波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

今年の冬季奥林匹克運動会の女子花式滑冰を見て

2006-03-03 23:32:00 | 雑感
 一昨日は灰の水曜日で復活節の始まりとなった.冬季奥林匹克運動会(漢字表現のOlympicに相当する部分は正に音訳そのものだ)は復活節が始まる前に済ませて,重ねないという不文律があるのだろうか,同運動会は今週の日曜日に終了した.前回は米国内で開催されたためか,9.11事件を引き摺った開会式演出となり物議を醸したが,今回は欧州で開催,9.11事件の記憶も更に希薄になったのか,米国内での当運動会への関心は非常に低かったようだ.金牌獲得は高望みかもしれないが,銀か銅あたりを日本の選手が得る事を期待しつつ,日本の同運動会網路報道を毎日覘いていたが,全く三位以内に入れそうな気配が無い.このような全く冴えない状況のなかで,花式滑冰[氷の本字]で荒川選手がshort program(「短節目」と表現するらしい)で三位になった.そして注目のfree skating(予想通り,「自由滑」である)となった.防寒その他で顔が隠れてしまう野外競技と違い,顔つき・外見その他も競技構成に陰に陽に含まれしまう女子花式滑冰は矢張り電視向きで,米国でも冬季奥林匹克運動会の華という趣の扱いとなる.ましてや,米国選手が短節目で一位になったのであるから,前回の運動会の雪辱という筋書きの競技放映姿勢で自由滑の日となった.自由滑の日,金牌を取って当たり前という予想を念頭に置いて報道していた米国競技報道関係者を重苦しい沈黙に追い込んだのは,金牌獲得の前評判の高かった露西亜と米国の選手双方の転倒だった.上位三位になった選手が何れも転倒していなければ,かなり微妙な判定になり,勝てば勝ったなりに,負ければ負けたなりに,運動電波芸者が十八番の長広舌(ちょうこうぜつ)を披瀝出来ていたに違い無い.ところが,日本の荒川選手は転倒無しのほぼ完全な演技となったが,他の二人の競争相手は,転倒という,如何なる主観的な言い訳でも糊塗できない客観的な減点項目を出してしまった.米国NBCの競技解説者の舌も湿り勝ちで,なんとなく腰の抜けた消化試合的解説で時間を埋めていたという印象を得た.日本が牌を一つも取っていなかったことへの米国なりの武士の情けだったのか,君が代の演奏を最後まで放映し,表彰台上で荒川選手が国歌を口ずさんでいる光景も大写しという大奮発だった.米国の場合,時差の関係であろうが,競技場からの生放映は無く,花式滑冰の前座的な部分はぶつ切りで他の競技と混ぜて放映し,取りは最後に持ってくるという典型的な焦らし構成だった.よって,日本の網路上で批判されている,国営放送であるNHKが国籍不明的放映姿勢と批判されている荒川選手の表彰後の冰場滑冰の光景は米国で生放映されるどころか,毎夜の正規の編集済み映像放映時間帯でも放映されなかった.ただし,深夜の摘要映像集的番組において牌獲得三選手の競技内容を振り返った際に数秒間,日の丸を肩に滑冰する荒川選手の姿が挿入されていた.
 2004年の世界大会で荒川選手が優勝した際,優勝の滑冰をこちらでたまたま見ていたが,当時の印象は,不謹慎ながら,「今は尻をあそこまで露出させて滑冰することが認められているのだ」というものだった.今回の各女子選手の衣装をざっと見た印象では,あの時のような切込みの深い衣装を着用している選手は皆無のようだった.演技力の格差だけでなく,今回上位三選手の体格を見ていると,荒川選手が他の二人より比較的背が高く,大人の女性という印象を与える体形で,振り付け・演奏曲も彼女の体形と程良く合っていたと思う.それに比べて,四位に終わった村主選手の振り付けの構成は,米国の解説者の辛口批評の通り,貧弱で各演技の部分の継ぎ目が剥き出しで物語性というか繋がりが欠けた演技という印象が強かった.微視的というか,技術的には確りした部品というか演技の一齣を演じているのだが,4分の演技全体を眺めると,まとまりが欠けていた.それにしても,今回の運動会は女子の花式滑冰だけでなく,冰上舞踏(ice dancing)で転倒が続出したことが長く記憶に残りそうな予感がしてならない.結果発表後の当該三選手三様の反応を第一面で並べたのがNY Timesだったが,波士敦近在で配布されている無料小報(tabloid)の翌日一面の見出し写真も,転倒した二人の転倒写真に荒川選手の勝利の微笑みを添えたものだった.
 
 © 2006 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:3/3/2006/ EST]