引きこもり時々出もどり

埼玉県から長野県に移ったにも関わらず、転職せずに在宅勤務SOHOで仕事している土木設計者の日々。

「大人の科学」のピンホール式プラネタリウム

2005年09月28日 | 独り言
 最近、セガトイズのホームスターという、家庭用プラネタリウムが欲しくて欲しくて、玩具店とか回ったりしていたのですが、どこのお店も品切れでした。インターネットショッピングのサイトを見ても、品切れで入荷待ちだったりでした。\20,000円前後するのですが、それなりの機能で安いかな?と思うくらいです。
 で、昨日ふと本屋さんに行ったら、「大人の科学09号」という雑誌で付録にプラネタリウムが付いているものがあるではないですか!おまけに、10,000もの星が再現されていると書いてある。”おっと!”さっそく、手にし付録のつくり方を確認し、別に準備しなくてはいけないものを確認しました。その後レジへGO!\2,200円也です。20年ぶりの”学研”です。

 帰宅して、夕食後、さっそく作りました(子供が寝る時間を忘れ、傍らで見守ってくれました)。

 1時間くらいで、つくることが出来ました。恒星球という、星の配置が彫ってある正12面体を組み立てるのが少しめんどくさいのですが、電池以外は、すべて入っているのでとても親切設計です。
 子供のときって、学研の付録を組み立てるのに、ちゃんと説明書読んだ記憶がないな・・・。
otona
 組み立てたものです。あのプラネタリウムの真ん中にあるようなものに近いです。
夜10時半くらいなのに、子供はおきたまま完成を待ちわびていました。

暗くしてみるとこんな感じです。
steras
携帯のカメラなので、映りよくありませんが、部屋中に星が広がります。
1等星が大きめですが、10,000この星は爽快です。
自分は星に詳しくないので、妻にいろいろ教えてもらいました。子供も起きてたかいがあって、”面白い”といってくれました。
ただ、今朝は寝坊してました。

お手ごろ価格、お手ごろ工作で、楽しめました。









2002.09.25:ただいま!!(暫定供用版)

2005年09月25日 | カナリア諸島
行程:機上の人⇒成田

ロンドンの空港にて 
ロンドンのヒースローまでは、行きのマドリードに着いた時から、9日間、私たちのツアー参加者以外に日本人とは誰一人会いませんでした。ラスパルマスの市内で、ツアー仲間の人が現地に駐在している人に会ったそうだ。それくらい、日本人が行かない場所だと実感しました。それをロンドンに着いたとたん感じました。
 ヒースロー空港では、行きと同様、バスでターミナル間を移動します。バスに乗り込んだとたん、日本人のおばちゃん達が、リュックを背負い、帽子を被り、ぺちゃくちゃと話しています。まるで高尾山ハイキングの帰りの休日の京王線(高尾山口→高尾)見たいでした。この瞬間に、スペインモードは強制解除されました。

そして、現実へ
そして、成田へまた、長旅が始まりました。カナリアの思い出と明日からの現実が交錯します。特に、成田に着く前に時計を9時間進めたとき、入国して、携帯電話をONにしたら、たくさんのメールが入ってきました。ダブルパンチで現実にリセットされました。 そのあとは、成田エクスプレスでぐっすりでした。

これが、私達夫婦のカナリア諸島でした。



2002.09.24:さらばカナリア諸島(暫定供用版)

2005年09月24日 | カナリア諸島
行程:グランカナリア空港⇒マドリード⇒ロンドン⇒成田
 とうとう最後です
 ツアーの宿命というか、遠いところから帰らなければいけないので、ホテルを5時半に出発です。
 眠いよーというのは忘れて荷造りしました。行きより明らかに荷物が増えました。一番かさばったのは、"トイざらす"で買った、スペイン語版モノポリーとカナリア自治州地図局の衛星画像地図でした。
 とうとう終りだなーと、空港までのバスの道です。まだ朝暗い中を走っていきます。結局、"薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かばせる”ことはできませんでしたが、"海に向いたテラスでペンは走らせる"ことは出来ました。
 必ずまた来たいと思いました。次回来るときは、スペイン語をもっと使えるように頑張ろう。

