ジョージ・ミュラーの連載マンガ「ブリストルの風」が、ついに1000ページを超えました。
今回は、ジョージが1887年に日本に来た時のことを描いています。
私は、ジョージは日本に2回来たと思っていましたが、違っていたのです。
この時は、1885年11月に、第11回目の伝道旅行としてアメリカい行きました。
すぐに、1886年を迎え、オーストラリアに7ヵ月いました。
そして、9月に香港にいましたが、その後の1887年の春に日本に来たのです。
いつもは、1年もかからないのに、この時は、1年7ヵ月かけて、各地を回ったのです。
だから、初め私は、1885年に、宣教旅行に出かけた時に1回、そして1887年に2回目だと思っていたのです。
よくよく、調べてみると、1885年11月~1887年6月までで1回だったわけです。
訂正いたします。
ところで、この時は、同志社で2回説教をしました。
「信仰」「神吾と共に歩(ほ)す」の2回ですが、これが「信仰の生涯」という小冊子になり、山室軍平や石井十次の信仰を引き上げたのです。
新島襄は、長年ジョージに会いたいと思っていたので、物凄い感動ぶりです。
マンガでは、数ヵ月後に、みなさんに、お目にかかります。
お楽しみに
写真は、ジョージが説教した同志社のチャペルで、1886年に竣工され国の重要文化財になっています。
今日は、ジョージ・ミュラーのお話を作っていますが、最後の最後まで、経済に関する祈りをしていたジョージです。
今回は、ある方の財産が、入ることになっていましたが、裁判所の手続きに不備があって訴訟になってしまいました。
そのため、ジョージは毎日、神さまが一番良いと思う時に与えてくださいと祈っていました。
そして、2,000ポンド=4,000~5,000万円がいるという時に、そのお金が与えられたのです。
過去最高の約2億2,000万円~2億7,500万円でした。
ジョージは、待っている間、信仰と忍耐が養われたと言っています。
130年前も、今も基本は同じなのですね
写真は、長崎の西坂の丘の猫たちです。
関東は、まだ雪が残っています。
昨日の段階では、1300名近い怪我人や数名の死者が出たそうです。
私は、必要でない限り外に出ないようにしていますが、今日は図書館に行かなければなりません。
昨日、マーリン・キャロザースさんのマンガ「牢獄から賛美へ」の仕上げが終わり、今日から、ジョージ・ミュラーのマンガ「ブリストルの風」の続きを描かなければなりません。
今月は、関東予選会の準備もあるので、相変わらずハードスケジュールです。
毎回毎回、真剣勝負です