「 ヴォイスコンサルタント 林重光 のブログ 」

声・話す・読む・歌うことの悩みを解決するヴォイスコンサルティング MAKE UP VOICE 代表。ヴオイストレーナー。

「 お菜を漬ける 」

2009年12月01日 | 体感記録日記
「 長野の人はお茶が好き。お茶の時には必ず、漬け物がでる 」。昔、このフレーズがある歌をラジオ番組に聴いたことがありました。確かにお茶の時には漬け物がでてきます。ただ、お店ででてくることはほとんどありません。どこかの家へお茶を飲みに行くと、ほぼ漬け物はでてきます。今では友達や知人の家にお茶を飲みに行くということはあまりないのでしょうか。漬け物は買ってきて食べるというより、その家その家で漬けているので( 僕の近所はそうなんです)、漬け物を食べることは楽しみでもあるのです。今の季節だと「 お菜 」を漬けます。「 野沢菜 」と聞いたらピンとくるかもしれません。僕の住んでいる所では「 お菜 」と呼んでいます。今日はお菜を漬けました。霜が降り、寒さが厳しくなってきた時が、お菜の漬けるタイミングです。ここ数年はこのタイミングがズレてきています。霜がなかなか降りてくれません。それでも寒くはなってきたので、お菜を漬けました。
まず、お菜を10本くらいずつに束ねて紐で結びます。この1束が食べる時の1回分、もしくは1日分になります。お菜は気温が温かいと酸味が強くなるので、なるべく1日分のお菜を1束にしていくほうが美味しくたべられるのです。
この束を今年は100束( もっとあるかもしれません。とにかくたくさんです。)くらいを作ります。この作業が終わったら、お菜を洗い、土や虫を取り除きます。2度洗いしてから( 土や虫を食べてもいいよという場合は、1度洗えば十分です。)、樽にお菜をいれていきます。そういえば僕が小学生くらいの時は、お菜洗いも含め、お菜を漬けることは外でやっていました。雪が降り、冷たい水で洗っていたことを思い出します。やはり今は暖かいです。もう少し寒さが厳しくなってくれるといいのですが。話しを戻します。今年は台所でお菜を洗いました。その後、樽も台所に置き、お菜を入れていきます。1列入れたら、砂糖、こいくち醤油、酢を入れていきます。1列ごとにそれをやっていきます。樽にお菜をいれていく時、真っすぐな状態では入りきらないので、お菜を少し折り曲げて入れるのですが、「 パキッ 」とお菜が折れてしまう。霜が降りていないので、お菜が「 しなっていない 」のです。樽に入れ終わったら袋を被せて、水があがってくれるよう、重石を2つのせます。10キロくらいの重さです。これでお菜漬けは終わりです。あとは自然にお任せするしかありません。これから2ヶ月くらいで漬かってくれると思います。サラダを食べる感じで食べるのならば1ヶ月後には食べれます。来年の3月くらいまで、お菜漬けが食べられるわけです。ちなみに、もしもお菜が来年3月くらいまで残っていたらどうするか。気温が上がり、発酵が早まり、酸っぱくて食べられなくなったら、お菜を塩抜きして、茹でて味を付けて食べます。これを食べる頃は、ふきのとうが出てくる頃でしょう。厳しい寒さの冬から暖かな春へ、「 お菜と共に生きる 」。昔のかたの知恵の素晴らしさを感じる。それが「 お菜を漬ける 」ということかなと、ぬくぬく暖かい部屋で思いながら一服している今日この頃です