 カナリア諸島の人々
 お店に入ると、やはりアジアの人間は珍しいらしく、"どこから来た""中国人か?日本人か?"と聞いてきます。
ちょうど、2002FIFAワールドカップの日韓共同開催の年で、サッカー大好きスペイン人なので興味があったようでした。ただ、予選で韓国に負け、早々に姿を消していたので、日本は好きだけど韓国は…と言っていました。
 お互いに英語が母国語ではないので、お互いブロークンな英語でコミュニケーションが出来るので気軽で良いです。自分より、はるかに上手ですが。こっちも、店でこう聞くときはスペイン語でなんと言うの?と聞いたり、結構楽しいものでした。
 でも、キンチョーの連続です。

 スペインといえばロエベ
 スペインに行ったら、革製品で有名なロエベで財布でも買おうと思っていたのですが、今までの行程上どこにもありませんでした。帰りのマドリードの空港の免税店のなかにやっと見つけました。待ち時間があったので、結構いろいろなブランドの店に入り、買い物しました。結局、なんだかんだでカナリア諸島内よりも、ここで一番買い物したような…。地元にお金を落としていない結果でした。


2002.09.23:ラスパルマスでお買い物(暫定供用版)

2005年09月23日 | カナリア諸島
行程:ラスパルマス市内

そろそろこの旅行もおしまいに近いのです。大都市を巡って、ブランド物買ったりとかというわけではないので、ほとんど買い物をしていませんでした。
 カナリア諸島では、EUの本土エリアよりも消費税が安いようで、ここに来るヨーロッパの人が電化製品などの高額品を買って帰るそうです。

エルコルテイングレス
 スペイン全土のデパートです。この大都会島にはあります。日本のデパートと同じ、それなりのブランド品の衣料、生鮮食品、生活用品から、なぜか自動車用品など、ハンズチックなものまでいろいろありました。
 コンダクターさんから、ここでは免税があるので買い物のときに戻し税等を店に聞いてくださいといわれていました。ですので、日本よりかなり安いフェラガモのネクタイを数本買って、定員さんに支払のときに片言の英語で、"免税はどうすればいいの?"と聞いたら大変なことになりました。そんなに高額でないので、数百円くらいだと思うので別にいいかな?と思ったのですが、勢いで聞いてしまいました。
まず、"Tax free"の意味がわからないらしいのです。スペイン語で免税が出てこないので、英語で通していたら、
"ちょっと待ってくれ、今英語がわかるやつ連れてくるから"ということで別の店員さんが出てきました。
で、しょうがないので同じ事をまた話したら、
"俺じゃ判らないから、英語判るやつのカウンターに電話してやる"となり、内線電話に…
受話器の向こうから流暢な英語で怒涛の攻撃!!何をいっているか判らん!!
結局、"すんません"と電話を切ってしまいました。

結局、戻し税は無くて、最初から消費税率が安いということでした。

ラスカンテラス通り
 ラスパルマスの市街の砂嘴のような地形の西側に海岸が広がっています。ここは、ホテルやみやげ物やといった、日本でも海辺のリゾートと同様な光景が広がっています。
kanteras
夕暮れのカンテラス海岸、奥にテネリフェが見えます。

kanteras2
カンテラス海岸(毎朝、砂浜を整地しているようです。)


 砂浜沿いには、幅員10mほどの歩道が整備され、一日中ラフな格好の観光客が行き来しています。もちろん、泳げる砂浜ですし、遊具のある公園があったり飲食店・商店が並んだりしています。電化製品のお店が多いのです。日本の電気店とは異なり、ウィンド越しに商品が並んでいます。なんとなんく、質屋サンのような感じがしてしまいました。
 笑える品物として、FUJIという"日本ブランド"のポータブルCD(約30ユーロ安い!!)などのばったものがあちこちにあったり、店の人に聞いたら、品物と正札がずれていたりして適当さが面白いとこでした。
 
 相変わらず、シエスタの週間があるので、昼ごはんの後で散歩しながらしまっている店のウインドショッピングをして、めぼしを着け、再度チャレンジ!という感じでした。

 カナリア諸島に行く前に、この島に1ヶ月生活した記録をまとめた「南欧リゾートに暮らす―家族4人が月30万円以内で過すヨーロッパ・リゾート案内(右側にリンクあります)」の筆者がこのカンテラス海岸近くに住んでいて、本文の写真と同じだ!!とうれしくなってしまいました。


