maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

番外編06 1年経過後の検査入院-3

2007-04-11 16:43:12 | 虚々実々-心筋梗塞顛末記

2007/04/06-検査入院第二日目(その2)
連れ込まれた部屋は第7処置室、新しい設備らしく、機械が小振りで威圧感が無くてエエ感じですねぇ。
去年のだだ広い大仰な仕掛けの部屋も、古いSF映画に出てきそうで、あれはあれで私は好きですけどね。
ん?この部屋にはBGMが無いんですなぁ。

「おや、右手からすると連絡した筈なのに、何故ストレチャーで来たんでしょうね?」
私に訊ねられても困るんですが、手からすると決まってたんかいな、それはありがたい♪
手からと言って安心させておいて、騙まし討ちで脚に変わるよりはズ~ッとエエけど、どこかで連絡が滞ってますねぇ。

「寝たままでゴロゴロと手術台に移れますか?」と看護師のお姉さん。
「いや普通に起き上がって移ってもらうほうが安全でしょう。」と医師。
排尿補助具のバッグを見て「あれ~、そんなのも付けて来られたんですか?」と目が笑うてるがな・・・。
く~、趣味で付けてるんや無いんでっせ、毛は剃られるし、ほんまにワヤされたなぁ。

手術台に移ると眉の濃い、中々きりっとした涼しげな目元の医師が傍に寄って来ました。
「あら、maidoさん、私救急で来られた時のチームにもいました。シンナイのKSです。」とご挨拶頂いたんです。
シンナイといっても「新内流し」のワケは無いから、多分「心臓内科」の略でしょうねぇ。

こういう風に同じ患者の検査にめぐり合うのはあまり無いんやそうです。
救急車で来た時にお世話になった救急医療チームの方々のお名前は、迂闊にもお聞きして無いなぁ。
申し訳ないけれど、そのうち1名のCCUでの主治医をしてもらった方以外は全く知らんのです。

あの時は恥ずかしながらこちらに心の余裕がなかったですわ。
皆さんのお顔で見えてるのは目だけやし、それで無うても人の顔を覚えるのが苦手ですねん。
そんなことで、お名前は聞いてないは、お顔にも全く覚えが無いんですわ・・・。

しかし、例え一方通行でも、私を知ってくれてるお方がいてはる、というのは何やら安心しますねぇ。
さすがに手早く左腕には点滴と血圧計を装着、カバーで全身被われて顔だけ出して貰って開始ですわ。
局部麻酔の針がゴリゴリと刺さり、腫れたような感じになった手首にかすかな痛みが。

グギグギと何かを押し込むような感触、イテテッ!
「痛みますか?」「はい、痛いです。」「じゃぁ麻酔を追加しましょうかね。」
又もやゴリゴリと針が刺さる厭な感じ、さすがにほとんど傷みを感じんようになったねぇ。

腕の中を何かが這いずっているような感じがするんですが、その先では全く何も感じません。
横目でモニターを見ると、カテーテルの先が心臓のところに写ってるんです。
あれが自分の心臓とは全く実感がわきませんねぇ。

「ニトロ0.12」「造影剤入ります」「気分が悪かったら言ってくださいね」
造影剤が入るとフワッと熱くなって、モニターの心臓の上の血管がくっきりと写ります。
手術台が上下左右に位置を微妙に変えて、撮影機器が円弧状のレールを移動して迫ってくるのは去年と同じ。

違うのは機械が小造りなのと、いまだに耳に残っているファンファンファンファンと尻上がりの警告音のようなのが無いんです。
「撮影します、息を吸って、はい止めて」ジジジジジ・・・、「いいですよ、楽にしてください」
「あんまり大きく息をしないで、小さな息でお願いします。カテーテルが外れますからね。」
えっ?カテーテルが外れるってどういう事やろ!

「顔を右に向けて、今度は大きく吸ってから止めてください。」
丸いサーチライトの小型のような機械が、顔スレスレに小さく唸りながら迫って来て、ジジジジジ・・・。
時々ニトロを追加しながら検査が続くんですが、ここまで来ると痛くも痒くも有りません。

「心室に造影剤を入れます。今度は量が多いですから気分が悪くなったら直ぐ言って下さいね。」
おっ、問題の壊死してる部分やがな、しかし気分が悪いくらいで済むのんやろか?
「いきますよ、」胸に熱いお湯が注がれたような感じがしたと思うと、波紋が広がるように熱い波が手足の先へ走って行きました。
どういう訳か最後に股間がカァ~ッと熱くなってお終い。

