SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

夏日

2024-04-15 09:38:00 | 日記

昨日は夏日。
あまりに暑くて
もう着ることはないと
仕舞込んでいた
タンクトップの
インナーを
引っ張り出しました。
暑さには勝てません。(笑)

冬から夏にひとっ飛び。
あたたかい毛布と
夏ものが混在
しています。(笑)

   ✨✨✨✨✨  

昨夜の
「クラシック音楽館」の
前半は
ソヒエフ指揮の
ロシア音楽でした。



①リャードフ作曲
「キキモラ」作品63

初めて聴きました。


②プロコフィエフ作曲
「ロミオとジュリエット」


重厚な音で
始まった冒頭から
ロシア音楽の
骨太さを堪能。
静かな場面は
隅々まで美しく
細やかな表現に
飽きることなく
音楽は進み
最後の
「タイボルトの死」は
一糸乱れず疾走し
圧巻でした。



   ✨✨✨✨✨

後半は
マウリツィオ・
ポリーニ追悼

①プロコフィエフ
 ピアノ協奏曲第3番

②シューベルト作曲
ピアノ・ソナタD.960
2楽章


③べートーヴェン作曲
 熱情ソナタ
 1楽章

④バルトーク作曲
 ピアノ協奏曲第3番
 指揮ピエール・ブーレーズ
 ピアノ ポリーニ
 ロンドン交響楽団

④ べートーべン作曲
  ピアノソナタ第32番
  第2楽章
2019年9月27日
ヘラクレス・ザール
(ミュンヘン)


べートーヴェンの
最後のピアノソナタの
最終楽章。
「祈り」に満ちた音楽は
最後を飾るのに
ふさわしい音楽でした。













頂上

2024-04-14 09:07:00 | 日記

アルプスへの登山口の
ひとつである
ガルミッシュ・
パルテンキルヘンに
山荘を建てた
リヒャルト・シュトラウス。

壮大な景観を臨みながら
雄大な交響曲を
書きました。

「アルプス交響曲」です。
危険を乗り越えた
登山者が
頂上に立ってみた
雄大な眺めを
あらわした音楽。

「景観(頂上)」
朝比奈隆指揮

(5‘44‘‘)


「指揮者は60歳から」を
座右の銘にした
朝比奈隆先生は
年齢を
重ねられるにつれ
神業のような
演奏を聴かせて
下さいました。

2001年12月29日に
93歳で
世を去られました。




40年ぶりに。

2024-04-13 10:30:00 | 日記

昨日は久しぶりに
デパートに出かけ
「なだ万」で買い物
ふと隣をみると
学生時代の先生が…

お声をかけると
瞬間、怪訝な表情でしたが
すぐに思いだして
下さいました。

88歳に
なられたそうですが
奥さまが倒れられて
車椅子の生活となり
3食全てを作って
おられるとのこと。

カートには
山のような食料品。
2日に一度は
買い物にいらして
いるそうですが
スマホを取りだして
お料理の数々を
見せて下さいました。

奥さまの介護で
大変な毎日だろうと
想像はつくのですが
相変わらずオシャレ。
真っ白になられた御髪に
明るい色のシャツが
とても映えます。
グチ一つない
前向きなお姿に
こんな風に
年を重ねられたらと
思いつつの
帰宅でした。




  ✨✨✨✨✨

天才指揮者
カルロス・クライバー




クライバーは
劇場やコンサートホールで
演奏することが
好きではなく
レパートリーも多くなく
≪気まぐれな完璧主義者≫
呼ばれていました。

彼はレパートリーを
少なく限定し
曲を隅から隅まで
理解するまでは演奏せず
リハーサルの時間を
多くとり
自分の意に
そぐわない仕事は
次々とキャンセルする
スタイルを
取り続けました。
レコーディングも
数少ないのですが
超名演ばかりです。

晩年
クライバーが
どこかのオーケストラを
指揮するというだけで
大ニュースになり
演奏会のチケットの
入手は困難という
プラチナチケット中の
プラチナチケット
でしたが
彼が指揮台に立つまでは
演奏が聴けるかどうかは
わからないにもかかわらず
多くのファンは
彼の演奏を待ち望んで
いました。

