波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

共産党独裁終焉後の支那大陸

2005-06-26 17:13:48 | 雑感

 岡崎久彦氏が主宰している岡崎研究所の網站を数ヶ月ほど前に覘いていたら,同研究所主任研究員の阿久津博康氏による「中国は民主化しても反日であり続ける」(2005年4月25日)という短い記事が掲載されていた.この記事の内容は標題そのものなのだが,文末の断り書き通り,これといった具体的な対策を論じているわけではない.この記事を読み終わって,ふと思い出したのは,米国のある福音主義系教会に属して国際的な布教活動している知り合いのことだった.米国の福音主義系教会の中には世界的規模の布教(折伏と言った方がより適切かもしれない)戦略に基づいて,アフリカ,南米その他の地域での信者獲得を目指しているところがある.前記の知り合いは,数年前,布教活動に厳しい制約のある中共に敢えて出向いて,布教活動抜きの米国文化に関する交流行事に参加したのだった.実質的な布教活動が出来ない状態においてすら,将来実現するかもしれない布教制限緩和に備えて土地勘を付け人間関係を築いておく,という用意周到な準備を試みていたのだった.
 このような用意周到さが日本の対支政策策定においても不可欠であることは言うまでもない.但し,気になったのは,そのような中共共産党による宗教統制が緩和した暁には,日米支関係は再び1945年以前に逆戻りするのではないか,ということだった.即ち,戦前の駐支米国外交官達が言及していたような,支那大陸で布教活動を行っている宣教師達が発信する情報が米本国の対支感情あるいは対日感情に影響力を持つのではないか,ということだ.今以上の基督教化が不可能と思われる日本に対して,長年の宗教統制下にあり,また世界一の人口を誇る支那大陸は,福音主義系教会にとっては非常に魅力的であるに違いない.米国では近年,福音主義系教会の政治的発言力が急上昇している.このような状況を踏まえると,支那大陸で共産党の一党独裁が崩壊に至らないまでも,現在の宗教政策が緩和されただけの段階において,日本か,支那か,という米国の亜細亜政策における軸足選択問題が再浮上する可能性が非常に高い.更に,日系米国人の人口が先細りに向かっているに対して,支那系米国人の其れは逆に急増していることも,将来米国が対支優先に向かうという予想の根拠として挙げられる.そして,将来亜細亜における反共という公約数を日米共に失った際,米は従来の日本との同盟関係を堅持していく用意があるだろうか.日米間の力関係の非対称性を考慮すると,より正しい設問は,日本は万難を排して米国との同盟を繋ぎとめることができるか,であろう.

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:6/26/2005/ EST]

『暗黒大陸中国の真実』の著者ラルフ・タウンゼント(Ralph Townsend)について

2005-06-26 03:44:38 | 雑感

 遠藤浩一氏の5月26日付網誌で,ラルフ・タウンゼント著『暗黒大陸中国の真実』の一節が引用されている.また,宮崎正弘氏の情報誌でも,当該書が言及されていた.日本のアマゾンで,同書についての書評の中には,著者ラルフ・タウンゼントの日米開戦後の経歴について触れ,低い評価を与えたものがある.Ralph TownsendでGoogleしてみると,反日ないし左翼系の網站その他で,彼が日米開戦の翌年の1942年にForeign Agents Registration Act("Foreign Agents Act"と誤記されていることが多い)違反で逮捕され,有罪云々ということが記載されている.果たして彼の経歴はどの様なものだったのか,調べていくと,今日の米国人すら忘却してしまっている米国裁判史上の一恥部というべき事件に遭遇した.以下はその調べの途中経過である.
 
 1941年の日米開戦以前,モンロー主義等の立場から旧大陸での戦争に米国参戦反対の論陣を張っていた個人・団体の背後に,当時のルーズベルト政権は国外団体(特にドイツ) の影を感じていた.これらの主張を直接規制するとなると,言論の自由の原則に抵触する.よって,国外団体・個人の意向を受けて行うロビー活動を届出制として,ロービー活動の内容開示・報告義務を課す,という間接的な規制手法がとられ,1938年前掲法を制定した.よって,同法に抵触するかどうかの判断は,ロビー活動の内容ではなく,同法指定の事務手続に遵ってロビー活動が行われたかどうか,という手続の解釈次第となる.当然ながら,如何様にも判断できる書類不備というような重箱の隅を突付いたような名目で違反の大義名分をとることも可能だ.もしタウンゼントの親日ロビー活動が看過できない同法違反状態であったならば,同法の成立の1938年から日米開戦の1941年12月の間に逮捕されていて当然ではないか,と推量されるが,実際に彼が逮捕されたのは開戦翌年の3月27日だった.
 