2002.09.22:グランカナリア半周の旅(暫定供用版)

2005年09月22日 | カナリア諸島
行程:ラスパルマス⇒マスパロマス⇒テルデ⇒サンマテオ

大都会島
 グランカナリア島はラスパルマスを中心としたカナリアで一番人口の多い島です。おまけに70万人ほどのこの島で38万人の人がラスパルマスに住んでいるそうです。
 なんといっても、この街には、エル コルテ イングレスと言うスペイン全土をカバーするデパートがあります。グランカナリアの人は、テネリフェの比較をするときに都会さを表すときに言うそうです。
Dr.スランプ的に言うと、大都会島です。
 日本でも、浦和と大宮、長野と松本、高崎と前橋のおらがまち自慢と同じです。

コロンブスとカナリア諸島
 ラスパルマスのベゲタ地区にはアメリカ発見のコロンブスにまつわるものがあります。コロンブスの家が博物館になっています。やはり中庭がある洋式です。
 旧市街地は石畳と白を基調とした、壁の家が印象的です。この地区には、1478年に初めてこの島に作られた、教会があります。begeta
ベゲタ地区の大聖堂

この日後で訪れたテルデと共に古い町並みの家の壁にある、ぎざぎざの模様が、きれいです。
giza

マスパロマス砂丘
 乾燥した、東海岸を南下すると、マスパロマスと言うリゾート都市に着きます。ここは海岸沿いに砂丘が広がっています。日本の砂浜と比べると黄色い感じがします。これまでテネリフェやゴメラ島の砂浜を見ると、黒っぽい色で、小石の海岸です。ラスパルマスのホテル前のカンテラス海岸同様、グランカナリア島に来たら、急に砂の色が変わったので島の成り立ちについても興味が出てしまいました。いつか調べます。
masparomas

砂丘と言えば、鳥取砂丘には行った事がないので、なんともいえませんが、九十九里浜や浜松の中田島砂丘と比べると、広く、起伏があるので、砂漠と言う感じがします。

テルデ
 ラスパルマスの南側にある、この街は、15世紀にスペイン人が入植して最初に街づくりが行われた場所です。この中でも、サンフランシスコ地区という最も古い地区を散策しました。川を見下ろす、広場がとてもきれいでした。川と言っても、ふだんは水が流れていません。
plaza
修道院前の広場

 そういえば、カナリア諸島では、飲料水を得るのが大変で、海水を飲料水に変える淡水化装置を使っています。イスラエルの技術で淡水化されているそうです。ホテルの洗面台の蛇口の脇には、この水は、普通の水の何倍もコストがかかっていますと書いてありました。

 テルデについてのコンダクターさんメモ
 
石畳に並ぶ家々の壁や玄関には、大きな十字架がかけられています。これは、家を守る魔よけのような役割を果たすものだそうですが、当時、いざベル女王とフェルナンド国王によるスペイン統一に伴い、カトリック信仰に勢いが付いていた時代背景がうかがえます。


plaza

 旅行もそろそろ終りに近くなっています。でも、お土産とか名物とかこの時点では、あまり買っていませんでした。



2002.09.21:ゴメラ⇒テネリフェ⇒グランカナリア(暫定供用版)

2005年09月21日 | カナリア諸島
行程:ゴメラ島(プラヤデサンチアゴ⇒サンセバスチャン)⇒テネリフェ島(ロスクリスチャノス⇒サンクリストバルデラグーナ)⇒グランカナリア島(ラスパルマス)

サンクリストバル デ ラ ラグーナ
 午前の高速船で一度テネリフェに戻り、夕方の飛行機でグランカナリアに行きました。ゴメラ島からは、直接グランカナリアに行かないようです。ですので、南部のロスクリスチャノスに来たルートを戻る感じです。
 この後のグランカナリアも同様なのですが、島の南側がとにかく乾燥している気候なのです。ガイドさんの話によると、国際線が入るのは、島の南側の空港になり、海外から”常春”ということで来たツアー客は、非常にがっかり?不安?になるそうです。
 この日は、サンクリストバル デ ラ ラグーナに寄りました。ここの旧市街地は、世界文化遺産に登録されています。