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8 コメント

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本格的ですね! (穂高)
2009-12-02 09:43:56
ウチでは「おはづけ(お葉漬け)」と言っていました。漬ける前のものは「お菜」。洗うのは「お菜洗い」。(
私はちょっと酸っぱくなった(なりかけ?)くらいのが好きだったのですが、最近は買ってきたものばかりなので、食べられないのが残念です。自家製でないと、発酵させられませんからね。今や、贅沢品かも!?
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「 穂高さま 」へ。 (林重光)
2009-12-02 11:56:52
コメントありがとうございます。
所変われば呼び名が変わるものなのですね。漬ける前は「 お菜 」、漬けた状態だと「 お葉漬け 」。穂高ではそう呼ぶのですね。お菜の楽しみの一つは「 味の変化 」ですよね。僕も少し酸っぱくなった状態のお菜が好きです。酸味とともに季節の移り変わりを感じることができるのは、今や贅沢なのかもしれません。その季節にしか食べられないものは( 本位は全てそうですが )、1回勝負です。お菜漬けも1回勝負。味がいまいちならば、来年までおあずけです。農家のおばあちゃんが言っていました。「 米作りして50年。まだ50回しか米を作っていない 」と。
自然物はそうなんですよね。僕もあと何回、お菜を漬けることができるのか。100回はまずないでしょうから(笑)。
自然の手入れは子育てによく似ているなと感じます。
ちなみに今朝、重石を1つ追加しました。醤油の量が足りなかったか、少々気になります。水があがってくれるといいのですが。
コメントありがとうございました
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違っていたかも (穂高)
2009-12-02 13:36:24
「お葉」と「お葉洗い」だったかもしれません。

遥か記憶の彼方……

ちなみに穂高町でどう言うのかは地元の方に聞いて下さい………
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漬物三昧。 (まる)
2009-12-03 00:37:55
ご丁寧なお返事、ありがとうございました
先生の言葉ひとつひとつ、本当に心に響きます。
声が一期一会のようなもの、というのにはっとしました。
ライヴに行くのが好きで、いつも同じライヴは二度とないから死ぬほど楽しもうと思って行くのですが、先生がおっしゃるように、「声」も同じ声は二度と出ないですよね。今まで考えたことなかったです。まだ自分の声を楽しむ余裕はないけれど、無下に自分の声が嫌いと言わずに、もっと大切に使おうと思うようになりました。たくさんのこと、ありがとうございます

私の家でも先週お菜を漬けました。
今までずっと祖母が漬けてくれていたけれど、一昨年亡くなってしまったので、以来、母と私で漬けています。
祖母にきいて味付したのに、一昨年は恐ろしくしょっぱくなってしまい、最初から塩抜きして食べることになってしまいました
敬愛するおばあちゃんの味が目標です
こどものころは漬物が嫌いでした。
でもいつからか自然に好きになっていました。
手作りの漬物には、強く人がこもっている気がします。
「お葉漬け」、私も初耳ですが、きれいな響きですね
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「米作り50年、まだ50回しか作っていない」 (上高地)
2009-12-03 11:05:52
実に良い御言葉ですね。

人生の真実を感じます。
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「 穂高さま 」へ。 (林重光)
2009-12-03 20:51:55
僕の思い込みで穂高に住んでいらっしゃるのかと思ってしまいました。申し訳ございません。
今朝、お菜の水があがりました。ホッとしました。
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「 まるさま 」へ。 (林重光)
2009-12-03 21:06:29
ライヴへ行かれるのですね。素晴らしいと思います。今はインターネットで音楽映像も見れるし、音楽も聴くことはできます。しかしこれは情報であり( 本日、書かせていただいた「 いつものようにやるということ 」に書かせていただきました )、はたしてこれは音楽といえるのだろうか、と個人的には思うのです。やはり生演奏を聴くことが音楽だと思います。ですから「 死ぬほど楽しもう! 」という気持ちがわかります。
音楽の生演奏には行けていない状態なので、僕も行きたいと思いました。ありがとうございます。

おばあちゃんのお菜、是非とも受け継いでいただきたいです。子守唄もそうですが、人から人へといつの間にか受け継がれているものです。皆が当たり前にしていることほど明文化されておらず、途絶えてしまうと、どういう風に作っていたのかがわからくなってしまいます。漬け物も子守唄と同じく、いつの間にか受け継がれていく。こういうことはとても大切だと思います。
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「 上高知さま 」へ。 (林重光)
2009-12-03 21:12:51
コメントありがとうございました。
50年と聞くと「 長いな~ 」と感じますが、50回しか、と聞くと、「 ん~なるほど~ 」と、見方によってこれだけ感じ方が変わるのかと思いました。体感されてきた方の言葉には、とても深みを感じます。
「 50回も 」ではなく「 50回しか 」と言えてしまう、おばあさんの凄さも感じました。
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