「市場のニーズに応える教育だけに存在理由がある」と信じている人たちは明治時代も彼らみたいな人たちばかりだったら、彼らが卒業した当の大学そのものが建学されはしなかったということがわからないのでしょうか。
— 内田樹 (@levinassien) 2018年6月2日 - 10:30
神戸女学院が開学したとき、二人の米人宣教師が「教えたいこと」に対する「マーケットのニーズ」は明治初年の日本には存在しませんでした。上陸の直前まで「キリスト教禁教」だったんですから、あるはずがない。でも、教えたいことがあった。そしたら、なぜか七人生徒が来た。この順番は変わりません。
— 内田樹 (@levinassien) 2018年6月2日 - 10:26
ここで私が説いている「命がけ」は、当然のことだが、あくまでも自分自身の、強い意欲によって生まれる「命がけ」である。念のため! twitter.com/ifFM7g3Cpbwxip…
— 甲野善紀 (@shouseikan) 2018年5月27日 - 03:28
怖い真実かも。
— 夏野 剛 Takeshi Natsuno (@tnatsu) 2018年5月30日 - 14:44
RT @sasakitoshinao: 恋愛は結婚がゴールだけど、お見合いは結婚がスタート地点。「インドでは恋愛結婚の離婚率は50%、お見合い結婚の離婚率はなんと5%。自由恋愛させると半分は結婚に失敗するのに、お見… twitter.com/i/web/status/1…
やる気は必要ない。やる気があってもなくても、ただ、淡々とやるのである。やる気は、それがないからやらない、という後ろ向きの説明に使われることも多い。だから、やる気は贅沢品だと思うのが良い。やる気は必要ないと断言するくらいでよい。やる気はなくても、ただ前に進めばよいのだ。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年6月2日 - 09:34