コンダクターさんの旅メモです。
この街は、スペイン人が入植した15~19世紀までカナリア諸島の中心都市でした(~1822年)。この町は交易の場として大きく栄え16世紀の町並みが保存状態良く残されている。新大陸発見後の南米の街づくりにとても影響を与えている。現在では、文教都市として大学の街として賑わっているそうです。

 
 ここでは、バロック様式の邸宅や美しい町並みを見ることが出来ます。
 centro
 街の中の風景です。それぞれの建物は、大抵商店になっているのですが、歩道上に看板等が占用されていないので、すっきりしています。

 大きい邸宅には、中庭(パティオ)を持っており、外の喧騒とはうって変わって大きなギャップがありました。道路からは、中庭があるなんて思えない感じです。ここでは、大きな教会があるのですが、残念ながら改修中で入ることが出来ませんでした。
patio
邸宅の中にある中庭(市街地の中の小さなオアシスです)

市場 MERCADO
 この街で、メルカード(市場)に立寄りました。アデランタド広場に面したこの市場は、食料品なら何でも揃っているところです。果物や野菜が山積になっていたり、肉や、ソーセージなどが天井から紐でぶる下がっていたり(生肉コーナーは、臭いが独特でした)。日本の商店では、なかなか言い表せない感じです。
 ユーロに切り替わって結構経っていたはずですが、ペセタ表示が併記されているのが印象的というか(地方的というか)。日本のほうに、ひざくらいの高さに品物が並んでいると言うものではなく、山積みされた品物の内側に一段高いカウンター越しにモノを買うという感じ(寿司屋のカウンターでオレンジ買う)でした。移動の途中なので、サフランなどの細かいものだけ買い物しました。言葉があまり判らないと、買い物一つ気合が入ってしまいます。




2002.09.20:ゴメラ島探検

2005年09月20日 | カナリア諸島
行程:ガラホナイ国立公園⇒島内反時計回り

ガラホナイ国立公園
 ゴメラ島2日目はガラホナイ国立公園のハイキングでした。ガラホナイ山1487mを中心とした約4000haの公園です。
ホテルからバスでぐんぐん上っていきます。昨日のメモでもあったように平地では、乾燥した気候なのですが高度を増すと湿潤になります。海からの貿易風と大陸からの風の影響のようです。カナリア諸島の気候は、特徴があるので、もう少し調べてここでまた書きたいと思います。
 ここは、世界自然遺産に登録されています。国立公園が近づくと、乾燥している周辺がうそのように鬱蒼とした森が広がります。この森は、月桂樹の仲間を中心とした群落になっているそうです。私たちが行ったときもサンセバスチャンの町は、断水が1日のうち殆どが断水していると言っていましたのでこのギャップに驚いてしまいます。
garajonay
ガラホナイ国立公園

国立公園なので、日本同様(逆かな)ビジターセンターに立寄ると、国立公園の概要、島の自然、暮らし等の情報を得ることが出来ます。

ガラホナイの名前の由来は、以下のような感じです。(コンダクターの旅メモより引用)
ガラとホナイのお話
 昔、テネリフェ島にホナイという王子がおり、ずっとゴメラ島にいくことを夢見ていた。ある日、ヤギの胃袋を浮き輪にして半日かけて泳いで海を渡り、何とかゴメラ島に到着したが、ホナイは疲れ果てていた。
 そこでゴメラ等の娘ガラが介抱して元気になった。そして二人は恋に落ちたが、周囲は大反対。駆け落ちを決意した二人は村から離れて愛の逃避行に出るが、行き着くところまで行き、山の上から二人は逃げることが出来なくなった。
 そして二人は心中を決意し、一本の木でガラの背中から心臓を刺し、次にホナイの心臓から背中を貫通させて、二人は、十字架のように重なり合って、亡くなった。


テイデ山はゴメラのものだそうな
 スペイン最高峰のテイデ山は、ゴメラの人はテイデ山はゴメラのものだというそうな。これは、ゴメラ島からテイデ山が非常によく見えるのだ。たしかにテネリフェからも良く見えるのだが、こちらからだとちょっと離れているので、非常にきれいな形の山影が確認できる。ちょうど私達が行った時は、月がきれいで、月が海に映り、山が映り、非常にきれいでした。
teide
ゴメラ島から見たテイデ山

