松戸の重要文化財になっている戸定邸に行ってきました。
すでに、明治時代徳川慶喜が撮った写真で見ていましたが、広い屋敷でした。
当時の、元大名屋敷の典型かもしれないので、次回作のためにいろいろ写真を撮ってきました。
次回作で、どうしても必要な人物の子供の頃の写真しかなくて、探していたのが売っていた本の中に載っていました。
何でもそうですが、現地に行かないと手に入らない、資料と言うのがある物です。
お昼は、すぐそばにある千葉大学の園芸学部の食堂でいただきました。
学食は、安から嬉しいですね。
時間があったので、上野のアメ横と、浅草に行きましたが、探していたミニチュアの日本髪はありませんでした。
安い、外国人用の着物や人形がたくさん並んでいました。
最近の観光地は人力車がたくさん走っていますね。
いかにも、体育会系の大学生のアルバイトと言う感じでしたが、若い女の子が群らがっていました。
かなり歩いたので、家に帰って来てから休んでいたら、両足をつってしまい大変でした。
それでも、ためになる楽しい一日でした。
今日から、夏休みです。
昨夜は雨が降り、涼しくなりました。
今日は、昨日紹介した松戸の戸定邸に行きます。
ここ数ヵ月、徳川家の子孫の方々が書かれた本をたくさん読みました。
それから、森有礼や勝海舟の関係の本も、たくさん読みました。
これらは、1本のロープでつながっています。
勝海舟は、横井小楠から影響を受けました。
横井小楠は、開国して、日本をキリスト教化しようとしていると言って暗殺されました。
その子供の横井時雄は、クリスチャンになり同志社の総長になります。
横井小楠の妹の子は、熊本バンドで信仰をもったジャーナリストの徳富蘇峰と小説「不如帰(ホトトギス)」で有名な徳冨蘆花です。
徳冨蘆花の方は、冨の字を使っています。
日本プロテスタント史を描きだした頃は、まだITが普及していなかったので、調べるのに苦労しましたが、弟の方は、冨の字にこだわっていたそうです。
徳富家は、一時、勝海舟の屋敷の敷地内に住んでいました。
森有礼の信じたキリスト教は、正統的なものではなくかなり異端的でしたが、日本に使命を持って帰国しました。
最初の奥さんとは、離婚しましたが、2度目の奥さんは、岩倉具視の娘です。
そして、森はクリスチャンだから、伊勢神宮を愚弄したという嘘をつかれて暗殺されました。
森の後妻と、息子はクリスチャンになり、息子の森明は牧師になりました。
そして、多くのキリスト者を助けてきた勝海舟の子供や孫もクリスチャンになりました。
本当に、興味のあるお話ですよね。
カペラ日本一決勝戦・ハモネプ全国大会SPが、終わりました。
毎年感動します。
今年も韓国のグループが参加しました。
決勝戦には、医大生グループ「食後三錠」と国際キリスト教大学の「ICU49」と、同志社の「ウイズ」と兵庫の「グラコロン」が出場しました。
「グラコロン」は、敗者復活で、出場しましたが、最初に聞いただけで「行ったー!」と思いました。
選曲がボーカルの声とあっていて、すごく良かったと思ったら優勝しました。
武田哲也さんが、「予選の時は、勝たなければと言う思いがあったが、決勝戦ではそう言う思いが無く力が抜けていたので良かった。」と言っていました。
本人たちも、予選で落ちていたので勝つという欲がなかったことが良かったと思いました。
私としては、同志社の聖歌隊で歌っているホーリィのグループ「ウイズ」に優勝してもらいたかったのですが、やはり「グラコロン」はうまかった。
それにしても、決勝戦に国際キリスト教大学と、同志社のキリスト教大学が2つも入ったことが嬉しかったです。
明日は、松戸の戸定邸に行く予定です。
ここは、徳川慶喜の16歳下の弟、徳川昭武の別邸でした。
明治17年に建築され、大名の下屋敷の建築様式を踏まえています。
平成18年に、国の重要文化財に指定されました。
慶喜と昭武は、お母さんが違いますがものすごく仲の良い兄弟です。
15代将軍徳川慶喜の名代で1867年の14歳の時、昭武はヨーロッパを訪問し、パリ万国博覧会に出席しています。
「プリンス・トクガワ」と言われましたが、その後は、パリに留学しました。
徳川慶喜は、フランスが大好きで、フランス語も習っていたし、軍隊もフランス式を取り入れていました。
当時、薩摩は、イギリスの後押しがありましたが、アメリカは南北戦争中なので、日本どころではありませんでした。
昭武はナポレオン3世に謁見していますが、慶喜は、ナポレオン3世からもらった軍服を着て馬に乗った写真が残っています。
やがて、幕府が崩壊し、昭武は、新政府によって帰国命令が出ます。
明治政府になってからは、お父さんの徳川斉昭のいた水戸藩知事になり、フィラデルフィア万国博覧会のため、アメリカい行きます。
その後、再びパリで留学生活を送りましたが、晩年は、隠居して松戸の戸定邸でお母さんと一緒に住んでいました。
徳川慶喜の曾孫の方が、慶喜の撮った写真を発見されその写真も展示されています。
兄弟そろって、写真や狩りに熱中していたそうです。
ところで、徳川慶喜と言う人は、天皇が大好きな方でしたが、はからずも朝敵になってしまい、その後勝海舟の尽力もあり、公爵になりました。
徳川時代は、仏教を利用してキリスト教を迫害してきましたが、慶喜は神道になりました。
孫の方が書かれた「徳川慶喜家の子供部屋」に神道式のお葬式の模様が詳しく出てきます。
部屋を白い布で全部覆うのです。
お墓も、将軍たちのお墓とは別で神道の丸いお風呂のような形をしたお墓です。
その上には、月見団子のように石が積んであります。
家康の再来と言われた徳川慶喜が良く、遊びに行った戸定邸に行来ます。
次回作には、この慶喜さんも、少し出てくる予定です。
TOKIOの山口さんが、無免許運転で、謝罪会見を開きました。
2月に、免許が切れていて、知らないで乗っていたと言うことです。
私は、免許を持っていないので、分かりませんが良くあることでしょうか?
日々の生活の中で、何かを払い忘れていたり、何かの手続きを忘れることは、私もよくあることです。
タレントだから甘過ぎると言うのも問題ですが、タレントだから厳しい処分と言うのも、また問題です。
草さんの時は、異常報道でしたね。
山口さんは、車のコマーシャルをされているので、混乱も出ています。
後本人も、きっとショックだったと思いますが、反省されているので処罰は処罰として受けていただいて、後の仕事の方は頑張ってほしいです。
クリスチャンだったら、こんな時、悔い改めることは悔い改め、起きた悪いこともすべて感謝して行く時に、問題を通して逆転の勝利を見ていきます。