波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

大東亜戦争の解釈 『戦争と共産主義:昭和政治秘史』の系譜

2005-06-13 07:56:05 | 近現代史
 政治学者の片岡鉄哉氏の網站(http://www.tkataoka.com/)を最近訪れた方は既に御存知と思われるが,その網頁に中川八洋氏による『大東亜戦争と「開戦責任」-近衛文麿と山本五十六』(弓立社2000年刊)が取り上げられている[因みに,同書は『近衛文麿とルーズヴェルト 大東亜戦争の真実』(PHP研究所1995年刊)の改題再刊].これは,同書が片岡氏のニューズレター11巻59号(2005年5月19日付)で当該書が取り上げられたことに因るらしい.日本の連線通販アマゾンに掲載されている説明書きによると,同書の前編は謀略学的分析篇,後編は地政学的分析篇という二部構成になっている.たまたま『近衛文麿とルーズヴェルト 大東亜戦争の真実』の方を借りる機会があり,先日斜め読みした.以下は,同書の前編の主題,即ち大東亜戦争の解釈について取り留めない読書感想をまとめたものである.
 中川八洋氏の近衛像は,従来の優柔不断で無責任な首相という趣のものとは全く違い,ソ連のスターリンが望む方向に確信を持って日本を舵取りした共産主義者というものである.確かに彼の説を支持する論拠情報が次々と繰り出しているものの,近衛文麿の主体的な意思表示の結果として或る政策策定がなされたという因果関係を具体的に裏付けしたというよりも,近衛が共産主義者であれば話の筋が通る,という形の論の展開が印象に残った.そこには,政府最高首脳が相互に御手玉的状況に陥り全く予期していなかった決定になった,という政府首脳無能説的なものは考慮されていない.善玉・悪玉の境界を明確に引きすぎる傾向にある,ということになろうか.尾崎秀実等の件について近衛に直接会って話しをしたという三田村武夫は,後述の彼の書の中で,戦争末期の近衛による上奏文と同じような近衛不覚説の立場を取っていた.もし,これは三田村が近衛に巧く騙されていたためと推理するならば,中川氏の主張する通り,近衛は大役者になるが.
 この外,戦後日本人に染み付いた,陸軍=頑迷,海軍=開明という対照的な等式は,戦後における旧海軍関係者の巧い立ち回りという主張は傾聴に値すると思われる.しかし,中川氏が後半の地政学篇で展開している,小村寿太郎の評価と日米満州共同経営否定の愚挙批判は相容れないのではないか(なぜなら,当該共同経営の仮契約を破棄に追い込んだ張本人が小村寿太郎なのだ),また,日本人の対露戦略で松平定信を評価しているが,松平定信の蝦夷認識を誤認していないか(田沼時代に着手した野心的蝦夷地開発計画を頓挫させたのが,田沼政治の否定を掲げて老中に就任した松平定信だったからだ).このような枝葉末節ではなく基本事項で誤認が見出されるとなると,中川氏の近衛文麿共産主義者説に対する吟味は当然厳しくならざるを得ない.

 連線通販アアマゾン辺りに掲載されている読書感想群では言及されていないが,「日米共にソ連のスパイに踊らされて大東亜戦争開戦」という説は,別に中川氏独自の説ではない.中川氏は同書中全く触れていなかったが,このような解釈は,同書が刊行される45年前の1950年,朝鮮戦争勃発直前に刊行された三田村武夫氏の『戰争と共産主義:昭和政治秘史』において既に提示されていた(当該書については,本網誌めざまし艸図書篇での解説参照.本網誌「日本の戦時議会(1937~1945)について」で触れた古川隆久氏の『戦時議会』においても衆議院議員としての三田村氏について,自決に追い込まれた中野正剛代議士との関係で言及されている).この三田村氏の著書は1987年に「大東亜戦争とスターリンの謀略」という標題で再刊された模様だが,1991年に日本教育新聞社から出版された竹内春夫氏による『ゾルゲ謀略団-日本を敗戦に追い込んだソ連謀略団の全貌-』の冒頭に収録されている元サンケイ新聞取締役野地二見氏の「刊行によせて」では,三田村氏の同書刊行に至る背景が述べられている.

[つづく]

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update: 07/03/2005/ EST]

1 コメント

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中川八洋氏について (東亜連盟戦史研究所所長)
2005-07-08 07:37:08
 はじめまして。



 確か中川氏が1985年に刊行した核兵器に関する平和学の本の中で、三田村氏の戦争と共産主義が引用されていたはずです。中川氏の近衛文麿とルーズベルトのネタ本は、戦争と共産主義、近衛新体制(伊藤隆)、重臣たちの昭和史、終戦工作の記録、ピースフィーラーですが、なぜか中川氏はこれらの参考図書を伏せていますね。



 また戦争と共産主義には若干の間違いが含まれていますので、お暇なときに本研究所の戦史を閲覧していただければ幸甚です。

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