椰子の木
 ゴメラ島では、椰子の木があちこちに植えられています。ガイドさんの話では、各戸に植えるように指導されているそうです。この椰子の木から、あまーいあまーいシロップが取れ、特産品になっているそうです。椰子の実ではなく、椰子の樹液で出来ているそうです。
palmera
島の西部のセルカード村の入口

gran_rey
VALLE GRAN REY(王の谷)といわれる 侵食された谷 
こうなると、円形の島でも周回道路は出来そうもない・・・。





爆弾ハンバーグ不発

2005年09月19日 | インポート
 妻の実家から、長野道、上信越道と乗り継いできました。松井田妙義あたりから、断続的に渋滞が始まり、藤岡の手前で完全に嵐山まで繋がっているようなので藤岡で降りました。お盆の頃より混んでいた気がしました。254経由で途中、神川町で梨の直売所に寄ったり、小川町のヤオコーに寄ったりしているうちにお腹が…。東松山IC近くでいつも気になっていた、サラエボ、爆弾ハンバーグ、インド料理店のうち、子供も大好きハンバーグに決定!入りました。でも、結構混んでいてウェイティングでおまけに爆弾ハンバーグが品切れでした。  メニューに写真があるものの、どんなものか判らずでした。  別のものを頼みましたが、ボリュームたっぷりでした。メニューが面白く、注文までにやたら時間をかけてしまいました。  次回は爆弾リターンズかインド料理店か?


3連休のまんなか

2005年09月18日 | インポート
今週末、来週末と3連休です。3連休の中日は、何も考えなくていいので◎です。今週末は妻の実家に来ています。なのでカナリア旅行記は昨日三日分アップしました。今日は特にテレビも視ず、時計もしない生活です。  今日は、松本空港の脇の公園で家族で飛行機の発着を見たり、アスレチックで遊びました。湿度は低いが暑かった。Mai-chinも大はしゃぎでした。親として満足。  公園脇では、フリーマーケットをやっており、覗いてみたら、うちら夫婦の披露宴で使用し、その後おいっこにねだられ、持っていかれた同じニャッキがいました。すかさずゲットです。フリマでの初めての買い物がニャッキでした。 そういえば、披露宴で使った、ニャッキは初めてヤフーオークションで買ったものでした。M君にお願いしたのですが、彼のヤフオク履歴にはニャッキが二匹…。 
200509181920.jpg



2002.09.19:テネリフェ⇒ゴメラ島(暫定供用版)

2005年09月17日 | カナリア諸島
行程:プエルト デ ラ クルズ⇒オロタバ⇒ロス クリスチャノス⇒FRED OLSEN⇒ゴメラ島(サン セバスチャン)⇒プラヤ デ サンチアゴ

ドイツ人のおばあちゃん 
今日は、TenerifeからLa Gomeraへ移動のため、朝から大きい荷物を持って移動です。チェックアウトを済ませて、ロビーで待っていると、年のころは80歳くらいのおばあちゃんが話しかけてきた。
”私はドイツから来たけど、あなたはどこ?”
"日本からです”と妻が答えると”
”あなたはインドネシア?”
”俺?”は
 確かに日焼けして、丸い眼鏡かけていたけど・・・ドイツから見てみると、インドネシアも日本も同じなのかな?そのおばあちゃんは、カナリアには4度目だそうです。ここにはドイツ人が多く来るようで、近所のレストランにも西語、英語、独語で書いてありました。若い頃、日本にも来た事あるようで富士山や新幹線の話をしました。
 おまけに、ホテルのロビーで”君が代”を一緒に歌ってしまいました。National Songと聞かれて、はじめ何のことかわからず、”君が代”が出てくるまで、時間がかかってしまいました。”また会いましょう”と言って分かれました。一緒のツアーの人から知り合い?とか言われてしまいました。
 TenerifeからLa Gomeraへの移動は南部のLos Chrischanosという町から高速船で移動です。途中オロタバという町並みを見て、移動です。この街は、道路や広場に砂などで絵を書くお祭りがあるそうです。
 島の東海岸に出ると急に気候が変わり、乾燥した砂漠地帯です。市街地は、植樹帯や道路の法面に灌水用のパイプを張り巡らしスプリンクラーで緑化しています。ブーゲンビリアの花があちこちに咲いていました。でも、その他は砂漠のようです。
 小高い丘陵では、風力発電用の風車が何本も建っていました。”カナリア諸島にて”では、”風は動かない”と歌っていたけれど、風を受けて発電していました。

