■【行基】の事跡を刻む墓誌【大僧正舎利瓶記】には、「僧行基の本姓は《高志氏》」と刻まれ、[北陸三県]の【高志国】に密接な氏族と見られる。
富山県を中心に繁栄した「越中石黒氏」は、その家系を遡ると「高志利波臣」(※「古事記」)と成り、【行基】と同じく【本姓高志氏】となる。
🔽「東大寺大仏造営の時に米五千石を寄進して越中国司に任じられた利波臣志留志」(※「重要文化財東大寺庄園図」)
■【延喜式内社赤丸浅井神社】は「僧行基の創建で敷地内に庵を建てたのが寺院の始まり」と「川人山三社誌」は伝え、その後、この庵に白山修験道の「泰澄」が入ったと云う。これが三井寺派本山派修験道「聖護院」の末寺の【川人山鞍馬寺】となって、隆盛期には「赤丸浅井神社」、「石堤浅井神社、「舞谷八幡宮」を抱える【三社権現形式】と成り、周辺には「浅井神社48坊」と呼ばれた寺院群を抱えた一大宗教施設になっていたと云う。
「赤丸浅井神社」を鎮守とした【赤丸浅井城】は「東大寺大仏造営に貢献した利波臣の末裔、【越中石黒氏】が累代居城とした」と伝えられ、後々にも「五位庄惣社」と伝えられた「赤丸浅井神社」は、元々、「利波臣」の所領で在った「利波郡」の中心鎮守社で在ったと見られる。