他国で行われたことに
ひそかな不満をいだいていることはあきらかだった。

無脳児は脳の主要部分を欠いていて、誕生後数日以内に必ず死亡する運命にある。

古賀保範
「そいつは素晴らしい。世界第二例だ、アメリカでは初めての手術がやれるぞ」
それはかなりの重症で、中央の頭蓋骨が全くない。
そしてそこからは、血のにじんだ膜におおわれた脳が透けてみえた。
執刀者は外科部長エイドリアン・カントロヴィッツ
無脳児の心臓は、シャモの卵くらいの大きさ

「カモン、ベイビー(しっかりするんだ!)」
「心臓移植児は、手術後6時間で死亡した!」というニュースは、
たちまちアメリカ全土へ、さらに世界各国へと広がっていった。

「負けてはいけません、私たちのためにも、世界の人々のためにも」
患者ワシカンスキーを、ともかく18日間生きつづけさせた。

「人体実験ではない。私たちがやった手術は、病人に対する単なる治療だ」
「心臓の停止は死を意味するとは限らない。
それよりも脳に血液が循環しなくなった時が死だ。
3分から5分間脳の血液が停止してしまえば、その脳は再び機能を取り戻すことはない」

「非白人が隣に坐ることは許されないのに、
その心臓だけはいただくというのでは白人が身勝手だといわれても仕方があるまい」

「この手術と政策は無関係。
たとえ非白人のものが白人の体内に移植されたとしても、心臓は単なるポンプにすぎない」

「むしろ大型の類縁人よりも豚のほうが移植用に適している。
解剖学的にみても豚は人間に非常に近い。
豚を人間と同じ程度の大きさに育てることも容易だ」

人間の体内に豚の心臓が移植されるというバーナードの答えは一般の人々に違和感を与えた。

昭和43年1月6非、世界第4例目の心臓移植手術は、アメリカ・スタンフォード大学の
ノーマン・シャムウェイの指揮する15人の移植チームによっておこなわれた。

「心臓移植にメスをふるい、またその準備に熱中している外科医たちは、
楽隊車の上で陽気に飛び跳ねている人たちと同じだ。
彼らは、楽の音につれて踊り狂っている。
外科医はこのような危険の多い手術をおこなうべきではない。
医師は、人の生命を預かっているのである。が、彼らは逆に人を死に突き落としている」

たしかに拒絶反応は、体内に移植される臓器を異物としてはねつけようとする反応で、
人体の巧妙な自衛機能のひとつでもある。

血液の平均総量は成人で、5000cc弱

札幌医科大学付属病院「心臓全置換術」

拒絶反応抑制剤イムラン

「ご報告することがございます。
宮崎信夫君は午後1時20分死亡いたしました」
「解剖の結果、心臓の筋肉は実にきれいで健康的な色であったことが認められ、
拒絶反応が全くなかった。
血栓もなく、弁もきれいなものだった。
肝臓はやや肥大していたが、機能はいいようにみえた」

「移植された心臓は少年の体に完全に縫合され立派に結合していた。
手術の完全さは驚くほどだった。
肺に気管支炎の故障を起こしていたことが呼吸困難をもたらし死因となったらしい」

「心臓はキラキラときれいに輝いていた」

270g程度と推定される移植された提供者の心臓も、解剖の結果1080gと
移植後わずが83日間で異常な膨張をしめしていたこともあきらかにされた。

アメリカのヒューストン聖ルカ病院でおこなわれた「世界初の人工心臓移植手術」
執刀者はデントン・クーリー

「心臓移植時における生死の判定」論文






















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