2004年7月13日に
73歳で急逝した
クライバー。
クラシック・ファンを
がっかりさせることに
なりました。












料理好き

2024-04-12 07:56:00 | 日記


ヴェルディが作曲した
オペラ「リゴレット」

テノールのアリアの
「女ごころの歌」は
「ミスター・ハイC」と
謳われた
パヴァロッティの
十八番でした。




パヴァロッティが
オペラ歌手引退後に
住んでいた家で
今は博物館です。


スタインウェイが
置かれた
リビングルーム。


  ✨✨✨✨✨

パヴァロッティは
世界のどこに行っても
ホテルの
スイート・ルームで
パスタを調理して
仲間達に食事を
ふるまって
いたようです。



湯水のように
お金を使える
パヴァロッティですが
お金のかからない
簡単な素材で
シンプルで
美味しいお料理を
作っていました。
主に彼のふるさとである
モデナの家庭料理です。



レシピを
見つけましたので
試してみます。
(*^^*)




ヒッチコック劇場

2024-04-11 09:41:00 | 日記

朝晩は気温が低く
昼間は半袖でも
大丈夫なあたたかさ
この気温差は
堪えますね。
お気をつけて
お過ごし下さいませ。


  ✨✨✨✨✨

フランスの作曲家
シャルル・グノーは
高名な画家と
ピアニストの母の間に
パリで生まれました。

大バッハの曲に
美しい名旋律をつけた
「アヴェ・マリア」は
彼の名を高めます。

1859年にパリで
初演されたオペラ
「ファウスト」は
ドラマティックな
ゲーテの原作と
グノーの流麗で
美しい音楽が
パリの聴衆に
受けいれられました。
最終の第5幕に
長大で華やかな
バレエ音楽も入った
名作でした。

「ファウスト」のバレエ音楽
  ベルリン・フィル

(1‘47‘‘)




グノーの管弦楽曲
「操り人形の葬送行進曲」は
1957年から始まった
アルフレッド・ヒッチコックのテレビ・シリーズ
「ヒッチコック劇場」の
テーマ音楽に用いられ
有名になりました。





毎週 観ていましたので
とても懐かしい音楽です。

パリの桜

2024-04-10 12:22:00 | 日記

昨日の朝は
大変な嵐でしたが 
その後
気温が下がり
夜は冬に逆戻り。

気温の変化の
影響でしょうか。
眠くてたまらず
昨夜は10時半に就寝
朝8時まで
まるで冬眠の
クマのように
たっぷり休みました。
(笑)


   ✨✨✨✨✨

パリの
サンジェルマン・デュ・プレ
にある
ガブリエル・ピエルネ広場
の桜です。





   
カブリエル・ピエルネ
(1803ー1947)

フランスの作曲家
あまり有名では
なかったのですが
≪私の子供達のための
アルバム≫と題した
ピアノ曲の第6曲を
管弦楽用に
編曲したところ
大人気になりました。




小太鼓のリズムや
トランペットが愛らしく
エンディングは
遊び疲れた子供が
眠りに落ちるようすが
可愛い作品です。

歴代1位

2024-04-09 09:45:00 | 日記


早朝に嵐の音で
目覚めました。
強風で
咲いたばかりの
桜は花びらを
散らしています。


  ✨✨✨✨✨✨


2019年
英国BBCが調べた
歴史上最大の
ピアニストは
ラフマニノフ
2位はホロヴィッツ
3位はリヒテルでした。


ロシア貴族の家に
生まれたラフマニノフ
12歳の時に
従兄の紹介で
出会ったのは
当代一のピアノ教師で
ニコライ・ズヴェーレフ。
内弟子として住み込み
ズヴェーレフが教授を
つとめる
モスクワ音楽院に
入学します。


住みこみの内弟子は
ピアノ・レッスン
ドイツ語、フランス語
演奏会、演劇、オペラ鑑賞
日曜日は一流音楽家との
晩餐会付きでしたが
費用は全て先生持ち。
朝は6時起床で
朝食前に3時間の
ピアノの練習の
スパルタ教育でした。


