豊中市ブログ「マチカネくんのとよなか草子」マチカネくんと魅力文化創造課職員が、豊中のさまざまな魅力を紹介していきます!

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阪急宝塚線沿線観光あるき・新コース!能勢街道を行く!

2013年06月06日 | 阪急宝塚線 観光あるき

こんにちは、笹久保です

久しぶりにブログの執筆を

さて、今回ご紹介するのは、今年度から新設した「能勢街道コース」

新コースということもあり、たくさんのご応募をいただきました残念ながら抽選で外れてしまった方もいて、申し訳なかったのですが…秋にも同じコースで実施しますので、ぜひお申込みください

今回は当選された28名のみなさんと歩いてきました

阪急石橋駅に集合し、NPO法人とよなか・歴史と文化の会の西山さんの案内でスタートです

この日は快晴で、最高気温30℃を超す真夏日でした

大阪大学へ向かう途中、踏切を渡ったところに、「西国街道」と書いた石碑が

「ここは、西国街道と能勢街道が交差している所なんですよ。」と西山さんの説明に、参加者のみなさんも興味深そうに聞き入っていらっしゃいました

続いては、大阪大学総合学術博物館へ

こちらの博物館では、マチカネくんのモデルにもなった、マチカネワニの実物化石が展示されています

テレビの撮影などでよくマチカネくんとマチカネワニ化石とのコラボでお世話になっています

参加者のみなさんも、「こんなに大きなワニが豊中にいたなんて…」と、マチカネワニの大きさに驚いていました

その後、待兼山5号墳説明板などを見学しながら、大阪大学会館へ

上部の窓の形などが特徴的なこちらの建物は、国登録文化財に指定されていますみなさん、思い思いに外観を眺めていらっしゃいました

広い大学構内を見て回り、このエリア最後のポイントへ

マチカネワニの化石発掘記念モニュメントですモニュメントには、体長約7メートルのマチカネワニの骨格標本が等身大で描かれていました

ここで発見されたんですね~

大阪大学を後にして、北谷の井戸を見学した後、歩道橋を渡って刀根山の方へ向かいました

こちらは、江戸末期ごろにつくられたと言われている、市指定文化財の麻田藩陣屋門です

豊臣・徳川に仕えた大名・青木氏の陣屋の門と言われ、現在は民家に移築されています。

下の道標には、左は能勢妙見山、右は刀根山御坊までの道程が示されています

昔の人々は、この道標を頼りに歩いていたと思うと、感慨深いですね

ここからは、約15分かけて豊中駅方面まで歩きます

比較的高低差のあるコースに加えて、この暑さにもかかわらず、みなさんしっかりとガイドについて来てくださいました

高木邸(市都市景観形成建築物)を通り、最後は原田神社で説明後、アンケートにご協力いただいて、全行程終了です

 

参加してくださったみなさん、暑い中本当にありがとうございました

最後に後半2回の観光あるきガイドツアーの宣伝を

 

【曽根・岡町コース】

日時:9月29日(日)9時30分~13時

集合場所:阪急曽根駅

内容:桜塚古墳群や原田城跡・旧羽室家住宅などをめぐる。

豊中を代表する古墳群などをご覧いただいた後は、国登録文化財の旧羽室家住宅でごゆるりと

 

【能勢街道コース】

日時:10月24日(木)13時~16時

集合場所:阪急石橋駅(西改札口)

内容:今回と同じコースです。

 

申し込み方法など詳細は、日が近づきましたら広報とよなかでお知らせいたします

 

暑さが和らいだ頃に、ガイドの案内で楽しく豊中を歩いてみませんか?

ぜひお申込みください


豊中のむかしを探れ!!第2回!!

