-
自分の殻(から)すなわち限界を認める
(2021-02-27 01:52:46 | 日記)
過去を振り返って、ぼくには殻すなわち限界があったと、痛切に感じる。あの限界がな... -
他を評価する者は「最後の審判」を受ける
(2021-02-28 03:42:52 | 日記)
「評価することは、評価されることより なお おそろしい」、と、ジャン・コクトー... -
はじめての、二月のつつじの開花
(2021-02-28 15:39:51 | 日記)
きのう、はじめて二月のつつじ(前はさつきと呼んでいた)の花の蕾をみつけ、びっくり... -
ブログ開設から333日
(2021-03-02 23:50:58 | 日記)
333日の記念に、昨年と今年のきょう書いた文を記す。生は常に外的信と内的信の分水... -
3月3日の節句のために
(2021-03-03 14:05:22 | 日記)
-
きみの演奏の、聴者の理解を超える完璧さ
(2021-03-03 23:57:50 | 日記)
ぼくは以前、きみの演奏は完璧とはどのようなものかを知らせてくれる、と書いたけれど... -
羽田裕美さん
(2021-03-05 02:17:57 | 日記)
(インディーズアルバムに収録されてい... -
「少ないながら星に似た人間がいる」 星の不動
(2021-03-06 10:10:38 | 日記)
・「少ないながら星に似た人間がいる」 星の不動ヘッセは『シッダルタ』で、「少ない... -
「なんらかの内面の静謐を獲得しようとするたたかいは歴史を貫いてある」 '18
(2021-03-06 17:37:55 | 日記)
図らずも、ヘッセの『シッダルタ』とチャールズ・モーガンの『泉』は同じ精神課題をか... -
十日たっても新鮮な早咲きのつつじ花
(2021-03-10 14:35:27 | 日記)
先月の末に早咲きしたつつじの花、十日たったいまでも変わらず生きいきと咲いています... -
ヘルダーリン詩「ディオティーマの守護霊に」
(2021-03-21 01:15:52 | 日記)
岩波文庫「ヘルダーリン詩集」21頁 彼の潔癖さ... -
図録『高田博厚彫刻展「思索する指」』(1992年) より
(2021-03-22 03:01:31 | 日記)
この動きのない作品は、絶品であるとぼくは思う。作れと言われて作れるものではない。... -
ぼくの世界観のまとめ
(2021-03-24 17:46:11 | 日記)
繰り返し一貫して言ってきた、神と創造主は異なる、ということだ。高田さんもこれに気... -
陽光のなかの白つつじ
(2021-03-26 14:37:45 | 日記)
きょう午後 -
きょうの花
(2021-03-27 19:05:22 | 日記)
-
最善の事と行為、という内実肯定
(2021-04-04 21:57:50 | 日記)
試行錯誤と偶然の渦のなかに生きているようであっても、ぼくにとって最善のことしか... -
セザール・フランクを日本でなぜ演奏しない
(2021-04-06 17:55:30 | 日記)
セザール・フランクは交響曲ニ短調だけ... -
きみの「BEST+3」
(2021-04-08 23:23:22 | 日記)
裕美ちゃん、いま、きみの「BEST+3」を通して聴いたところです。そして、このア... -
聴く側の修練こそ必要
(2021-04-18 21:31:03 | 日記)
裕美ちゃん、きみの「BEST+3」を聴く境地に気づいて以来、きみの演奏の聴き方が... -
””「高田博厚における神」 2013.2.11 筆ほか””
(2021-04-24 03:58:03 | 日記)
高田博厚 芸術論いまの状況においてこそ読むべき価値をもつ重要論考である。 ぼくの...