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●木舟城・赤丸浅井城の城主石黒重之が南朝の興国三年に、後醍醐天皇の皇子の宗良親王を御迎えし、各所に南朝の支持者を求めて潜行された。牧野に御入りになった親王は、赤丸城ケ平の「親王屋敷」に入られ、近くの「極楽谷」に「極楽寺」を創建されたと伝わる。この時には、赤丸浅井城・赤丸浅井神社を中心とする「越中吉岡庄」は父君の「後醍醐天皇」の庄園で在った。「越中宮極楽寺由緒」には「この間、赤丸村に在った。」と記載される。「越中吉岡庄」は、元々、後白河上皇の「後院領」で在ったが、後醍醐天皇迄、皇室領として伝領された。
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(※「明治時代の公図」高岡地方法務局所蔵)
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■「越中吉岡庄」は「後白河上皇」・「後鳥羽上皇」から南北朝時代の「後醍醐天皇」の時代迄、皇室領として続いた。南北朝時代の興国三年には「後醍醐天皇」の第八皇子「宗良親王」が赤丸城ケ平山の「親王屋敷」に入られ、「極楽谷」に「極楽寺」を創建された。
■「歴代、吉岡庄領主」⇒「後白河上皇」・「後鳥羽上皇」~「後醍醐天皇」
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■明治維新は「後醍醐天皇」の天皇親政を目指した。
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■「宗良親王」は「赤丸浅井城」に入城され、南朝軍を鼓舞された。
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■「宗良親王」は「熊野社」を信仰され、「赤丸浅井城」の背後には「熊野社」を祀られた。高岡法務局公図にはその「社地」の記載が在り、この「熊野社」は現在、「赤丸浅井神社」に合祀されている。
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■「射水郡誌」には、宗良親王が牧野に入られた時に親王を護衛して常に奉仕したのは「牧野太郎二と云い、この人物は木舟城を築いた石黒太郎光弘の後裔の牧野氏なるべし」と記載している。従って、木舟城、赤丸浅井城には石黒重之の手の者が、牧野には「牧野氏」が入っていたものと見られる。赤丸村には赤丸浅井城、極楽寺跡に近く「親王屋敷跡」が在り、親王は将軍としてあちこちの軍営を鼓舞されて転戦、巡行された時に、ある時には「馬」で、ある時には「與車ヨシャ」と呼ばれる牛車に乗られたものと見られ、「越中宮極楽寺由緒」には「高岡市の御車祭り」で使用される二輪の車はこの時に宗良親王が使用された「御車」を使っていると云う。その為に、二番町の山車だけは、二輪車で在り、飾り付けは宗良親王が信仰された「熊野社の鳥居にヤタカラスが二羽留まっている」形のものだとしている。従って、この祭りが始まる前には役員が正装して極楽寺に拝礼してから出発するのだと云う。
しかし、高岡市では、いつの間にか『この祭りは豊臣秀吉が後陽成天皇を御迎えした時の「鳳輦 ホウレン」と言う人が担ぐ輿を前田利家が拝領し、利長がそれを市民に与えたもの』と家臣や有力町人により喧伝されて引き継がれ、現在の「高岡市」もこの説を採用して引かない。
■「高岡市史」には宗良親王は妙法院院主、比叡山座主を歴任されたので、越中に入られた時には先ず、妙法院院領の「福田庄」に入られたとする。しかし、興国三年には「妙法院院主」は北朝の親王に代わっており、これは疑わしい。しかし、それ以前に「福田庄」は極楽寺庄園になっていた時期が在る事から、親王がこの地域に入られたと言うのは、「極楽寺」に入られた事を指すのではないか?