2013年06月06日 | とよなかトリビア

こんにちは

豊中市政策企画部都市活力創造室の津田です

 

さて前回に引き続き

5月16日・23日に開催された南部連携センター・庄内公民館主催の講座

「豊中のむかしを探る - ため池・用水路を中心に」の模様を、

最近では古い地形図を見るだけでは飽き足らず、

地図を片手に豊中市内を自転車で走り回り、

建物や道を写真に収めるという、

何をしてるんだろうこの人は

と周囲の人から思われる趣味へと進化した津田がお送りします

前回のブログでは豊中市の北部丘陵地を中心にお送りしました

http://blog.goo.ne.jp/machikane75/e/d173063b8f9cecadaf1f6bca0091d2ce

 

今回は西部、南部の平野について

先人たちが水とどうかかわってきたのかを見ていきます

 

その前に豊中の近世の旧村地図と地形図を再確認

(クリックして拡大)

 

豊中の地形は、全体として北部の丘陵地、中央部の台地、南部の低地の3地域に大きく分けられ、

北部に高く南部に向かって標高が低くなってきています

(クリックして拡大)

(新修 豊中市史 第3巻 自然 P33)

 

地形図では猪名川低地、西大阪平野となっていますが

講座ではそれぞれ、原田平野、庄内平野と呼称していたので

それに習うことにします

 

まずは原田平野について

 

原田平野には地元の人が「九名井(くめい)」と呼ぶ用水路がありました

(大阪国際空港の東側を流れる九名井)

 

九名井は、伊丹市下河原の猪名川から取水し、

伊丹市の中村・桑津・口酒井・森本・岩屋

尼崎市の田能

豊中市の原田・桜塚・曽根

の九ケ村の田を潤したことからその名がつきました

(千里川の下をくぐります)

 

その中でも豊中の原田村は

九名井に関わる村々の総水田面積の55%を

所持していたことから

原田の区長は取水堰の普請・清掃の

全体指揮を執っていたそうです

(くねくねと勝部の中を通り抜け)

(原田小学校の東側へ)

 

なので原田村の方は九名井とは呼ばず

誇りを持って原田井と呼ぶとか

(やっぱり原田井だ)

 

現在でも至るところに九名井の名残が

残っているので

興味があるかたは九名井を巡る旅に出て

田園地帯だったころの原田平野に思いを馳せるのも

よいかもしれません

(九名井の洗い場の跡)

 

次に庄内平野(地図上の西大阪平野)です

庄内平野はほぼ水平な地形で、標高5m~2m

千里丘陵の一番高いところが標高135mなので

水は低きに流れるのであれば

水の苦労は……

ありました

この地域では洪水に悩まされてきたのです

 

そのために南部の村々は周囲を堤で囲むことにより

水から村を守ってきました

(明治18年(1885年)豊中市南部地形図より)

 

穂積村は東西約1㎞、南北0.8kmの堤で村を囲っていました

文献によると堤は室町時代に作られたものだそうです

 

現在もその名残が

(堤の上が道路になっています)

(かなりの高低差です)

 

最後に庄内地区

(同地形図より)

 

庄内は天竺川、猪名川、神崎川に囲まれ

それぞれに堤を築いていたのでいわゆる輪中(堤防で囲まれた構造あるいはその集落)を形成していました

(北側の野田堤の跡)

 

地区の中にも水路が網の目のように張り巡らされており

収穫の運搬などは水路を使い小舟で行っていたそうです

島田、島江、洲到止、菰江など水に関係する地名が多いのもうなずけます

 

小舟は農作業に使うだけでなく

4月になると「弁当開き」といって

家族・近所の人を船に乗せてお弁当を食べながら

一面の菜の花が咲きほこる景色を楽しんだとか

(少しだけ花が咲いていました)

 

さて2回にわたりお送りしてきた

豊中の昔を探れ!!

いかがだったでしょうか

 

一口に豊中といってもそれぞれの地域に

固有の歴史があり面白いものですね

 

みなさんも地図を片手に

豊中市内をまち歩きしてみてはいかがでしょう?

視点を変えてまちを見てみると

見慣れた光景が一変するときがありますよ

 

都市活力創造室では

この秋にとよなかのまち歩きツアーを企画しております

豊中市の昔だけでなくいろんな視点から見た

まち歩き企画が盛りだくさん

乞うご期待

 

最後もちゃっかり宣伝してしまいました

 

宣伝ついでにもう一つ

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最後まで読んでいただいた皆さま

ありがとうございました