ゴメラはみんな中央へ
 ゴメラ島への高速船は、以前ブログで書いたので省略します。
 ゴメラ島は、Tenerifeとうって変わって人口も少なく小さな円形の島です。船が付いたサンセバスチャンは、島の東側、そしてホテルのあるプラヤデサンチアゴは島のにあり、バスで移動です。地形は、平地がなく椀を伏せたような形で侵食(長期的な)が進み、谷がたくさん出来ているようです。そして谷底に町が出来ています。
 おまけに、島を周回する道路がないため、隣町(隣谷)に行くためには、谷筋に走り、島の中心まで登って行って隣の谷筋を降りるというような感じです。まるで、お皿の上にヒトデを乗っけたようなイメージです。直線距離は15kmくらいなのに、倍位の道のりがかかります。
 この島は、不思議な気候の島で高度が上がるほど樹木が繁ってくるというところです。ですので、バスに乗っていくとだんだん緑が濃くなっていきました。
 
指笛で会話
 この夜に地元の民族舞踊などを鑑賞しました。この島では、昔は通信手段として、指笛という手段で遠く離れた地点での会話をしていたらしい。音を出して、合図するという程度ではなく、本当に会話をしているかのようです。建物の外にいる人に、”何番目の人の帽子に何かがあるよ。”と会話のような指笛で発生すると、外から入って来た人が、ちゃんと指定した物を持った人に立つというのをやってもらいました。
 現在では出来る人が高齢化で減少しているようですが、学校の授業でとり入れているようです。前述のように谷が深いので、谷筋を音が通り抜けたりして、音が遠くまで伝わるのでしょうか。


2002.09.18:テイデ山(暫定供用版)

2005年09月17日 | カナリア諸島
行程:テネリフェ島内 テイデ山⇒プエルト デ ラクルズ市内

パラドール
カナリア諸島初めての朝を迎えました。カナリアを旅行して珍しく、日本語に遭遇しました。それは、備え付け金庫でした。日本製のようで、使用方法に複数の言葉で書かれていました。
 それはさておき、今日はスペイン最高峰のテイデ山観光です。テイデ山については、以前このブログで紹介したとおりなので割愛します。
 登山後にLAS CANADAS DEL TEIDEというパラドールに行きました。パラドールと聞いて、自分の中ではお城や宮殿を改造したホテルのことだと思っていたので、どんな建築物なのか非常にわくわくしていました。でも、着いてみたら高原の保養施設のような感じでした。本来のパラドールはスペイン国営のホテルチェーンのことだそうです。街中の一角にあったり、超リゾートホテルのようなものまでいろいろあるようです。参考までに、パラドールの日本の代理店のリンクつなげます。でも、中のつくりはとてもしっかりしていて、重厚感が漂うところでした。ここを拠点にして、テイデのカルデラにどっぷり浸かるものいいかなと思います。



2002.09.17:マドリード⇒テネリフェ

2005年09月17日 | カナリア諸島
行程:マドリード空港⇒IB⇒テネリフェ北空港(Los Rodeos)⇒サンタクルズ(Santa Cruz de Tenerife)⇒プエルト デ ラ クルズ(Pueruto de La Cruz)
マドリード空港にて
 旅慣れぬ旅の二日目。カナリア諸島へはマドリードからさらに乗り継ぐこと2時間半でした。朝早いマドリード空港で、1時間くらい自由時間がありました。今回の旅行は、現地のガイドブックが全然なかったりだったので売店で本を買おうと思って、成田で両替した100ユーロを差し出したら、受け取ってくれない。
 どうやら、朝市で高額紙幣を出したから釣を出したがらないのでした。日本ならそんなことないよなーと思いながら、ただ、なんと言っていいいか判らず、泣く泣く両替しに行くことになりました。ただ、両替ってどうするんだ?両替機もないし、コンダクターとは離れてしまったし・・・。
 しょうがないのでインフォメーションに言って、”両替所ってどこ(正確には、両替所の単語が出てこなかったので、100ユーロを10ユーロに変えたいのですが?と聞いた)”聞いたら、とてつもなく遠い。やっとこさで両替所について、"100ユーロを10ユーロに変えて"と言ったら、”50と10で勘弁してくれ”と言われた。まったくもうこの国は・・・。という、スペイン初日でした。

