赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

💠🏯 加賀藩(金沢市)に見える「越中石黒氏」の痕跡⇒「金沢武蔵ケ辻」の由緒!!

2021-02-15 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸
金沢市で第一号の「金沢武蔵ケ辻再開発」と、越中石黒氏の末裔「武蔵氏」!!


「金沢古跡史」に見える「石黒氏」の由緒!!



■金沢市の繁華街に『武蔵ケ辻』がある。ここは、有名な近江町市場の向かい側の街で、昔、大火で焼けた跡地にバナナの燻製倉庫が建ち並んでいたが、昭和48年に再開発されて、街全体が『金沢武蔵ケ辻再開発ビル』として、名鉄スカイホテルと名鉄丸越百貨店を核として、現在価額で約380億円(※開発時の当時の金額で約38億円)が投下された。ここには昔は、高峰譲吉の屋敷等が有り、広大な倉庫跡地を掘削すると、金沢城からの排水管(戸室石と言う石をくり貫いて繋いだもの)が沢山掘り出され、貴重な能登産の「亀甲石」と言う庭石や、沢山の「銭」がビッシリと詰まった大きな壺等が地中から発掘され、金沢市の教育委員会に持ち込まれた。
金沢市の地誌に「金沢古跡史」と言う書物がある。この書物をみて大変驚いた。なんと、この「武蔵」とは「石黒氏」の仮の名で、京都の伏見から前田利家に着いて金沢に入り、利家の御用商人として仕えたと言うのだ。

【※「越中石黒氏」は姻戚筋の金沢の「林氏」等と共に「後鳥羽上皇」が起こした「承久の乱」で上皇側として戦い京都へ攻め登り、敢えなく上皇の翻意で謀反人とされる。その為、一部は越中に戻り、一部は越前迄来てそこで止まり越前朝倉氏の家臣になったと言う。石黒氏の居城が在った「越中吉岡庄」はその時には「後鳥羽上皇の庄園の吉岡庄」であった。上皇側は圧倒的な幕府軍に敗れて、石黒氏や林氏の一族は降参したと云う。この後には、幕府側に付いた「林氏」の分家筋の「冨樫氏」が代わって勢力を持ったと言う。
又、別の石黒氏の系統は、南北朝の争乱の時に名古屋の如意郷に如意城を構えて「長谷川」と名を代えていた一族もおり、この一族は、織田信長、豊臣秀吉、前田利家に仕え、後に徳川家康に仕官している一族もいた。】

■後に、この「武蔵氏」は「石黒」に復姓して、その当主の「石黒権兵衛」が暴漢に襲われて亡くなった経緯もこの書物に詳しく書かれている。とすると、何と、発掘された沢山の「銭」が詰まった大甕や、埋められた奇石は、何と、この「石黒家」の屋敷跡から発掘されていたのだ!!


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