赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

💠🔹【剣豪 斎藤弥九郎】 高岡市周辺の観光地「西山歴史街道」の『三千坊山』と幕末の剣豪『斉藤弥九郎』の故郷!!

2021-04-17 | 富山県高岡市
●越中出身の剣豪『斉藤弥九郎』




■富山県氷見市仏生寺は『斉藤弥九郎』のふるさと。
三百近くの寺院が在ったと伝わり、今も跡地が山中に残る修験道のメッカで、上杉謙信に多くの僧が惨殺された三千坊山。その麓に仏生寺というがある。高岡市からは国吉村の山間の道を進むと到達する。集落の入口に看板がある。
その村では、謙信の襲撃で三千坊山から流れ出る水が僧達の血で真紅に染まったと云う。
この村が『斉藤弥九郎』の生地で、今も子孫が住む山里。
斉藤弥九郎は、越中石黒氏の同族の加賀林氏の分流で、加賀富樫氏の末裔で在り、越前斉藤氏の流れを汲み、藤原一族。一向一揆に敗れた加賀朝日城の富樫一族が落ち延び、この山中に住み着いたとか?
故郷の氷見市には弥九郎の研究者も居られる様だが、高岡市では余り耳にする事も少なく、数年前に高岡市福岡歴史民俗資料館の「西山歴史街道をゆく 展」で展示された、高岡市岩坪で発見された「斉藤弥九郎の縁者へ宛てた手紙」位しかお目にかかっていない。
貧しい百姓に生まれ、長じて高岡市の商家に奉公して苦学し、やがて大志を抱いて江戸に向かい、剣を研いて幕末の剣豪と呼ばれた。
高岡市からは、国吉からこの仏生寺を過ぎて少し行けば庭園が有名な蓮如所縁の「浄土真宗光久寺」に着く。この庭園は「志」を寄進して拝観する事ができる。






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