カナリア諸島へ!
 気分を取り直して、今度はIB(イベリア航空です)で念願のカナリア諸島へ出発です。国内線になるので、昨日とはうって変わってスペイン人が多く乗っていました。陽気な人が明らかに多い。おまけにうるさい。子供は全員はしゃいでいました。みんなどうしてあんなに笑顔がかわせるのか、日本人も見習わないと。

 カナリア諸島は、主に7つの島で成り立っています。今回は、その内3つ テネリフェ(Tenerife)、ゴメラ(La Gomera)、グランカナリア(Gran Canaria)の順番でまわりました。

まずは、テネリフェの国内線の発着する島の北側の空港ではじめの一歩でした。
 カナリア諸島は、常春ということで温暖なところと聞いていました。でも着いてみるとびっくりしました。低地は緑が生い茂っているのに、山を見るととても荒涼としています。まるで、はげ山のようです。空港から、島第一の都市である、サンタクルズ(Santa Cruz de Tenerife)に立ち寄りました。この街は19万人の人口を有す県庁所在地で、周辺にも数万人規模の都市が点在しています。道路も4から6車線で整備され、自動車やバスもひっきりなしに走っています。鉄道がない分、バスが公共交通の主体のようです。
plaza_de_eapana
サンタクルズのスペイン広場




 カナリアでは、スペイン本土では少なくなってきたシエスタという午後昼寝をするために1:00~4:00pmを休業する習慣が多く残っているようで、ちょどそんな時間帯に到着しました。
 Tenerife島では、島の北部のプエルト デ ラ クルズ(Pueruto de La Cruz)というリゾート都市での宿泊でした。Tenerifeでは島の北部や西部が湿潤な気候となっていて、バナナ等の栽培が多く見られました。その反面、南部では荒涼とした乾燥地帯となっていて、まったく気候が違うことが明らかでした。


2002.09.16:成田⇒マドリード

2005年09月16日 | カナリア諸島
行程:成田⇒(BA)⇒ロンドン⇒(BA)⇒マドリード(泊)
ツアーで良かった
 初めてのヨーロッパでした。スペインへは直行便はなく、途中で乗り継がねばなりません。で、今回のツアーはブリテッィシュエアー(BA)の飛行機でしたのでロンドン経由でした。BAの飛行機なのに、国内線のように日本人が殆どでした。ロンドンのヒースロー空港からマドリード行きに乗り継ぐのですが、この空港が大きい!バスでターミナルを移動します。5分くらい乗っていたのでしょうか。空港の中のはずですが、信号があったり、すぐ脇には空港外の一般道があったりで、ロンドンの街中を走っているような錯覚になりました。
 バスを降りると今度はマドリード行きの乗継ぎです。アナウンスは英語だし(聞き取れない)、書いてあるのも英語だし(理解するには時間がかかるし)・・・。正直個人旅行ではこの乗継が出来るのやら・・・。ツアーだとコンダクターの方が連れて行ってくれるので、安心しきっていました。個人だと24時間緊張モードだったと思います。
 マドリード行きのターミナルに行くと、今度は今までのがうそのように日本人がいません。他の乗客も少なく静かでした。ガラス張りのターミナルはちょうど夕焼けの西日が差し込んできれいでした。日本と同じ西日でした。当たり前か…。
 ロンドンからマドリードもBAでした。上空に上がると西の空の地平線にオレンジのラインが出来ていてとてもきれいでした。CAの人は男性が多く、自分で見ても、かっこいいなと思いました。仕草、仕事がとても紳士的な人でした。ただ、飛行機が古いのと機内食が・・・。固いパンとポテチ・・・。んーーー。
 マドリードまでは約3時間半。空港はなんだか階段が多く、荷物転がしているよりも、抱えているほうが多かったような印象があります。広告の看板見ても”y”とか”de” とか急に見慣れないものに変わっていました。yって何だ?スペイン語はローマ字読みって聞いていたけど、読めないじゃん。BAだったせいか、自分自身をラテンモードに切替忘れていました。
 入国審査は適当にあっさりと。ラテンの国々はこんなものかと思ってしまいました。"turismo"とか"sightseeing"とか言う暇もなく、お国入りでした。
 正直緊張気味で、時差ぼけ発生する余裕すらありませんでした。
 ちなみに y は"イ"とよみ"and" de は"デ"と読み"~の"という意味です。


