赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

💠「古事記」と【越中利波臣】・【越中石黒氏】の祖先【大毘古命】(大彦命)⇒大化の改新前の高志国!!

2021-02-08 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸




(※「ふくおかの飛鳥時代を考える」福岡町教育委員会、「富山県 高岡市の文化財」高岡市教育委員会監修、「日本の古典 古事記」集英社 「古代びと野望のあと 日本史の舞台1」集英社 参照)




■「古事記」に拠れば第八代孝元天皇の子に「大毘古命」が見える。この人物は崇神天皇の伯父で、九代開花天皇の兄に当たる人物で、大和国家生成期の有名な将軍である。第十代崇神天皇(紀元前九十七年即位~三十年退位)は畿内地方を勢力下に治め引き続き周辺国の征伐に向かおうとしていた。崇仁天皇即位後十年目(紀元前八十八年九月一日)に伯父の「大彦命」を北陸道の征討将軍として、また武淳川別彦(タケヌカワワケノミコト)を東海道に、吉備津彦命(キビツヒコノミコト)を山陽道に、丹波道主命(タンバミチヌシノミコト)を山陰道に征討将軍として派遣された。これは「四道将軍の派遣」として大和朝廷拡大の時の大きな出来事である。この事は「古事記 中巻」に記載されており、大彦命が高志国に向かおうとして山城国に来た時、少女達が崇神天皇の暗殺を仄めかす歌を歌っている事に驚き崇神天皇に上奏して、大彦命の諸兄建波邇安王(タケハニヤスノ)の反乱と告げてこれを撃破した事が載っている。
又、富山県では富山藩士野崎伝助が書いた「喚起泉達録」とその孫の野崎政明がその後を継いで「肯構泉達録」を著し、富山県の古代の記録に挑戦した。昭和45年富山県郷土会は「肯構泉達録」の刊行を行い、「喚起泉達録」は平成十五年に桂書房から刊行された。更に、富山県郷土会では「古事記」「喚起泉達録」を基礎として高志の国の古代を探る物語として平成十六年「とやま古事記 越の大乱」を刊行されている。
この時代の事は「夢物語」と感じられようが、実は埼玉県の稲荷山古墳から「大彦の子孫」の銘が入った鉄剣が出土しているのである。この鉄剣は「大彦」から八代目の「乎獲居臣」(オワケノオミ)が所持したものとその銘に記されている。
大和朝廷の拡大の時期の貴重な品であり、大化の改新前の混沌とした「大乱」の爪痕を見る事ができる。
赤丸の「城ケ平横穴古墳」等からは、大量の人骨と鉄剣が出土し、赤丸からは貴人が用いたであろう「冠頭太刀」の冠頭部分が出土しており、これと同種の剣が兵庫県から出土している。この事は大和朝廷の近くに居た人物と匹敵する人物が赤丸村で亡くなった事を意味する。
木組みの古代の構造物が出土して全国で話題になった桜谷遺跡の発掘物が在る小矢部市の博物館には珍しい「古代人の鎧や武具」が陳列されている。これ等の武具はまさにこの大和朝廷の大乱、越の大乱の時のものと見られる。この時期に富山県の西山一帯に大和朝廷の軍が配備された事を意味する。赤丸浅井神社の祭神「八河江比賣神」や南砺市の高瀬神社の祭神「大己貴命(大国主命)」は何れも出雲系の神であり、出雲系の神々が残されたのは大和朝廷と出雲勢力が何れかの時点で和合し、大和朝廷の占領政策の中でそれらの神々が崇敬された事を意味する。この事は第二次世界大戦で戦勝国が日本の神仏を廃棄せず、融合を図った事と似ている。大和朝廷は占領した蝦夷や出雲系の民族を柔軟に、時には軍事で威嚇しながら徐々に大和朝廷に取り込んで行った経過の一部がこれらの事から推察できる。現在、我々が知る歴史は古くても大和朝廷が占領した後の歴史である。大和朝廷は土着の民族を懐柔して融合し、支配し、先住民の歴史、文化を徹底的に消し去ったであろう。この事は権力者が変わる度に繰り返され、戦国期や明治維新、近年では大戦での敗北、市町村合併の推進により吸収された民族の文化は占領した民族の都合の良いように書き換えられてきた。残念なのはいつの世も「近代化」の名の下に弱者や支配された民族の文化が完膚無きまでに消し去られ、その跡には深々とした雑草が繁る世界が残るしか無い事だ。

■「大彦命」の名前が刻まれる天正元年作の「木船城」の鎮守「貴船神社」の「御神体」!!
元々、赤丸村に在った高岡市関町の「衆徳山総持寺」には、「貴船神社」の「御神体」と伝える(※「蓑のしずく」福岡町佐伯氏著作)「石像」が遺されている。そこには【大彦命】と見られる銘が彫り込まれている。「越中石黒氏」は古代の天皇「孝霊天皇」の末裔と言われ、「古事記」には「高志利波臣」が記載されている。
「木船城」は「越中石黒氏」の居城で在ったが、天正年間に城主一族が「織田信長」に暗殺されて滅んでいる。「織田信長」は「越中石黒氏」が「上杉謙信」に内通しているとして石黒一族を近江へ呼び出して、途中で「丹羽長秀」に暗殺させた。その後、「木船城」へは配下の「佐々成政」の家老「佐々平左衛門」が城代として入った。

🔽「蓑のしずく」


🔽【源平盛衰記】にも登場する「石黒光弘」の居城「木船城」


🔽「木船城」の鎮守「貴船神社」の御神体と言われる「石像」


■「赤丸城ヶ平山」には古代、「大和朝廷」の武器と言われる「頭槌カブツチの太刀」等の多数の武器や遺骨が遺されていた。(※東京国立博物館所蔵)


■富山県で初めての通史と言われる富山藩士野崎伝助が書いた「喚起泉達録」とその孫の野崎政明が記した「肯構泉達録」




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