波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

新選組隊士斉藤一と分列行進曲(扶桑歌)との関係

2005-06-28 05:05:48 | 雑感

 新選組の斉藤一と言えば,昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」でオダギリジョーが演じた役だ.彼と,日本の旧陸軍,そして自衛隊と引き継がれて演奏されている分列行進曲(扶桑歌)との関係を直ぐ思いつく人は,かなりの軍歌好きに違いない.この分列行進曲は,例えば,大東亜戦争中の昭和18(1943)年10月21日,明治神宮外苑競技場で挙行された出陣学徒壮行会の記録映像において,甲高い東條英機首相の演説と共に挿入されている出陣学徒の行進の背景で演奏されている曲だ.別個の曲として存在していた「扶桑歌」の一部分が導入部分として追加される前(http://www.sound78rpm.jp/page01_04.html),この曲の本体は「抜刀隊」という名で知られていた.西南の役の際,警視庁巡査等によって編成された警視隊から更に選抜編成されたのが抜刀隊である.この抜刀隊を顕彰した外山正一の新体詩に当時の御雇外国人のシャルル・ルルーが曲をつけたものが「抜刀隊」だ.この警視隊には旧会津藩士や旧幕臣出身者が多く,彼等は戊辰戦争の仇を討ちに行くという趣だったことが知られている.この警視隊に所属した警視庁関係者の一人が,斉藤一改め藤田五郎なのである.彼は,会津城落城後,他の新選組隊士と袂を分かち同地に留まり,その後上京して警視庁警部補になった.
 藤田五郎は警視庁退職後,東京高等師範学校附属東京教育博物館の看守を勤めている.ところで,この経歴について,作家の中村彰彦氏の『新選組全史 戊辰・函館編』(角川文庫)301頁に,故村松剛筑波大教授が中村氏に対して,「東京高等師範に,付属博物館は絶対にありませんでした」と断言したことが言及されている.なぜ中村氏は筑波大学の附属図書館あるいは大学事務局の沿革史担当部課に電話を一本入れて,村松氏の断言の裏を取るという用心を怠ったのだろうか.現在上野公園で恐竜展等を開催している国立科学博物館は,何を隠そう,東京高等師範学校附属の東京教育博物館の末裔なのである.一本の電話等の確認を怠ったため,村松氏の誤解を後世に曝してしまうことになったのは非常に残念でならない.

 駐:近衛文麿の弟の秀麿氏指揮による戦前の扶桑歌演奏は以下の網頁から聞くことが出来る.
    http://www.sound78rpm.jp/page01_04.html
   海上自衛隊横須賀音楽隊による演奏は此方から:
    http://www20.tok2.com/home/captain22129/gunka02/hagyou/battou.htm
   斉藤一の経歴については,此方から:
    http://www.1to5.net/saito/history/hajime_list.html
   新体詩「抜刀隊」については,こちらから(11頁):
    http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMR-00036.html
   新体詩「抜刀隊」の作詩者外山正一については,此方から:
    http://www.asahi-net.or.jp/~cb9s-jyuk/toyama.htm
    (外山正一発案の万歳[ばんざい]の由来についても触れられている)
   
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