赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴 📃 伊勢の「度合神道」に記録される「国造本紀」と越中(※高志国)の古代氏族。⇒皇室、伊勢神宮と高志国の菅笠文化!!

2018-12-13 | æ—§ç”ºå 富山県西礪波郡福岡町赤丸
●「延喜式神名帳」と[度合延経]の「神名帳考証」に見える「延喜式内社赤丸浅井神社」と
「先代旧事本紀」(※1673年、寛文13年/延宝元年、度合延佳 著)の「国造本紀」の記載!

■「延喜式神名帳」記載の「越中」の延喜式内社。


■「神名帳考証」(※度合延経)記載の「延喜式内社赤丸浅井神社」





■江戸時代の学者・神官の「度合延経」は「神名帳考証」の中で滋賀県の琵琶湖周辺に祀られる矢合神社が「八河江比売」を祀っている事から、この「浅井」は琵琶湖周辺に繁栄した近江の浅井氏との関連を仄めかしている。一方、古代姓氏研究の宝賀氏の関係されている古代氏族研究会の発表の中に【・物部宿祢(浅井-近江国浅井郡人、この同族は藤原姓あるいは橘姓と称するもの多く、本姓は物部とみられるが不明点も多い。脇坂-同州浅井郡脇坂庄より起る、武家華族。大野木、三田村、赤尾、田屋、礒谷、今木、山本-近江の浅井一族。奥村-尾張人で赤尾同族。小堀-近江国坂田郡小堀村より起る。川瀬-近江国犬上郡人。なお、浅井家臣の八田、岩橋、岩田、岩坪、脇坂、中島、浅井、木村の諸氏は、祭祀関係からみて同族だった可能性がある)、物部浄志朝臣、中原朝臣(物部宿祢改姓)。】と記載されており、近江浅井氏は物部氏とされている。高岡市の東海老坂には「延喜式内社物部神社」が在り、物部氏族菅家党の末裔の加賀前田家はこの物部神社を金沢に勘請して、氷見の阿尾城に在った神明社と併せて金沢市高岡町に「尾山神社」として祀っている。
又、この記載の物部氏についての記載の中に「岩坪」や「中島」、「赤尾」と言う氏族名が見られる。高岡市の国吉校下には「岩坪」と云う地域が在り、「国吉小史」等でも古くから栄えた集落らしく、岩坪の集落の中に古い「舘跡」とされる場所が今も残されている。又、赤丸村には「赤尾」と言う一族が在り、国吉村には古くからの名家とされる「中島庄官家」が残されている。更に、国吉から石堤、赤丸村にかけては数多くの「中島家」がある。古書には「浅井とは浅井神社在ればなり」と記載されており、延喜式神名帳には「アサイノ アサイジンジャ 」とフリカナが付けられている。と云う事からすると、古代には赤丸清水山の麓の谷間に「浅井一族」が住み、或いは「浅井」と言う地名で在ったと見られる。赤丸浅井城城主中山氏の末裔である性宗寺住職に拠ると、「元々、浅井神社がある浅井谷の入口に木の大きな柱を二本建てて、自然の神を祀ったのが始めで在り、それが後に「鳥居」になった」と説明されている。古い「赤丸浅井神社の鳥居」は二本の柱を支える支え木が付けられており、コレが元々の両部神道の鳥居で在ったと云う。浅井神社は「元正天皇二宮創建」と伝わるが、実際にはそれ以前の古い時代から在った神社であると「浅井神社由緒」は伝えている。

■又、「赤丸浅井城」を居城とした「越中石黒氏」はその系図では【越中石黒氏は元々は藤原氏で在ったがその後、加賀の林氏(藤原氏)と縁組して、更に越中の古代氏族の「利波臣」の名跡を継いだ】事が系図から読み取れる。
「利波臣」は系図からすると「蘇我氏」の家系の「射水臣同族」とされたり、「古事記」では「高志利波臣」の末裔とされたりしている。
伊勢神宮外宮の豊受皇太神宮の神官「度合延佳」の著作「先代旧事本紀」の「国造本紀」では、「射水臣」の祖は「蘇我氏」とされている。
【※伊弥頭国造 イミズノクニツコ⇒志賀高穴穂朝(成務天皇)の御世に宗我同祖の建内足尼の孫の大河音足尼を国造に定める】(※足尼=宿弥)

又、「高志国造 コシノクニツコ」については「屋主田心命の三世孫市入命」を祖とすると云う。「利波臣」は「古事記」では「高志利波臣」の子孫とされているが、「国造本紀」では全く別の氏族を祖とすると云う。
★「彦屋主田心命 ヒコヤヌシタココロノミコト」は「北陸道将軍大彦命の子」・「彦背立大稲輿命の子」。「伊賀臣」、「阿閉間人臣」、「道公」等の祖。
⇒越中で「彦屋主田心命」を祭神とする神社
・道神社 富山県射水市作道1846
・中川熊野神社 富山県高岡市中川本町7-3











■「国造本紀」には「高志深江臣」が記載されている。
現在、大阪市深江の笠縫村に大和国から移り住んだ氏族が在り、この氏族は「天皇祭祀」や伊勢神宮の「式年遷宮」等で使用される「菅の御笠」を縫う事ができる一族で在り、以前は菅の生産も行っていたが、近年は菅の生産は富山県高岡市福岡町一帯でしか生産されず「無形重要文化財」にも指定されており、一帯で生産された「菅」が大阪市の深江に送られてそこで菅笠に縫製して皇室や伊勢神宮に奉納されている。
「高志国」に「高志深江臣」が古代氏族として存在した事から、元々は菅笠は「高志国」から奉納されていたものだろうか?
大阪市東成区深江の「深江稲荷神社」(大阪市 東成区深江南)には、「深江は 笠縫氏の居住地で大和の笠縫邑から移住してきた」と伝えられる。



■元々は「高志国」で在った福井県からは「継体天皇」も輩出している事から、古代から「高志国」と天皇家、伊勢神道には深い繋がりが在ったものだうか?
越中の菅笠は「伊勢国から越中五位庄に移り住んだ大野源作」等が伝えたと言われるが、「菅」は古くから北陸の湖沼や河川敷に自生していた事から、「菅笠」の生産はもっと古い時代から生産されていたものではないだろうか?

▼「大野源作」の子孫の「大野次平」は加賀藩時代に五位庄赤丸村の小矢部川河川敷に移住して「向野新村」を開拓し、その地域は「次平島」と呼ばれ、向野新村に残るその子孫は25代目で在ると言う。
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