原田神社は阪急岡町駅の直ぐ近くに有ります。
というよりは、旧社領の中に駅が出来たらしいです。
神社正面は能勢街道に面しています。 岡町は能勢街道(池田街道)、伊丹街道が交わるところで、その名の通り緩やかな岡になっています。
その岡の中心に原田神社が有ります。
正月、七五三以外は、商店街の真横にあるとは思えない、鳩と年寄りがいるだけの静かな境内です。
何やら由緒正しい神社と言う事ですが、詳しい事は知りませんねん。
大阪弁以外も使えることを判っていただいたところで本題です。
ここの秋祭り、人に言われるまでは、何処でもこんなもんやと思てました。
ところが、実はかなり古い形を残したお祭りやそうです。
毎年10月1日から10日間にわたって行われますねん。
初日は舞初式、2日目から7日間は、桜塚、南桜塚、岡町、岡山、上津島、原田、勝部、山ノ上、走井などの地区(昔の集落)が日を変えて布団太鼓、ダンジリ、額神輿などを担いだり、引っ張ったりして神社に参拝しますねん。
この間は、神社から、またそれぞれの集落に帰って桧舞台の9日目に備えます。
9日目は全ての神輿が、宮入と称して神社に集合、夜に入ると境内のアチコチに陣取ってで篝火を焚きます。
20時頃から、獅子頭を頭上に捧げた神官が境内を走り回ります。
それぞれの地区は、境内のあっちこっちに神輿を据えて、ご神灯を立てています。
その言わば各地区の象徴とも言える場所を、獅子が縦横無尽に駆け廻りますねん。
獅子頭を包み込むように、手に手に提灯を持った大勢の勢子(氏子)が囲み、獅子頭が近づくと、その周りの勢子は「オーッ」と声をあげて片膝をついて、獅子の足元を照らします。
残りの勢子は獅子の行く手を阻むように移動します。
獅子が近づいた篝火には藁束が放り込まれて、大きな火柱が上がります。
獅子は勢子と見物人に囲まれて、何処に居るやら姿は中々見えませんが、提灯のウェーブと篝火の炎が、獅子の居場所を知らせます。
見物人も、勢子と一緒に境内を右往左往。
縄を張って観客を整理するどころか、観客野放し、皆、獅子と一緒に薄暗い中をアッチヘドーッ、コッチへダダダッ、これが珍しいんですて。
1時間以上境内を走り回って、いよいよ最終、獅子が本殿に駆け込むんですよ。
ところが勢子が邪魔をしてなかなか入れん、鳥居と本殿前を五,六回往復しますねぇ。
さすがに、一人では保たんので、獅子は神官が交代で務めます。
最期に、提灯の群れに揉まれるようにして、本殿へ獅子が駆け込んでお終い。
何の象徴でしょうね?
この獅子神事が終ると宮出。
神社から出てゆく前に、境内を大体3周してから夫々の地区に帰っていきます。
これも、観客が自然に作った輪の中を練って行きます。
本殿の前では差す(神輿を差し上げる)パフォーマンスをやらかします。
呼吸の合い方、差してる時間、やれどこのが上手かったの、どうのと周りでうるさい事。
神輿の動きに合わせて、観客の輪が伸びたり縮んだり。
神輿が帰るとその地区から来た見物人も、粗方一緒に引き上げます
ところがドッコイ、そうは簡単に終らんのですよ。
五回も六回も廻る奴、廻り終わっても境内に居座ってる奴。
一息いれて二回目を廻る奴、一旦鳥居に向かって出て行きかけて、又戻ってくるのもおります。
トリに当たってる神輿は「もう終わりやろ」と締めの練りをしたら、休憩してたのが「まだ練り足らん」と出てきて、締めにならず、何回締めをやらされるやら。
今年なんぞは、女の子の神輿まで、二回目の練りをやってましたで。
最近は全行程を担いで帰るのではなく、適当な所からトラックに積んで帰るから、境内で完全燃焼しても大丈夫。
最期の方になると、観客が減って掛け声も寂しいなってきます。
順番はくじ引きで決めてるみたいです。
疲れ果てて最期の神輿が帰るのが、大体22時か22時半。
消防が火を消して廻って、やっとホントにお終いになるんです。
祭りそのものは翌10日目の本殿祭で閉幕です。
2002/10/10
2003/10/01 一部修正及び加筆
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