maidoの”やたけた”(ブログ版)

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五世紀の地べた-2/2(再録)

2021-10-20 05:04:53 | 支離滅裂-城市有情ー豊中

こんな埴輪が、ウチの斜め裏隣から出て来ましてん。
左の写真の真中のは、約1.2mの高さがあります、結構デカイもんでっせ。
右のは長さ約2m、こういう状態で埋まってたんです。
後ろに写ってる塀の斜め向こうが拙宅でおます。
阪急岡町駅から徒歩3分の市立伝統芸能館のロビー(というほどのもんでは無いか?)に展示して有りますねん。
ようまぁ、バラバラのカケラをうまい事復元するもんですなぁ。

以前にも書いたと思いますが、小学校で縄文時代とか弥生時代のことを習うと、その後しばらくは子供の間で、「土器拾い」が流行ってました。
発掘とちゃうんですよ、拾らうんです。
空き地やら、川岸でチョット注意したら、地表に端っこが出てますねん
ただし、何処も彼処でもというのや無うて、やっぱりポイントが有るんです。
昔のゴミ捨て場かな?
さすがに大きなのには、中々お目に掛かりません。
99%は表面も風化して、赤土色や灰色の元の形も想像出来かねるカケラ。
たまに、壺の口らしいのとか、模様が残ってるのを見つけたら、そらもう宝物。
最初は手当たり次第、だんだん集まってくると、子供ながらも目が肥えてきて、しょうも無いのはポイと捨ててました。
箱一杯集めて、友達と品評会兼、物々交換会。
ベッタン、ラムネ(ビー玉)と同じ感覚ですね。
1回だけ、模様は無いものの、チョイト大き目で、いかにも器の一部みたいなカケラを見つけた事が有るんです。
学校に持っていって、先生に見せたのが運の尽き、「調べて貰う」と取り上げられて、相当後で「あれは須恵器の高杯(タカツキ)のカケラらしいで」と教えて貰っただけ、現物は行きっぱなし。

箕面街道の桜井谷、東豊中の青池辺りでは、もっとゴロゴロ有ったらしいです。
後で知った事やけど、土器を焼いてた場所らしいですね。
ところが、その辺は校区が違う。
何となく縄張りみたいな意識があって、遠征した事は無かった。
その辺りでは、拾うというより掘り出さなイカンかったらしい。
子供が畦を壊したとか、畑を勝手に穿り返したとか、学校に苦情が来て発掘遊びはご法度になったそうです。
こっちは生産地ではない代り、小粒ながら古墳の集中してた地域だけに消費地ですがな。
おまけに岡の上で、谷と違うから、上から土が被ってない。
それでも、子供なんてなものは次の遊びが流行ると、それまで熱中してたのを、綺麗さっぱり忘れるんですねぇ。
近くで文化財の発掘調査があるまで、そんな遊びをしていたことさえ、忘れてました。
土器のカケラを入れていた、素麺の木箱も何処へ行ったやら?
影も形もありません。

今は近所に、畑や空き地などまったく無い。
池は埋められて住宅が建ったり、公園になってるし、川は飛行場の拡張で流路が変えられてしもた。
それでも、お散歩の途中で「この辺で土器拾いしたなぁ」と思い出すと、心が和むんですよ。

2002/10/28:初出(旧OCNホームページ)
2021/10/20:再録


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