声を通して『コミュニケーション力とは何か』を考えてみます。
『コミュニケーション力とは何か』
?言葉で伝えたいことが他者に伝わり、理解してもらえること。
となると、自分と他者は言葉が使えるということが前提となります。
続き。
言葉を使うには、入力と出力の関係が重要となります。
入力とは「情報を入れる」ということ。つまり「聴覚」が使えなければなりません。
出力とは「声を出す」ということ。ならびに「言語を出す」ことが同時並行でおこなえるという「同時並行運動」ができなくてはなりません。
「入力」と「出力」を両者ができること、かつ「共通言語を獲得している」というなんとも「複雑で運がいい」ことが前提として必要なわけです。
これを「当たり前」なこととして、コミュニケーション力という言葉を使っているのであれば、コミュニケーション力というものを丸めて考えているのでしょう。
「話す相手を選んでいる」のかもしれませんし、「言葉の通じることが当たり前」として「言葉の通じる人としか話していないのかもしれません。
どちらにしても「言葉ありきの世界においての、コミュニケーション力」を捉えているのでしょう
他者が言葉を話せなかったらどうしましょうか。入力である聴覚が使えない。
入力できなければ、出力は困難です。
理解しやすい言葉を使って話したとしても、聞こえていませんからね。この場合は、「他者がどの入力は可能なのか」を知ることから始まります。
入力可能な入力器官を見つけるわけです。
視覚入力が可能であれば、「文字」が使えるかもしれません。
ただし、先天的に耳が聞こえない場合は、文字での理解は大変なのです。
「黙読」ができないからです。
長文は理解が難しくなります。
したがって、短い文のほうが、理解しやすくなります。
視覚入力が難しい、つまり目が見えないけれど、耳が聞こえていれば、話すことは可能でしょう。
「読む」ことも可能です。
「点字」です。
このように、どこの入力器官が使えるかを観察し見つけることから、他者への伝えることは始まりまし、伝える手段も変わります。
続き。
「コミュニケーション力とは何か」
それは、「言葉を使わなくとも他者へ伝えることができる力」である。
これが僕のひとまずの回答となりました。
余談。
「コミュニケーション力が高い」という言葉にも、さきほどまでの「言葉を使わなくとも他者へ伝えることができる力」といえます。
そしてもう一つ。
話している人の声が震えていたり、どもっていたり、聴き取りにくかってりした時、「余裕をもって聞くことのできる人」は、コミュニケーション力が高いと言えます。
話している人の声が震えていたり、どもっていたり、聴き取りにくかってりした時、「ダメだなぁ」と思って聞いている人は、「コミュニケーション力が低い」と言えます
余談2。
相手を思うままにコントロールする、交渉でうまくいく術を身につけるといった類の本が売れているみたいですね。
こういった本を買った人は、あきらかに「コミュニケーション力が低い」です。
その本を互いに読んで使っていたら、どうなるんでしょうかね
そういった本を読んでいる人が他者を目の前にして話している時、その人は目の前の人を見ていません。
「頭の中の本を見ている」んですよね。
それで思うようにいかないなぁって思ってりしている。
なるわけないですよ。
本気でコントロールできると思っているのなら、まずは「自分の嫁さんをコントロールしてから」にしてはどうでしょうか。
声が震えていたり、どもっていたり、うまく話せない人の話しを余裕をもって聞くことができ、理解しやすい言葉や声を使い分けて話す「入力の力と出力の力が高いこと」。そして、「言葉を使わなくとも他者へ伝えることができること」。もっとも「コミュニケーション力が高い」ということになるでしょう。
逆に声が震えていたり、どもっていたり、うまく話せていない人を批評し、コミュニケーション力が低いと評価している人は、圧倒的なコミュニケーション力の低さと、断言できます
以上、「コミュニケーション力とは何か」を考えてみた。
でした。
コミュニケーションセミナーをおこなう講師として、僕はそう回答します。