チベット・ラサは今no1.
チベット・ラサは今no2.
写真は青蔵鉄道車両内に掲出される走行地点の海抜である。
産経新聞2009.9.22付けの表記記事に触発されて思い出したことが二つある。
その一つは青蔵鉄道でチベットへ流入する漢民族の乗客達の傍若無人な振る舞いとマナーの悪さである。
二つ目にはチベットの独自の伝統文化とダライラマを渇仰する宗教心の篤さは中国共産党政権の意図に反して弾圧されればされる程強固になるであろうという思いである。
その一つについては青蔵鉄道試乗記に以下の如く感想を記述している。
平成19年5月22日(火)
今日は今回の旅行の目玉である青蔵鉄道でゴルムドからラサまで1142kmを駆け抜ける列車の旅である。
まだ暗い中をゴルムドの駅に到着すると駅舎の中では撮影禁止だと言う。添乗員の説明では写真撮影可能と聞いていたのでがっかりする。見渡しても撮影禁止の標識はどこにも見当たらない。
制服制帽に身を包んだ駅舎係員の気分で今日は撮影禁止にしたのではないかとの疑念が湧いてくる。公務員の権威主義を見る思いであった。
7時13分に到着した電車は7時33分には発車した。ポーターの若い男性3人が汗を流しながらスーツケースを運び込み昇降口のあいた空間に24個の荷物を積み重ねてくれたので助かった。
硬座の指定席なのに我々の座席の上の網棚は大きな荷物で占領されており手荷物を置く隙間もない。
それでも現地ガイドのペルマさんが喧嘩腰で目にあまる大きな荷物を三個程移動してくれたので手荷物をやっと網棚に乗せることができた。
列車が発車すると給湯室へ水筒やカップラーメンを手にした現地人乗客たちの往来がひっきりなしに始まる。
窓側の席には小さなテーブルが設置されているがここもカップラーメンの容器や水筒で占領され尽くしていて、外国人は使用できない。
更に手洗いに行くために隣の車両を通り抜けようとすると勇気がいる。座席に寝転んで足を投げ出しているものや通路に足を投げ出して平然としている。しかも向日葵の種やその他の種類の皮を所構わず吹き捨てるのである。
公共施設を利用するマナーが全然できていない。中国人民の公徳心の欠如にはほとほと驚かされてしまった。こんな状態で北京オリンピックが開催できるのであろうか。出発して暫くは窓の外の景色はかすんでおり、残念ながら玉珠峰(6178m)や崑崙山脈や崑崙峠(4767m)はかすんでいてはっきり目撃できなかった。
それでも午後からは雲一つない紺碧の空が現れ名も判らぬ山々を隋所に見ることができた。
まだ雪の残っている荒野や砂漠を駆けぬけながら、夕闇迫る頃電車はラサ駅に滑り込んで15時間に及ぶ青蔵鉄道の旅は終わった。
この間食堂車で昼と夕と二回の食事を摂ったが、時間帯を予め決められた予約制になっており、追い立てられるようにして食べる食事は美味しいものではなかった。
この列車の印象はもう二度と乗りたくはないとの一言に尽きる。
二つ目については次の三個のURLで記述し掲載している写真にみられる民衆の篤い宗教心である。
掲載した写真に見られる如くお寺に参集した善男善女の宗教心には篤いものが窺われる。
ポタラ宮の観光は1日2300人(グループ1800人+個人と信者500人)に制限されており見学時間も当局の指定した時間内で終了しなければならないからこの機会を逃したら二度と見学することが出来ないと言う思いも心に拍車をかけた。
ガイドの話によれば入場券を闇で販売するダフ屋も横行しているらしい。
ポタラ宮に入場して先ず驚いたのは顔を覆面で隠し、杖を片手にお題目を唱えながら小刻みに動いている現地人信者の集団である。
そこには宗教的な熱気のようなものが迸りでていた。
チベットは様式文化の国であり個性の発揮は疎んじられる。タンカの制作は定められた通りの形状に定められた通りの描法で描かなければならない。
チベットに伝えられるタンカ等の芸術的な名作には作者の署名がないので誰が作成したものか不明のものが沢山ある。
個性が疎んじられるからチベットには伝記が残されていない。そして墓がない。
遺体は鳥葬に付され骨は土に混ぜて土偶にし峠などに放置され土に返るのを待つことが多い。
遺体は川に流されることもあるので、魚は遺体を食べていると信じており魚を食べることを嫌う人が多い。
空気が乾燥しているので入浴の習慣がない。
中国政府はチベット人民を奴隷社会から解放したと宣伝するがチベット人の本心は政治・宗教の権限を持つダライ・ラマ制度の復活を心密かに待ち望んでいる。
チベット・ラサは今no2.
