波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

中共での在留邦人の安全と保護

2005-07-01 16:54:12 | 雑感

 昨日分の網誌を書いている際にふと思ったのだが,日本の高校水準の日本史教科書については紙幅の関係で不可能と思われるが,大手出版社発行の数十冊に及ぶ日本史叢書にしても,第二次南京事件(昭和2(1927)年),済南事件(昭和3(1928)年),通州事件(昭和12(1937)年)等における支那在留の邦人の犠牲者については言及している場合もあるが,それ以外の支那在留邦人や派遣官吏・軍人の単発的犠牲者については殆ど触れられていない.しかし,専門書(例えば昨日触れた相澤淳氏の『海軍の選択』)を読んでいると,先に触れた犠牲者多数の事件以外にも,日本の命運を決定した支那での主要事件の前後において,偶発的に邦人が犠牲になっていることが分かる.一個人の死亡事件が逆転防止の爪車をまた一つ進めて行く感じで日本人の対支感情を徐々に悪化させたことは間違いなく,更に,憲政を実践する国であった以上,邦人死亡に憤る世論が当時の政府指導者に有形無形の圧力をかけることになったと想像される.重大事件という点を適宜摘んで書く通史の場合,一邦人の犠牲の積み重ねが世論を暴支膺懲の方向に徐々に牽引していったというような過程を丁寧描こうとすると頁数が増えて全体との不釣合いが生じ,編集者や出版元に断られるに違いない.よって,通史で満足の読者の場合,複雑な背景を知ることもなく,政治家や軍の指導者の重大事件における彼等の意思決定の誤りで片付けてしまうのかもしれない.
 このようなことを考えたのは,最近の中共による日本や在留邦人達に対する様々な調略(靖国問題,各地での管理された反日行進,大連の日本人学校用地図帳の没収等)に関して,普通の日本人までも憤りを抱き始めたことによる.滞在外国人の生命・安全の相互保護という21世紀の国際的常識が日本と中共の間では非対称である,ということを日本人が将来認識せざるを得ないような事態が出来したならば,平均的日本人はどのように反応するだろうか.更に忘れてはならないことは,戦前日本は,支那に海軍陸戦隊その他を派遣・展開しながらも,前述のようなひび割れた瓶から徐々に水が漏れていくような形で邦人の犠牲者続出に直面するしかなかったことだ.勿論,日本軍の駐箚(ちゅうさつ)ゆえに,現地の反日感情を煽り立てて,対日挑発が続出した云々という意見もあろう.しかし,海外在住邦人の安全・保護を図るのが駐箚軍の役割の一つであり,このような駐箚反対論に従うと,最悪の場合,救助できる在留邦人を見殺しにすることになる.果たして,このような結果を駐箚反対派は甘受できるであろうか.ましてや,そのような論者が,選挙という手段によって民意を反映した憲政下で政権を担当している側であったならば,そのような自国民見殺しに繋がるかもしれない選択肢を選挙民に問うことができるであろうか.
 戦後の占領史観では,戦前の対支外交の失敗を当時の政府指導者や軍部に殆ど押し付けた形になっているが,このような解釈は果たして全体を満遍なく掴めているのであろうか.国威や国策の呼び水等で 支那大陸各地に進出した企業や民間人が,陸海軍に実行不可能な邦人保護を強いて,更なる軍事展開を誘引し,そのような事態に迫られての軍事展開が,東京からの強力な政治力による統制の欠如と軍の主張する統帥権の独立の前に,いつの間にか自己目的化してしまった,という側面はなかっただろうか.
 このようにあれこれ考えていくと,現在中共に進出している日本企業や留学生等は,将来の日中関係においてどのような役割を演じることになるのだろうか.中共の国営報道(調略)機関が報じない暴動が中共各地で発生している以上,邦人が巻き込まれる可能性は全くないとは言い切れない.このような中共の状況について,軍事評論家佐藤守氏の網誌の最近の記入に通州事件の再現を警告したものがあったが,外務省,防衛庁等はそのような事態における対策立案なり図上演習を既に行っているのだろうか.一方,そのような際において,市井の日本人達は,昭和初期の御先祖様との比較において,何らかの違い,歴史からの学習の成果というようなものを発揮することができるのであろうか.

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/01/2005/ EST]