波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

めざまし艸 圖書篇

2005-07-03 16:42:00 | 近現代史
 近年の極東3国による強請外交攻勢により,日本の若い世代も漸く占領終了後支配的であった日本の外交・安全保障・近代史観に疑問を持つようになった,という印象を受ける.しかし,拉致問題・教科書問題等の話題で従来の左翼メディア・文化人を批判している網站の推薦図書リストをみると,読みやすい「流動食」系のものが多く,咀嚼(読書努力)が要求されるが強靭な思考力の涵養をもたらす「食材」系のものは余り見られない.あれ程「国家」という事柄が話題の根本にありながら,故坂本多加雄氏の「国家」絡みの著作が全く含まれていないということは,思考過程がまだ受動的・反射的で能動的・攻勢的あるいは創造的になっていない証左かもしれない.

Popper, Karl R.
The Open Society and Its Enemies, vols. 1 & 2. 5th ed.

註:それなりの英語読解力だけでなく,西洋史に対する興味が無ければ,とても読み切れる2巻ではない.日本語訳は出版されているようだが,アマゾン辺りの和訳の評価は良くないようだ.しかし,マルクス的呪縛からの解脱用には効果覿面な書物であり,敢えて一読する価値があるだろう.小林秀雄は戦前,科学史関係の著作に関心を持っていたとされる.あの短編『無常といふ事』の中に出てくる有名な部分,「過去から未来に向かって飴の様に延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)」,と当該書で展開されている歴史法則主義批判には共通するものがあり,もしかすると小林秀雄はポパーの著作を戦前読んでいたのかもしれない.

片岡鉄哉
日本永久占領:日米関係,隠された真実

註:本書は,同著者による『さらば吉田茂-虚構なき戦後政治史』の改題,一部訂正版である.戦後政治の主流と見做されてきた吉田茂及びその系列政治家について,安全保障の観点から,厳しい批判を展開している.また,米国における日本研究や政治学における戦後の計量的分析手法の台頭について批判した章も含まれている.片岡鉄哉氏の著作群については別稿で詳しく論じる予定.

坂本多加雄
国家学のすすめ歴史教育を考える:日本人は歴史を取り戻せるか 日本の近代 2 明治国家の建設 1871~1890

註:当網誌2005年5月4日付の「故 坂本多加雄氏の著作」参照

三田村武夫
戰争と共産主義:昭和政治秘史

註:当書は発刊後,占領軍の事後検閲に引っかかり発禁になったとされる.スターリンの国際共産革命の一環として,日米開戦を誘導し,日本の敗戦後に,第一次世界大戦後のドイツおよびロシアと同様に,敗戦革命を誘発させて,赤化した日本をソ連の衛星国にする,という使命に沿って戦前日本・支那大陸で暗躍したのがゾルゲ・尾崎秀実一派であり,それに迂闊にも野合或は利用されてしまったのが軍部・新体制活動家・政治家であるとして批判・警告されている.日本における敗戦革命を,御目出度くというか,確信を持って誘発寸前まで幇助したのがGHQの民政局という予想外の展開もあったが,結局米ソ対立による反共政策と朝鮮戦争による経済発展により,三田村氏が心配していた日本における共産革命は夢と消えた.この夢と消えた共産革命の到来を,キリストの再臨を信じながらも見届けられなかった古代キリスト教徒のように,待ち焦がれつつも厳しい現実(到来は実現不可能)に直面した共産革命の信徒達は,中ソ対立で国際共産革命の夢が霧散した後,新たな本尊を占領憲法と国連中心主義という,国際共産主義の建前同様に,国家超越的視座を有する思想に替えて信仰上の危機を乗り切った.今の日本の大学教員がこのような信徒の末裔で主に構成されている以上,夢と消えた敗戦革命のシナリオ等が学問上の正史に含まれ詳しく論考されることは無いであろう.

佐々木隆
日本の近代 14 メディアと権力日本の歴史 21 明治人の力量

岡崎久彦
陸奥宗光とその時代 及び後続の『-とその時代』 全巻

故徳富蘇峰は『近世日本国民史』を「西南の役」までで筆を置かざるを得なかった.彼の死後同書の全巻が刊行され,30数万部を完売したとされる.『近世日本国民史』のように,広く国民に読まれる日本の近現代通史を目指したのが,岡崎氏の『-とその時代』シリーズと言えるかもしれない.教科書問題等で左巻き系の日本の近現代史観から覚醒するためには,同シリーズで全体像・流れを掴み,その後に,個々の主題についての専門書等に挑戦すれば良いと思う.このシリーズならではの特筆事項については,別稿で論じてみたい.

佐藤卓己
言論統制:情報官鈴木庫三と教育の国防国家

註:同著者は[大日本雄弁会]講談社が戦前発行していた大衆雑誌『キング』について岩波書店から単行書(『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性)を出している.このことから,所謂「岩波臭」が確り滲みこんだ著作を書いている著者のではないかという先入観を持ちそうになるが,実態は複雑だ.『キング』についての本の場合,過去の研究を上手にまとめているという印象が強かったが,本書は未公開の日記という一次資料の分析に基づくものであり,オリジナル性が極めて高い仕上がりになっている.佐藤氏の視座を注意深く追っていると,「左巻き」系特有の語彙や常套句の使用を避けているためか,彼の本籍(彼自身の「斯くあるべき」信条)が何処にあるのか判断するのは難しい.詳しい感想等については,後日他の関連書とまとめて論じてみたい.