写真は青蔵鉄道車両内に掲出される走行地点の海抜である。
産経新聞2009.9.22付けの表記記事に触発されて思い出したことが二つある。
その一つは青蔵鉄道でチベットへ流入する漢民族の乗客達の傍若無人な振る舞いとマナーの悪さである。
二つ目にはチベットの独自の伝統文化とダライラマを渇仰する宗教心の篤さは中国共産党政権の意図に反して弾圧されればされる程強固になるであろうという思いである。
その一つについては青蔵鉄道試乗記に以下の如く感想を記述している。
平成19年5月22日(火)
今日は今回の旅行の目玉である青蔵鉄道でゴルムドからラサまで1142kmを駆け抜ける列車の旅である。
まだ暗い中をゴルムドの駅に到着すると駅舎の中では撮影禁止だと言う。添乗員の説明では写真撮影可能と聞いていたのでがっかりする。見渡しても撮影禁止の標識はどこにも見当たらない。
制服制帽に身を包んだ駅舎係員の気分で今日は撮影禁止にしたのではないかとの疑念が湧いてくる。公務員の権威主義を見る思いであった。
7時13分に到着した電車は7時33分には発車した。ポーターの若い男性3人が汗を流しながらスーツケースを運び込み昇降口のあいた空間に24個の荷物を積み重ねてくれたので助かった。
硬座の指定席なのに我々の座席の上の網棚は大きな荷物で占領されており手荷物を置く隙間もない。
それでも現地ガイドのペルマさんが喧嘩腰で目にあまる大きな荷物を三個程移動してくれたので手荷物をやっと網棚に乗せることができた。
列車が発車すると給湯室へ水筒やカップラーメンを手にした現地人乗客たちの往来がひっきりなしに始まる。
窓側の席には小さなテーブルが設置されているがここもカップラーメンの容器や水筒で占領され尽くしていて、外国人は使用できない。
更に手洗いに行くために隣の車両を通り抜けようとすると勇気がいる。座席に寝転んで足を投げ出しているものや通路に足を投げ出して平然としている。しかも向日葵の種やその他の種類の皮を所構わず吹き捨てるのである。
公共施設を利用するマナーが全然できていない。中国人民の公徳心の欠如にはほとほと驚かされてしまった。こんな状態で北京オリンピックが開催できるのであろうか。出発して暫くは窓の外の景色はかすんでおり、残念ながら玉珠峰(6178m)や崑崙山脈や崑崙峠(4767m)はかすんでいてはっきり目撃できなかった。
それでも午後からは雲一つない紺碧の空が現れ名も判らぬ山々を隋所に見ることができた。
まだ雪の残っている荒野や砂漠を駆けぬけながら、夕闇迫る頃電車はラサ駅に滑り込んで15時間に及ぶ青蔵鉄道の旅は終わった。
この間食堂車で昼と夕と二回の食事を摂ったが、時間帯を予め決められた予約制になっており、追い立てられるようにして食べる食事は美味しいものではなかった。
この列車の印象はもう二度と乗りたくはないとの一言に尽きる。
二つ目については次の三個のURLで記述し掲載している写真にみられる民衆の篤い宗教心である。
掲載した写真に見られる如くお寺に参集した善男善女の宗教心には篤いものが窺われる。
ポタラ宮の観光は1日2300人(グループ1800人+個人と信者500人)に制限されており見学時間も当局の指定した時間内で終了しなければならないからこの機会を逃したら二度と見学することが出来ないと言う思いも心に拍車をかけた。
ガイドの話によれば入場券を闇で販売するダフ屋も横行しているらしい。
ポタラ宮に入場して先ず驚いたのは顔を覆面で隠し、杖を片手にお題目を唱えながら小刻みに動いている現地人信者の集団である。
そこには宗教的な熱気のようなものが迸りでていた。
チベットは様式文化の国であり個性の発揮は疎んじられる。タンカの制作は定められた通りの形状に定められた通りの描法で描かなければならない。
チベットに伝えられるタンカ等の芸術的な名作には作者の署名がないので誰が作成したものか不明のものが沢山ある。
個性が疎んじられるからチベットには伝記が残されていない。そして墓がない。
遺体は鳥葬に付され骨は土に混ぜて土偶にし峠などに放置され土に返るのを待つことが多い。
遺体は川に流されることもあるので、魚は遺体を食べていると信じており魚を食べることを嫌う人が多い。
空気が乾燥しているので入浴の習慣がない。
中国政府はチベット人民を奴隷社会から解放したと宣伝するがチベット人の本心は政治・宗教の権限を持つダライ・ラマ制度の復活を心密かに待ち望んでいる。