(※「国立歴史民俗博物館庄園データーベース」参照)
(※「鎌倉遺文 巻4 1974号 P58 慈鎮和尚……… 」参照)
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■「越中宮極楽寺」、『宗良親王像』(※福岡町木舟の石黒家所蔵)、高岡市二番町の二輪の山車(熊野社の鳥居とヤタガラス)
《写真は二番町の山車》
■『二番町の曳山』【鉾留: 桐本座は千枚分銅(唯一人形ではない)。唐垣地幕は緋羅紗地剣梅鉢紋。 本金糸刺繍囃子。 還城楽(囃し方・枇杷首)。高さ 約9m、重さ 約2.5t】
⇒本座人形は無し。屋台前部に守護神を「熊野権現」とする「熊野神社」の朱塗りの鳥居があり、二羽の烏が留まる。7基の山車の内、唯一車輪が二輪である(直径 2.05m)。
4月30日の宵祭りには二番町のみ、神を迎える神事として提灯を手に、長持ちを担ぎ神様を迎え入れる。(※Wikipedia)
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■「越中宮極楽寺」の熊野権現の厨子
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■「後陽成天皇聚楽第行幸絵図」⇒後陽成天皇が「聚楽第」行幸の時には「鳳輦 ホウレン」と呼ばれる「輿 コシ」に乗られている。
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■【※鳳輦(ホウレン)は「屋根に鳳凰の飾りのある天子の輿」の事。人達が担ぐ乗物で、日本では「天皇」の正式な乗物を意味する。現代の神社の祭りに使用されている鳳凰の飾りがある「神輿」(ミコシ)は同じ形をしている。牛に引かせた「牛車 ギッシャ」は正式には「與車 ヨシャ」と呼び、車に乗る時には後ろから踏台を使用して乗り、降りる時には必ず牛を外して前から踏台を使用して降りる定めが在ったと言う。関白、親王、妃等の人達の乗物。(※「與車考」有職故實)】
■京都葵祭りの「曳山」⇒神々が降臨される木等の植物を中央に建てた四輪車。引き回す「御神輿」の形。神々は杉や笹等の植物、或いは岩等の「自然物」に降臨される所から、地鎮祭等の神事でも必ず使用される。
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■高岡市博労町の極楽寺由緒(絶版)に「元赤丸村に在った事」「高岡市の曳山に宗良親王の御座車の部品が利用されている事」等、興味深い事実が記載される。この極楽寺は、元、赤丸村の城ケ平山の「極楽谷」に創建されたと伝わり、赤丸城の中腹には「宗良親王屋敷跡」も史跡として残されている。この由緒は「極楽寺由緒編纂委員会」が昭和11年に発行したが、この原版は残されていない。
東京大学 史料編纂所 図書室( 東京都文京区本郷7-3-1)に「越中宮安養山守山極樂寺略縁起」(安養山守山極樂寺編、越中宮極樂寺史編纂所、 1936.9)が残されるのみ。この書籍は、全国を探した結果、大阪に1冊発見された。郷土の真実の歴史研究の為に公開したい。
■「越中宮極楽寺」
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■毎年5月1日に行われる高岡市の「曳き山祭り」では、「越中宮極楽寺」に役員が拝礼に立ち寄る。この「曳き山」の「大八車」には後醍醐天皇の「第八皇子宗良親王」の御座車が使用されている事から、先ず、宗良親王に拝礼するのだと「極楽寺由緒」に伝わる。
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■富山県高岡市福岡町赤丸に残る「越中宮極楽寺」創建の遺跡位置。
この場所は「赤丸城ケ平」に在り、この山の命名については、「城ケ平山」(※「赤丸名勝誌」)として、 【傳説には建武二年後醍醐天皇第八皇子比地に御殿を築かせ給ひ御遷殿の御歌に「城かきをきつき八重かき平らかに このうへなきや乗り合ひの里」上句の城平二字を取り城ケ平と名け給ひしとぞ 】 と記載されている。
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■下記に「極楽寺由緒」の全編を公開する。高岡市の真実の歴史がどうなのかは御自身で確認されたい。
「越中宮安養山守山極楽寺 由緒」(※高岡市博労町校下)
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