医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

健康診断は自分のためではなく・・

2009-08-01 09:48:28 | 日記
健康診断の意義についてさらに考えてみる。おそらくそもそも健康診断は徴兵制と関係があるはずで、その人が兵隊として機能するかどうかを明治初期に調査したのが始まりと思われます。もしくは結核をはじめとする伝染病とかかわりがあって、周囲に移しかねない病気を早期に発見する意味もあったかもしれない。いずれにしてもこれらの健康診断は自分のためというよりはお国や周囲の人たちのためなのです。今日の健診も結局同じで、会社でちゃんと働ける身体かどうかを証明してほしいとか、そういう目的が主にあるわけです。つまり国家や企業による身体の管理を行っているわけで、現在国が推し進めているメタボリック健診も国家による個人の身体統制制度の一環なのです。
つまり、健康診断での健康とはあくまで国家のために働けるからだかどうかを診断しているに過ぎず、個人がもつ頭痛だの腰痛だの倦怠感だのめまいだのを診断して治す方法を教えてくれる場所ではないということです。少々何かの症状があっても健診で合格なら働けるはずだと、仕事をしなさいと強要されるわけです。もしかしたら健診好きな人たちは管理されるのが好きなのかもしれません。かなりのマゾヒスティックな方々だと思います。そういう快感を理解しないわけではありませんが、そのレベルであれば全然かまわないと思います。ただ現在の健診の使われ方はその一歩先を行っていて国家が国民に健康不安をあおることで健診受診率をあげようとしているわけです。メタボ健診の受診率が低いことが最近ニュースに出ており、我が県はワースト5に入っておりなかなか健全な県だと安心しましたが。健診したって何らかの異常を指摘され、(正常な人でも10%は異常値が出てしまいます)不安をあおられるのがオチで、何らかの経済活動に巻き込まれてしまうのです。不安あっての経済効果、資本主義の基本です。しかし、それによって数字上の健康は買えても精神上の健康は損なわれてしまう気がしますがどうでしょう。
考え方を変えてみましょうか。健診は国のため、企業のためと書きましたが、そもそも健康でいるということは人にできるだけ迷惑をかけないようにすること、と考えることも出来ます。病気にかかると看病してもらったり、心配してもらったり、できることが出来なくなったりするわけで、そうならないように健康を維持するわけです。決して健康というものは自分のためではないと。手術するのも、薬を飲むのも皆さんに迷惑をかけないためにするわけです。私自身はこういう考え方は大好きです。自分のために健康でいたいなんておこがましいもいいとこで、大抵そのために周りの人や環境に多大な犠牲を払わせています。話を戻すと、周囲のための健診と最初から思って来てくださる、これならば納得のいく話です。本人「おれ、この前の健診で異常なしだって(おまえに迷惑かけずに過ごせそう)」「あら、それはよかったね(こいつと一緒にいても健康面では変なことに巻き込まれなさそうだ)」と相手を安心させることが出来ます。もちろん企業あいてにも。健診といっても結構お金がかかります、安心を金で買う構図。さらには健康の定義を「この健診で異常のないもの」と逆転させてしまう巧妙な手口。いやー、健診って本当に恐ろしいものですね。

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