その甲斐あって
卒業試験では
大金メダルを
授与されます。




ラフマニノフは
作曲家、指揮者として
だけではなく
ピアニストとしても
超一流であったのは
大きくて柔軟な手の
持ち主であったからです。





身長は198cm
手のひらは30cm
ありました。
日本人男性の平均は
18cm程度なので
どれほど大きいか
おわかり頂けると
思います。


ラフマニノフ自身の演奏
ピアノ協奏曲第2番


春爛漫

2024-04-08 08:52:00 | 日記











桜が満開で
街はピンクのヴェールに
包まれたようですね。


昨夜のクラシック音楽館
フランス音楽特集でした。


指揮 トゥガン・ソフィエフ

① バレエ音楽
  「カルメン組曲」
  ビゼー作曲
  (シチェドリン編)
弦楽器と打楽器を
使っての演奏で
とてもカッコ良く面白い
ボレロも楽しかった。





②  「マ・メール・ロワ」
  管弦楽版

楽しみに待っていました。
室内楽的な演奏で
夢の世界を
描きだして
くれました。



③バレエ音楽
 「ラ・ヴァルス」

ヨハン・シュトラウスの
ような美しいワルツでは
ありません。
戦争の悲惨な体験もある
ラヴェルが
当時の崩壊しそうな
ヨーロッパを
描きました。
不穏な音で始まり
次第に賑やかで明るい
ワルツになりますが
ワルツのかたちが
崩れていきます。

マ・メール・ロワとは
対照的な作品を
並べての演奏でした。

指揮者や
オケのメンバーの
一人一人の表情を
つぶさに観れる
ゆたかな時間です。

   ✨✨✨✨✨


その後
「マ・メール・ロワ」の
ピアノ連弾バージョンを
聴かせてもらいました。

同じ曲ですが
全く趣きが違い
こちらはこちらで美しく
ラヴェルの
精緻な構造に
叙情が散りばめられて
いました。

最後は
「鏡」ラヴェル作曲より
「鐘の谷」

素敵な演奏を
たっぷり聴いて
熟睡?爆睡した
夜になりました。



天国と地獄

2024-04-07 07:26:00 | 日記
オペラの台本は
大体がいい加減。

オペレッタ(喜歌劇)
になると奇想天外な
ストーリーに
呆れることが
あります。

オッフェンバック
(1819ー1880)

フランス最高の
オペレッタ作曲家です。

1819年にケルンで
生まれましたが
14歳の時に
父は彼をパリに
連れてきました。

ここで彼は
ロッシーニによると
「シャンゼリゼ通りの
モーツァルト」 
になってしまいます。

彼は30歳の頃には
コメディ・フランセーズな
作曲家兼指揮者に
なります。

30代の終わりに書いた
≪天国と地獄≫は
ギリシャ神話を
パロディ精神いっぱいに
描きました。

音楽院長のオルフェオは
妻のエウリディーチェが
地獄に連れ去られたのを
いいことに
浮気に精を出しますが
世論と
名乗る人物の説教が
あまりにうるさいので
妻を戻して欲しいと
天国に直訴しますが
天国も家庭争議の
真っ最中!


序曲も
ハチャメチャの話に
ふさわしい陽気な音楽で
最後に出てくる
「カンカン」踊りは
どなたにもおなじみの曲。

日本では
運動会の定番に
なっています。



天才中の天才

2024-04-06 18:38:00 | 日記


ヤッシャ・ハイフェッツ


20世紀を代表する
ヴァイオリニストであり
「ヴァイオリニストの王」と
呼ばれていました
幼い頃から
ヴァイオリニストの父が
練習中に音を外すと
泣き出したエピソードが
あります。


ベルリンの演奏会で
エフレム・ジンバリストと
共に
偶然に居合わせた
フリッツ・クライスラーは
13歳のハイフェッツの
演奏を聴き
「私も君もヴァイオリンを
叩き割ってしまった方が
良さそうだ」と評価した
エピソードも残って
います。


