赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴🔹【延喜式 50巻】⇒伊勢神宮外宮神官家[度合延経]の【神名帳考証】に見える「延喜式内社赤丸浅井神社」と愛知県中嶋郡に鎮座する二ヵ所の「延喜式内社浅井神社」!!

2021-04-15 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸
●【五位庄53ケ村惣社 延喜式内赤丸浅井神社】





■【浅井神社】は全国に数ヵ所、同名の神社が在る。
【延喜式 50巻】を調べると「延喜式神名帳」には三ケ所の「浅井神社」が在り、その内の二社は「尾張国中嶋郡」の愛知県一宮市浅井町、愛知県稲沢市浅井町に在る。






■「赤丸浅井神社」の祭神は、近江国浅井郡の「矢合神社」に祀られる「大河に祀られる水の江の神」の「八河江比売」だが、愛知県の二ヵ所の「延喜式内社浅井神社」の祭神は、「赤丸浅井神社」の摂社の「石堤浅井神社」や福岡町木舟の「貴船神社」の祭神と同じく、農耕地に張り巡らされた「水路の神」の「水波之女命 ミズハノメノミコト」で在る。(※この神のミズハとは、小便が飛び散る様を表すと云う。)

「古事記」



■「延喜式内社赤丸浅井神社」には、この他の主祭神として、天皇家が祀る「皇室八神」の内の【高御産霊神タカミウブスナノカミ(※高木神)】を祀る。この「高木神」は、国産みの時に神々を地上に派遣された「指令神」で在り、この時に「天孫降臨」が行われた、



■「伊勢神宮外宮」の神官家の「度会延経」は、その著作の「神名帳考証」で、「延喜式内社赤丸浅井神社」を取り上げ、「浅井とは浅井神社在れば成り」として、元々、この神社は赤丸村の「浅井谷」に祀られた近江の古代氏族「浅井氏」の神を祀ったものだろうと指摘している。
元々、越中利波(砺波)郡の郡司一族の「利波臣」は、その先祖を福井県敦賀市の「敦賀臣」と同族とされており、「赤丸浅井神社」の祭神で在る、出雲の「大国主命」の息子の嫁に当たる「八河江比売神」は、福井県敦賀市等の福井県嶺南地方から近江の琵琶湖周辺に栄えた古代氏族「浅井氏」と密接な神で在ったと見られる。






■では何故、尾張国一宮や稲沢に「浅井神社」が祀られたかを検証すると、愛知県のこの二社は愛知県の大河の「木曽川」、「長良川」、「揖斐川」の木曽三川 の地域に祀られ、その上流は飛騨高山を分水嶺として、越中の小矢部川、庄川とも源流を同じくしており、「赤丸浅井神社」の近くの小矢部川と庄川の合流地点に在ったと云う「阿古ケ淵、阿光ケ淵(吾子ケ淵)」と言う水郷には、水の神の「龍神伝説」が在り、一方、尾張国の「浅井神社」の祭神は一般的には「龍神」が祭神で在ると言われていたと云う。



■「古事記」では「八俣遠呂智」と言う八頭八尾の大蛇は「高志国」に住んだとされる。







■又、「延喜式内社赤丸浅井神社」を中興された聖武天皇の義弟の「石川朝臣広成」は、母代わりの「元正天皇」の命により「親王任国制度に基ずいて西国33ケ国を統治された」事が「赤丸浅井神社由緒」に記載される。元正天皇は歴代天皇とは異なり、美濃国に行宮を設けて、全国の国司や郡司を集めた祭祀を執り行われたとも伝わり、越中の郡司達も飛騨街道から美濃に赴いたと見られる。
この当時は、政治の中心が伊勢神宮にも近い美濃国に在った様で、「元正天皇」が美濃に入られた時に観光地にもなっている「養老滝」を命名されたと云う。
「浅井神社」の信仰は、この様な「水神」、「龍神」に対する信仰として、小矢部川から長良川の水系に拡がったものと見られる。
《※【親王任国制度】役職が少ない時に、「全ての天皇の子は親王とする」(※大宝律令・養老律令解釈「令義解 レイノギゲ」)として、国司の上に多数の国を統治する「太宰府 ダザイフ」を設けて、その責任者に任命した。》



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