波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

三田村武夫,松前重義,中野正剛を繋ぐもの

2005-06-26 02:38:39 | 雑感

 三田村武夫,松前重義,中野正剛という3人の関係を述べよ,という問いに対して,今の日本の保守系網誌主宰者はどの様に答えるだろうか.三田村氏と松前氏については,柴田秀利氏その他の著作等から,三田村氏の報告書を当時の読売新聞社長の馬場恒吾氏や柴田氏に同氏が見せた際に松前氏が同伴していたことが分かる.当時,三田村氏と松前氏がなぜ共に活動していたのか,最近になるまで深く考えてもみなかったが,松前氏の自伝等を捲って或る共通項を漸く思い出した.即ち,「反東條内閣」である.中野正剛は,代議士であった三田村氏が戦前所属した東方会の主宰者であり,二人とも反東條内閣活動で検挙され,中野は終戦の日を迎えることなく,自決に追い込まれた.戦後東海大学の総長や衆議院議員を務めることになる松前氏は,東條内閣の逓信省工務局長で,その批判的な言動により40歳過ぎにも拘らず陸軍二等兵として召集されてフィリピンに送り込まれたが,その後九死に一生を得て終戦前に帰国できた.松前氏の伝記に,彼がチフスに罹患して入院中に中野正剛が見舞いに来て,東條内閣打倒策を披瀝したことが書かれているので,松前氏が中野の盟友である三田村氏と知己であってもおかしくない筈だ.松前氏は,戦後占領軍の公職追放の対象となった.彼の伝記を二三捲ってみたが,公職追放時代の政治活動等については全く触れられていなくて,三田村氏の報告書についても全く触れられていなかった.

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