MacMurray, John Van Antwerp
How the Peace was Lost :  the 1935 memorandum, Developments affecting American policy in the Far East / prepared for the State Department.

註:最近逝去した米外交官ジョージ・ケナンの思考に影響を与えることになる米外交官マクマレー執筆の米国務省宛覚書が収録されている.日本人には余り馴染みの無い同書の内容については,元防衛庁官僚の太田述正氏が同氏のコラム中で色々紹介している.占領終了の昭和27(1952)年,徳富蘇峰が死の直前に刊行した『勝利者の悲哀』で展開している日米戦の勝利者米国の悲哀は,それより17年前の昭和10(1935)年,マクマレーが彼の覚書の中で予見・憂慮した日米衝突後の極東情勢そのものであった.

家近良樹
孝明天皇と「一会桑」:幕末・維新の新視点

平山洋
福沢諭吉の真実

註:現在我々が図書館等で手に取って読める福沢諭吉全集に,実は福沢諭吉の弟子でもあり,最初の全集編者であった人物が書いた社説が,社説は無署名という死角により,恰も諭吉の著作として多数混入されていることが同書で明らかにされた.このような不肖の弟子に自分の全集を編集されては堪ったものではないが.同様の話が洋の東西を問わず多数存在する.例えば,我々が知る古代ギリシャのソクラテス像は殆ど弟子のプラトンの著作を通じて形成されている.ポパーの前掲書を読むと,プラトンというレンズが如何に我田引水的なものであったかが分かる.正に死人に口無しである.徳川幕府に奉公した経歴をもつ諭吉の旧幕臣特有の醒めた天皇・明治新政府観は,水戸出身で明治育ちの弟子には尊皇が不徹底と映ったようだ.左巻きの学者はこの混入をそれなりに疑っていたかもしれないが,自説への不利益を考慮して,敢えて混入を指摘しなかったのではないか,と平山氏は推理している.行方不明資料の再発見の可能性・新しい研究成果・対象へのより醒めた(時間的距離が置けた)観点等を考えれば,より新しい版の方がより良いとも思われるが,諭吉の場合は,初版の方がまだ増しという一例だった.

稲垣武
「悪魔祓いの」戦後史:進歩的文化人の言論と責任

註:本書は90年代前半に刊行されたので,収録対象の期間は80年代頃までの「迷」言に限られていて,現在20代の人々には直ちに理解できないものも多いと思う.本書の要諦は,戦後の言論界が如何に迷走していかを主な事件毎に辿る事が出来る点にある.批判対象になっている人物の多くが既に鬼籍に入ってしまっているが,学界・言論界の主座からの転落に瀕して現在足掻いている左巻き系の文化人・言論人の多くはこのような師匠の薫陶を受けていたり私淑していたのだ.


相澤 淳
海軍の選択:再考 真珠湾への道

註:中川八洋氏の『近衛文麿とルーズヴェルト 大東亜戦争の真実』(1995年刊.絶版,その後,『大東亜戦争と「開戦責任」-近衛文麿と山本五十六』として改題再版)を捲っていると,後編第8章第2節「帝国海軍」で旧海軍の南進策批判に遭遇した.いわゆる占領史観では,旧陸軍指導の北進策については紙幅をかけて批判を展開するが,日米開戦以前の旧海軍の動向については,殆ど触れられることが無い.よって,中川氏の展開する旧海軍批判は新鮮に見えたが,特定の人物に対する批判が強調され過ぎる嫌いがある,と思われた.そのような疑問を事実の積み重ねで解消してくれたのが相澤氏の同書である.相澤氏は防大卒で元陸上自衛隊員であるので,旧海軍の動向に忌憚無く接近できたのではないかと思われる.昨年刊行された増田弘氏の『自衛隊の誕生』を読むと,終戦後,陸軍と違い,海軍は日本再軍備の際の再建に備えるため,極秘の再建計画を策定していて(104-5頁),陸自や空自と比較して,海自は戦前との連続性が断然強い(「海上自衛隊が旧日本海軍関係者主導で誕生した」13頁).よって,元海自関係者が旧海軍の戦前の正統政策である「南進論」を念を入れて批判した著作を著わせる可能性は非常に低いに違いない.
 また,保坂正康氏の『日本解体』を読むと,終戦の年の11月に海軍の主な将官による「口裏合わせ」的会議が密か開かれ(139-40頁),そこで煮詰まった海軍の考え方は,その後GHQの日本人洗脳政策の一環として流された,陸軍=主,海軍=従という開戦責任の構図と類似しているそうだ.このように,旧海軍首脳による占領軍向けの自己防衛策は見事成功したと言えようが,後世の日本人に誤った事実認識を植え込み,戦前の真実に迫ってより正確な戦訓を得ることを阻害したことは否めないであろう.



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1 コメント

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『福沢諭吉の真実』の作者です (平山 洋)
2005-06-03 09:20:20
拙著をお取り上げくださり、大変感謝いたします。どのようにすれば真実の福沢像に迫れるのか、日々思案中です。
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