関東は、雨が降りそうになってきました。
ところで、勝家の屋敷は、赤坂氷川に2500坪ありましたが、中にたくさんの貸屋がありました。
正面の門ではなく横の大銀杏の側には、暗殺された佐久間象山の奥さんで勝の妹の瑞枝が住んでいました。
その側には、徳富蘇峰と徳冨蘆花の家族も住んでいました。
蘆花は、結婚して2ヵ月後に側の別の家に二人だけで住むようになりました。
明治27年5月から明治30年1月3日まで、勝邸内に住んでいました。
蘆花のお兄さんの蘇峰は、頭がいい社交的な人で、そのお兄さんに殴られて育ったので、かなり屈折して育っています。
蘇峰は、新聞社の社長で有名なジャーナリストです。
勝邸内に住んでいた時、蘆花は一番荒れた時期の一つでしたが、文章を書くことで精神的均衡を保っていたのです。
それと、奥さんに対する暴力もありましたが、奥さんはそれを受け止めたのです。
その奥さんがいなかったら、蘆花はダメになっていたといわれています。
その後、小説「不如帰(ほととぎす)」が、ヒットして、一躍有名になりました。
奥さんは、小学校の先生をしていましたが、蘆花の反対でやめましたが、勝の三男梅太郎とクララの子供たちに勉強を教えていました。
蘆花は、兄の蘇峰と絶縁しますが、死ぬときに兄が駆けつけ仲直りしました。
彼らが住んでいた家の側にあった大銀杏は関東大震災や空襲を乗り越えて、今も残っているのです。