■青蓮院門跡は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つで、「後鳥羽上皇」の中宮「任子」や摂関家「九条兼実」の一族の「慈円」は「愚菅抄」を著して有名だが、この藤原氏の名門の「慈円」は越中の「福田庄」を庄園としていた。
この記録の原本は京都市のホームページに在る青蓮院記録の「華頂要略」で確認できる。(※「慈鎮和尚」とは「慈園」の事。)
■この隣接地は「後鳥羽上皇」の庄園「越中吉岡庄」で在り、氷見市から射水市にかけては、兄弟の「九条兼実」が創建した「東福寺」の庄園が広がっていた。越中國の東條保、河口保、曾祢保、八代等保 は「藤原道家」が寄進して東福寺領と成り、小矢部市に在った藤原道家の庄園の宮嶋保は国庫に返還された。 東條・河口・曽祢・八代等の保は 米100石で地頭が管理する事で地頭が連名で藤原道家に請状を提出した。(※「吾妻鏡」)