カナリア諸島旅行 出発3周年記念

2005年09月15日 | カナリア諸島
 ブログの資料用に押入れをあけて資料探していました。そしたら、3年前の9月16日出発してたことが判明。というわけで、明日から旅行スケジュールに沿って、カナリア諸島旅行記を書きたいと思います。旅行に行ったときは、特に日記をつけておらず、旅行会社からもらったスケジュール帳にメモを残した程度でした。今回は、それを頼りに思い出し書きします。また頼もしい味方として、コンダクターの方から頂いた詳細な旅日記を参考にしたいと思います(パクりません)。
 
 今日は、プロローグとして旅行以前の話をちょっとだけ。
カナリア諸島の思いは、子どもの頃聞いた、大滝詠一の”カナリア諸島にて”の曲に始まります。元々島に行くのが好きでしたので、どんな場所かなーと憧れがありました。歌詞に”風も動かぁなぁぁぁい”というところで、時間が止まるくらいゆったりしたところという妄想を抱いて、行ってみたいなと思ってました。
おまけに、”新婚旅行どこ行きたい?”と妻に聞いたら、
”カナリア諸島とか・・・・・・”えっ?
”なにーーーーーっ”
”決定!”ということで決まりました。でも、妻はなぜカナリア諸島を選んだかは不明です。でも感謝です。

 場所を決めたのはいいのですが、”遠い””ツアーがない””現地情報がない”nの三重苦状態でした。
 遠いというのは、しょうがないのですが、スペイン自体に直行便がないため、最初からツアーで行こうということにしました。
ツアーもほとんどなく当時、唯一グローバルユースビューローという旅行会社のツアーがありました。早速電話して聞いてみたら、最小催行人員に達していないようで、いつ出発できるかわからないということでした。でも、9月なら出発できそうだということで、申し込みました。最小催行人員は10人なのに…それも集まらない場所とは?と不安になりました。でも、大学の後輩から、グローバルはいいよと教えてもらい、一安心です。
 そして最後の現地情報は、インターネットを駆使して、カナリア諸島に旅行をしたことがある人の旅行記を探したり、英語のサイトから、翻訳ソフトを使用して不思議な日本語に変換されたものを見たりしてやっとこさ情報を見つけました。地球の歩き方でさえ、全然載っていないので、だんだん不安になってきました。
 そんなこんなで、9月の出発を迎えました。
結局、”常春””ドイツ人が多い””マグロが採れる”という情報だけで旅行が始まりました。
IMGA0014




 


カナリア諸島でもドコモダケ?

2005年09月15日 | カナリア諸島
 今朝の新聞めくっていたら、な・なんとカナリア諸島の文字が!DoCoMoの国際ローミングの広告でした。カナリア諸島でもDoCoMoの携帯番号が使えるそうだ(N900iGという機種ならばその携帯使用可らしい)。自分の古いFomaではダメらしい。
 ラス パルマス(Las Palmas)やサンタ クルズ(Santa Cruz de Tenerife)から、テレビ電話で会話や動画が見られるのかな?カナリア諸島は、日本の遠洋漁業の補給基地になっているので、漁業関係者が立ち寄ることが多いところです。なので、このような人達が持っていると、日本にいる家族とかとコミュニケーションがとれていいのかなーと思います。
 国は、スペインなので、本土の通信会社のサービスエリアなので簡単にローミングが出来るのだと思います。3年前に自分が行ったときも現地ではたくさんの人が使っていました。NOKIAのやつが多かったと思います。また、i-modeのような機能は使っていないようでした。なので、結構シンプルな携帯でした。おまけに元祖Nみたいに折れないやつ。
 EUの圏内って他国の行き来が簡単に、盛んに出来ると思うのですが、携帯電話とかも同じEU圏内で共通なのでしょうか?日本だとエリア別に携帯通信会社があるけど、同じ様な感覚で使えるのでしょうか?
 カナリア諸島の文字を見つけてちょっといいことあるかも・・・。なんて思ってしまいました。そのうち、自分の携帯で何の手続きもなく海外で会話やメールが出来るようになるんでしょうね。そして、全人類的に親指タコができちゃったりして。