
●【赤丸浅井城】
室町幕府守護【畠山持国】の居城(※「畠山文書」羽曳野資料叢書)として記載される。
その父親の室町幕府管領【畠山満家】は、【足利義持】が「五位庄」 を足利家菩提寺の【等持院】へ寄進した時に、「その底地は畠山満家に預け置かれた」(※「等持院常住記録」)とされる。




■「足利義満」の母方が「越中蜷川氏」の子孫に当たる事から、「蜷川新右衛門親当」は足利義満の側近「万所代」に取立てられて、越中国では「新川郡」と「利波郡」を知行された。
「越中守護畠山持国」の居城の「赤丸浅井城」は利波郡五位庄に在る。
🔽「蜷川家文書」に記載される「政所代蜷川新右衛門親元」から「守護代神保氏」への文書


■「川人山鞍馬寺」、「赤丸浅井神社」の神前で「赤丸住の藤原直家」が父の十三回忌、十七回忌の法要を営んでいる。その時に法要を勤めたのは、越中蜷川氏(※室町幕府政所代蜷川新右衛門)の菩提寺【最勝寺】(※富山市蜷川)を建てた臨済宗「亀阜豊樹」で在った。この「藤原直家」の「父」は、「興福寺大乗院寺社雜事記」に拠れば、【畠山義就】の子供の「畠山修羅法師」と見られる。「興福寺」は藤原氏の菩提寺で畠山修羅法師の子供は興福寺宗徒で武将の「古市(藤原)胤栄」に預けられて育ったと云う。
(※「富山県史中世」)