 この様な状況の解釈についてヒントを与えてくれるのが,仮想サン・フランシスコ市立博物館に掲載されている同市在住日系人の強制収容所送りについての網頁である(http://www.sfmuseum.org/war/evactxt.html).当該頁における彼の逮捕は(Writer Guilty as Japanese Agent - March 27, 1942 : http://www.sfmuseum.org/hist8/tokio2.html),米西海岸で日系人の収容所送りが始まった頃で,真珠湾奇襲の仇討・防諜のため日系社会が被った一連の受難の一齣として彼の逮捕が今でも記憶されていることが分かる.タウンゼント対する訴追は前出法違反で終わったわけでなく,大統領の度重なる要求に折れて始まった,他の主な参戦反対主張者と一まとめにされた見せしめ的裁判("The Great Sedition Trial of 1944"と呼ばれている)が続き,結局,当該裁判は無効審理,米国裁判史上の汚点となった(タウンセント自身は公判途中で不起訴になった).そして,皮肉にも,戦後冷戦での東西対立が明白になり,米連邦政府中枢に棲息したソ連スパイ網が摘発されると,かつて参戦反対・孤立主義者を糾弾する側にいた容共・親ソ系の者が逆に糾弾される側になるという立場の逆転が起きたのだった.

註:戦前のある和訳書では,Townsendは"タウンセンド"と訳されている.

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三田村武夫,松前重義,中野正剛を繋ぐもの

2005-06-26 02:38:39 | 雑感

 三田村武夫,松前重義,中野正剛という3人の関係を述べよ,という問いに対して,今の日本の保守系網誌主宰者はどの様に答えるだろうか.三田村氏と松前氏については,柴田秀利氏その他の著作等から,三田村氏の報告書を当時の読売新聞社長の馬場恒吾氏や柴田氏に同氏が見せた際に松前氏が同伴していたことが分かる.当時,三田村氏と松前氏がなぜ共に活動していたのか,最近になるまで深く考えてもみなかったが,松前氏の自伝等を捲って或る共通項を漸く思い出した.即ち,「反東條内閣」である.中野正剛は,代議士であった三田村氏が戦前所属した東方会の主宰者であり,二人とも反東條内閣活動で検挙され,中野は終戦の日を迎えることなく,自決に追い込まれた.戦後東海大学の総長や衆議院議員を務めることになる松前氏は,東條内閣の逓信省工務局長で,その批判的な言動により40歳過ぎにも拘らず陸軍二等兵として召集されてフィリピンに送り込まれたが,その後九死に一生を得て終戦前に帰国できた.松前氏の伝記に,彼がチフスに罹患して入院中に中野正剛が見舞いに来て,東條内閣打倒策を披瀝したことが書かれているので,松前氏が中野の盟友である三田村氏と知己であってもおかしくない筈だ.松前氏は,戦後占領軍の公職追放の対象となった.彼の伝記を二三捲ってみたが,公職追放時代の政治活動等については全く触れられていなくて,三田村氏の報告書についても全く触れられていなかった.

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柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』について

2005-06-26 01:50:47 | 雑感

 今週日本から, 柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』が届いた.本書を入手するきっかけになったのは,竹内春夫氏の『ゾルゲ謀略団』の冒頭に,元サンケイ新聞取締役の野地二見氏による「刊行によせて」という序文があり,その文中に,三田村武夫氏の尾崎・ゾルゲ事件に関する報告書を占領軍司令部に提出した経緯が引用されていた.その引用源が,柴田氏の当該書だった.日頃利用している図書館には,この本は収蔵されておらず,最近になって理想書店から電子版・印刷体版の双方で再刊されているが,英語版のコンピュータでは電子版は読めず,また,印刷体版の値段は日本の或る古本屋が提示している価格より割高だったので,結局後者から入手した.
 柴田氏は,今日日通念化している狭い意味での新聞記者ではなく,政界等を回遊して自社の新聞記事向けの取材をするだけでなく,時には特定の政治家の耳や目的存在として,或は,代理人として他者に働きかけたり等の活動にも手を染めるという古典的な意味での「記者」と言える.同書によって柴田氏の「記者」活動を辿っているいくと,「記者」尾崎秀実が「政治家・重臣」近衛文麿にどのような形で影響を与えたのかが,より鮮明に類推できるようになった.佐々木隆氏の『日本の近代 14 メディアと権力』の9頁に,「実体としての新聞は政府・権力と隠微な関係を持ち,危うい間合いを取るものがあったのだが,それは新聞界ではありふれた日常の一こまであり,決して例外的な現象ではなかった」という件があるが,まさにその通りだったのだ.

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最近考えていること

2005-06-26 00:56:27 | 雑感

 最近悪い癖が再発したようだ.複数の主題についてあれこれ資料その他を集めておきながら,全く文章を書かず,夢想状態で終わっているものがある.「完全でなくても良いから,何らかの成果を残しておく」的な,小回りの利いた行動に至らず,大風呂敷の夢想で一日が終わっている.「いつか来た路」を繰り返しなぞることがないように,日々の雑感・構想は其の日の内に吐露しておくことにしたい.まとまった記事は後日暇が出来た際に書き上げれば良いではないか.今後「雑感」に分類されたものは,文字色を変えて,まとまった記事とは区別し易いようにする.

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