maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

白姫伝説-02 起の巻

2006-09-17 15:14:21 | 支離滅裂-迷想迷夢-白姫伝説

<お断り>
例によらず、難儀な事に記事の内容は部分的に特定の団体や個人と関係あるんですねぇ。
というのは、元ネタとして踏まえているのは、大正十三年(1924年)実際にあった出来事なんですよ。
枝葉の部分には見ていたような虚構・フィクションもございますが、幹は実話でございます。

アレレ?と思い当たられる方があったら貴方の事かもしれません。
大正十三年(1924年)生まれなら今年(2006年)82歳。
主要な登場人物は当時既に成人していたから、存命ならば100歳を超えてるでしょうね。
まさかとは思いますが、記事内容について、ご本人から訂正削除のお申し入れがあった場合は、事の如何に関らず全面的に受諾、可及的速やかに実行します。
ただし、ご本人以外の親族・係累・通りすがり等のお方からの因縁・イチャモンにはお相手しかねますので、前以てお断りして置きます。
</お断り>


前回の細切れ記事でもお判りいただけたように、何しろこの年の旱魃は田植の時期から全く雨が降らんのやから農民は困り果てたんです。
ここ北摂一帯も雨が降らん、田植は出来ん、田んぼは真っ白に乾き切って、ヒビだらけ。
いっそ移民するにも、米国で日本人の移民を締め出す為としか思えん排日条項を含む移民法が成立、行く先がない。

中国では国民党が容共・扶助工農へと方向転換、第一次国共合作が日の目を見た。
2月には英国・イタリアがソビエト政権を承認、社会主義、共産主義が勢いを得たんですねぇ。
社会主義者が先行きに絶望した農民小作人をこの時とばかりに煽って、騒動・暴動を起こす動きを治安当局は懸念。
幾ら懸念しようが、何ぼ当時の警察は力があったというても、雨まではよう降らさん。

田んぼがヒビだらけになってるくらいやから、当然畑もバクバクの砂漠状態。
キュウリ、ナスビ、カボチャなんぞ苗の段階で干物になって、サツマイモの種芋は芽を吹かんまま土の中で干イモに成り果てた。
溜池が干上がって鯉・鮒、鯰の手掴みに喜んだのは一時(イットキ)の事で、底まで干上がってしまえばそれでお終い。
いよいよ日々の食べ物にも事欠くようになって来た。

国家権力を持ってしても雨を降らせるてな事は出来んし、まして村長や町長にも出来る筈もない。
こうなったら神さん仏さんに頼むしかないと、各地の有名社寺で雨乞いすれども効果なし。
神さん仏さんみたいな他人はあてにならん、やっぱし直(ジカ)の御先祖やないと、親身になってくれへん。

近郷近在総出で八月十三日(水曜日、農暦七月十三日)に箕面連山の山すそをマンドロ(万灯篭)の火で飾ったけれど相変わらずの晴天。
いや待て待て、マンドロでお迎えしたんやから、ご先祖は今は里帰り中。
盆が終わってアッチャへ帰ったら必ずわれわれ子孫のために恵みの雨を、と藁をも縋る気持。
八月十五日(金曜日、農暦七月十五日中元節)天も焦げよとばかりに、盛大に送り火を焚いてご先祖の霊をお見送り。

さて、ご先祖さま充分な事は出来んかったが、精一杯のおもてなしはさせてもらいました。
何卒子孫の願いを聞き届けて、雨の方をよろしく、と期待をこめて空を仰げば相も変わらずのカンカン照り。
エェイ、先祖も頼りにならん、それとも送り火でほんまに天が焦げて水気が飛んでしもたのか?

自棄クソになって、
♪かんかんのう、きゅうのれす、
   きゅうはきゅうれんす、きゅうはきゅうれんれん♪
と喚いてたら、着替えがないもんで、冬の黒服のまま暑さに耐えてたカラスが、辛抱たまらずポテッと落ちて来る始末。

村人は皆日陰でハヘハヘと喘ぎながら、空を見てはため息をつくばかり。
てるてる坊主を逆さ磔にして、祈ろうが脅そうがシバこうが、雲の影形なし。
そのぎらぎらと陽光の溢れ返った中を、千里川の土手沿いに歩いてくる中年男が一人。

「あれ?佐太郎とちゃうか」と呟いたのは明石金助という百姓。
この日照りでは来年まで生き延びたとしても、青田で売った金の返済が米では出來ん。
何を売るというて有るのは田圃だけ、となれば自作から小作転落は間違いなし。
大阪へ出て働こうにも百姓仕事しか能が無いうえに、妻子に年寄り痩せた牛まで抱えていては身動きが取れぬ。

地面から立ち上る熱気の中でユラユラと揺れながら近づく姿を見れば、間違いなく母方の従兄弟の多田佐太郎。
この佐太郎、日露戦争で砲弾に吹き飛ばされたものの、どうした加減か全くの無傷で命は助かった。
郷里の香川縣大川郡に目出度く帰ってきたけれど、吹き飛ばされた時の衝撃で、脳天に変調を来たしたらしい。
見た目は全く正常、身体強健そうやのに、キラキラ光る物を見ると、体が強張ってバッタリ倒れ、なにやらうわ言を口走る。

たまたま道端で引繰り返ってる佐太郎に、同じ村の戦争で息子を亡くした婆さまが、大丈夫かと声を掛けたんやそうな。
ほんなら何と、佐太郎が我息子の名前を名乗って、その上息子の声で喋ったんじゃ、と言い出した。
ひょっとしたら、あの世と交信できるのやないか?と俄に皆の佐太郎を見る目が変わった。
当の婆さまは丸っきりの金ツンボ(聴力に障害のある)というのを、皆んな揃うてコロット忘れてたのはなんで?

明治中頃のコックリさん大流行の名残でか、世間に降霊や口寄せを信じる気分が残っていたのか。
佐太郎のは無料大サービスただし品質保証無し、それでもウチの息子を呼んでくれ、じいさんを一つと村中の人気者。
おまけに佐太郎は下戸だけに、お礼に振舞をするにも安上がり。
村の者が行った先々で面白がって話すと、近郷近在で結構な評判になり、呼ばれた先での振舞でとりあえずは食うには困らん。

たまたまそれを聞いた流れの拝み屋が、自分からマネジャー役を買って出て、有料化を図った。
金を出してでもという依頼人は、最初からその気になってるから、自分の聞きたいことが聞えた気になる。
戦没者の遺族目当てに村々を廻っての戦死者の口寄せ、交霊ショー、巡業は大当たり。

香川縣大川郡神前村何ぞ、お前と一体何の関りがあるんや?とお思いでしょうなぁ。
実は我一族(?)は一人見かけたら、そのあたりに少なくも五十人は潜んでるという・・・。 例の中央構造線沿いに散らばったイヒカ(井光、井氷河、井氷鹿)の末裔。
もっとも「イヒカ」なんてぇのは古事記、日本書記で彼奴等がかってにつけた名称で、ホントは、おっと危ない・・・。
そして、今では名前が変わっているものの、同じ大川郡にある石清水神社も元はといえば我一族関連の社。
ま、いずれにせよ今は極薄っすらとしているにせよ、いざとなれば何時でも再構築できる縁(エニシ)が有るんですなぁ。
嘘か眞か、百二十八代の歴史は伊達や無い、と言うのは勿論嘘八百でっせ、と言うておかんと。


2006/09/17

白姫伝説-00 目次


最新の画像もっと見る