マダムあっこの明日はもっと・・・・・

雨にも負けず、風にも負けず、忍び寄る‘老い,にも立ち向かい、
マダムあっこの毎日はこうして過ぎてゆくのであった

ピアノ

2009-06-11 | 日記
娘がピアノ教室に通っている

小学1年生から、週1回・30分コース・月○千円・・・




    自分から「習いたい」と言ってきたのだが、
    もともと、あまり音感やリズム感が良い方ではなく、
    「はたして、習わせて良いものか?」と悩んでもみたが、
    少しは‘鍛練,したら、なんとかならないかという微かな期待と、
    民舞教室でのあまりの‘ロボットダンス,ぶりを見たときの衝撃で
    「なんとかしなきゃ」と思った

    そして、あとふたつの動機・・・

ひとつは、
私が幼いころにピアノを習いたかったから

私が小学生の頃は、
私が育った田舎にはピアノ教室なんてなくて、
その頃の学校の先生も、すべての伴奏を‘ドソミソ、ドソミソ,でやってしまうような感じ・・・

ピアノに興味をもった私は、
休み時間や放課後に、音楽室に行ってピアノに触れていた

おじいちゃんちに行くと、保育士をしていた叔母のピアノがあり
時々行っては、ずっと弾かせてもらった

見様見真似で弾くようになり、楽譜はなんとか読めるようになった
ピアノをあまり得意としない先生は、
音楽の授業での伴奏を私に任せた

    あくまで独学だが、学校の校歌の伴奏もするようになった

5年生から6年生に進級する時、
5年生の担任のT先生が我が家にやってきて
「今度音楽専科の先生が転入してきて担任になる
これで、あっこはピアノをちゃんと教えてもらえるぞ
だから、ピアノを買ってやったらどうだ?」
と、両親を説得してくれた

     あの時代の先生たちは、保護者とも本音で話し
     信頼関係も厚かった
         (このT先生とは、今も賀状やなんかで付き合いがある)

実際にピアノが我が家にやってきて、
放課後N先生に指導してもらうようになった

ところが・・・

5、6年、自己流でやってきてしまっていたので、
基本がメチャクチャな上に、間違って覚えてしまっている事も多く
最初から苦戦していた
いわゆる‘バイエル,から始めたが、
なかなか進まない

   指番号も、変なクセがついてしまってて
   なかなか修正がきかない

何カ月もしないうちに、
あんなに好きだったピアノが苦痛になった

結局、その頃から鼓笛隊やリコーダーアンサンブルにも参加するようになり
その中で、楽譜が読める事は役にたったが
ピアノはたいして上達はしなかった

    押しつけかもしれないが、
    基本から習えなかった自分の想いが
    娘をピアノ教室に通わせたいという気持ちになったのは確かだ


ふたつめの動機・・・

それは、ピアノが我が家にあるということ

     私が買ってもらったピアノは、
     結局実家においたまま、つい最近処分した


我が家ののピアノは、夫の実家にあったもの

夫の姉たちが子どもの頃に一時期習っていたことがあって、
その後弾く人がいなくなってからも、義母の部屋においてあった

2、3年に1度、調律師をやっている夫の伯父が調律を続けていたので
なんとか現状を保っていた


義母が亡くなり、遺品を片付けていた時に
「処分しようか」となったので、我が家にもってきた

     その頃、義母がやりくりして買ったピアノ・・・
     ある意味、義母の‘形見,でもある

     古くなった椅子は買い替え、
     調律師に見て頂いて、いろいろ取り替えて・・・

     「これは、すごく良いピアノですよ」と言われた




Kreufzer・・・クロイツェル

創業1949年の日本のメーカー

その道の人に言わせると、
日本のピアノメーカーのなかでも、とても‘良い仕事,をするそうだ

我が家のこのピアノも、
かれこれ40数年前のモノ・・・私と同じくらいの歳だ

   ピアノ弾きの友人が来たときに弾いて
   「これ、すごくいいね」と言っていた

詳しくはわからないが、
それなりにイイモノだとしたら、 

    いいのか  この娘で



言わないと練習しないし

やる気ないとトイレにこもるし

ちょっと練習しただけで「完璧」とほざくし 


娘をピアノ教室に通わせるのに必要なものは、

   毎月ドブに捨ててるような気がする、○千円の月謝へのあきらめと

   キーキー言いながら続けさせる、

             母の‘忍耐力,だ