お~っ、血液が確かに身体中を廻っているという実感がしますねぇ!
「どうです気分悪くありませんか?」「はい、これは意外に快感ですねぇ。」
「はぁ、快・感、ですか?」「確かに心臓が動いて、ちゃんと血が巡っているのを感じられて気分よろしいですよ。」
「へぇ~、そういう感想は初めて聞きましたねぇ!」

やがて検査終了、カテーテルがズリズリと妙な感触を腕に残して曳き出されました。
手首に差し込まれていたらしい管(?)も、一瞬「イテッ」と思ったらもう撤去されてお終い。
KS医師に「あの状態から回復したのも凄いけど、一年後に再狭窄も他の部分も問題無し、良かったですねぇ。」と言って貰いましてね。

え~っ、そないにひどかったんかいな、ひょっとしてそれで記憶に残ってたんやろか?とあらためて驚き。
しかし検査で「問題無し」と言われて、安心すると同時にジワァ~ッと嬉しかったですわ。
止血用の圧迫止血帯(エヤーバンド)を装着して全て完了。

KS医師がストレチャーの横に付添って、出口まで来てくれました。
私は元々がビビリで、その上患者というのはナイーブになってますから、こういう風にしていただくと感激しますねぇ。
さっきまでお顔も名前も全く知らんかったのに、今はほんとにこの方にいてて貰って心強かったと思いますわ。

病棟から迎えにきてくれた看護師さんに引き渡されて15時半には帰室。
全く無駄やった排尿補助具、ケッタクソ悪いからサッサと毟り取ったろ、と思ったら痛テテテ・・・。
何と内側に相当強力な粘着剤を塗ってあるんやねぇ、危くナニが根こそぎ抜けてしまいそうやった。

何んのこっちゃ、これやったら浴衣に着替える事も、間抜けなフンドシをする事も無かったんやがな。
体温と血圧を測って、心電図用のセンサーを貼り付けてはいOK。
点滴スタンドをセット、何々80cc/h?500ccを落とすのに6時間一寸か・・・。
「ご家族に知らせてきますね。」と看護師さんは出て行きました。

別の看護師さんが現われて「何処か具合の悪いところはありませんか?」
「昼抜きやから、お腹が減りすぎて気分が悪いねん。」「ちゃんと取ってありますから、暖めて直ぐお持ちしますね。」
お~、中々ええ娘(コ)やねぇ、て餌を貰えば直ぐ懐く、食い意地の張った全く仕様の無いおっさんでっせ。

やがて持ってきてくれたのは、術後という事で、ご飯、茶碗蒸し、野菜の煮付けの小鉢と軽~い食事。
ところが待てど暮らせど、家族控え室で帰ってくるのを待機してた筈のカミさんが現われんのです。
食べるためなら、左手で箸やスプーンも扱ってお目に掛けるけど、如何せん鉢を抑える手が使えんもんねぇ。

え~っと、前回はどうやったっけ?と思い出したら、第一回目は術後19時間くらい経ってからが初めての食事。
手首の止血が完了してたので両手とも一杯管やら電線がついてたとは言うものの、曲がりなりにも使えたんですわ。
発症後12時間以上経ってから搬入されてからの処置やから、通常は食事どころか向うへ行ってしまう確率が大やってんて。
こっち側へ帰って来れただけでも上等、48時間以内に自分で食事を取れるなんてぇのは滅多に無いんやそうですね。

第二回目の時はまだ止血が完了してなかったけれど、施術部位が左手で右手が使えた。
カミさんもいててくれたんで、鉢を抑えて貰って食べたんやったね。
主治医が様子を見に来てくれまして「どうですか、痛いところや具合の悪いところは有りませんか?」

「腕の止血個所がダル痛いです。」「それは止血できるまで辛抱してもらうしかないですねぇ。」
3回目やからそれは判ってますねん、訊かれたから答えただけやんか。
「おや食事がそのままですね、食欲有りませんか?」食欲は有るんですが、この状態では1人でどうにもできんのです。
家族への連絡はどうなってるのかたずねたら、ナースコールで詰め所に聞いてくれました。

担当看護師が家族控え室に連絡するのを、慌しさに取り紛れて、コロッと忘れてたんやて。
ここの部署は、飛び入りの重症患者が上がって来たら戦争状態になるんです。
去年の私がそれで、部屋の遣り繰りなんかで皆さんに忙しい目をさしたらしいから、あんまりきつうに文句は言れへん。

検査が無事済んだ連絡なんかは、つい忘れて少々遅れても、生き死に関係無いもんね。
カミさんは私が病室に帰ってるのを知らんのやから、現われへん筈ですわ。
「終ったいう連絡が無いし、一体どうなってるんやろ?と心配しててんよ。」とボヤキながら、やっとカミさん登場しました。

2007/04/11
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