ハイフェッツの
あまりの天才ぶりに
同時代の多くの
ヴァイオリニストが
絶望したと
言われています。
彼の演奏は
それほど凄まじく
ハイフェッツへの
劣等感から
「ハイフェッツ病」が
流行したそうです。



元首相の
小泉純一郎氏は
御著書に
『12歳の時に
ヴァイオリンを始めて
家でも学校でも
毎日 一生懸命練習して
高校生まで
続けたのだが
ハイフェッツの
録音を聴いてがっくりした。
自分の下手さかげんに。

ヴァイオリニストの中の
ヴァイオリニストといえば
ハイフェッツではないかと
思っていたが
この世界的な
ヴァイオリニストの音と
自分が習いながら
やっている音の
能力の差は
いかんともしがたく
どう真似をしても
この音は
出ないのだから
もうやめて
聴くのを専門にしよう
と思った』と
書いておられました。



奥方次第!

2024-04-05 16:26:00 | 日記



ウィーン出身の
フリッツ・クライスラー
(1875〜1962)

「愛の喜び」「愛の悲しみ
「美しきロスマリン」の
親しみやすい
名曲の作曲と
ロマンティックで
情緒溢れる演奏で
20世紀前半に
ジャンルを超えて
愛された
名ヴァイオリニスト
でした。

7歳で
ウィーン音楽院に入学
10歳で首席で
卒業します。
12歳でパリ音楽院も
首席で卒業後
世界で活躍しました。

そんな彼が
26歳の時に
船旅の途中で
聡明なアメリカ人の女性
ハリエット・リースと
出会い
船内で婚約します。

まるで映画「めぐり逢い」
ようですね。


翌年 2人は
ニューヨークで
結婚式を挙げました。




独身時代のクライスラーは
酒やギャンブルが大好き。
音楽家でありながら
大の練習嫌いでした。
ハリエットは
クライスラーに対して
決められた時間まで
部屋に閉じ込めて
練習させるなど徹底して
クライスラーの生活を
厳しく管理し続けました。
対外的には
ギャラの値上げ交渉を
行うなどして
結果的に
クライスラーが
音楽家として
大成することに
なるのです。



「愛の悲しみ」
イツァーク・パールマン



楽器や美術品の収集家
しても知られ
お金に困っている
若い演奏家に
自分の持っている楽器を
気前よく分け与えるなど
陽気で気さくな人柄と
慕われました。

猫さん集合

2024-04-04 08:10:00 | 日記


スマホからの画像投稿の
不具合が解決するのは
4月8日になるそうです。
首をなが〜〜くして
待っています。

   ✨✨✨✨✨

ドミニコ・スカルラッティ
(1685ー1757)


マリア・バラバラ妃に
宛てた手紙に
「一匹の猫が私の部屋の
窓枠に飛び上がり
チェンバロの上に
飛び乗ると
優雅に鍵盤の上を
歩き始めたのです。
私はそのメロディーに
飛びついて完成した曲を
≪猫のフーガ≫と
名付けました」と
書き送っています。


スカルラッティ 
「猫のフーガ」




ルロイ・アンダーソン
(1908ー1975)
「ワルツィング・キャット」

アメリカの作曲家で
ハーバード大学で
音楽を学びました。

「トランペット吹きの休日」
「シンコペィテッド・クロック」
「タイプライター」などの
作品があります。

「ワルツィング・キャット」

とても明るく可愛い作品で
最後にワン君に
吠えられます。(笑)




イスラエルの作曲家
ノーム・オックスマン

エルサレムで
音楽を学びました。
音楽と絵の才能を
見事に融合させた作品に
シンフォニー(Symphony)
をもじって
シンパウニーズ
(Sympawnies)と
名付けました。

Sympawny No.4
(0‘39‘‘)

ピアノ演奏でトッカータ
(1‘35‘‘


弦楽四重奏
(1‘01‘‘) 


チョコレートが高騰する?

2024-04-03 08:57:00 | 日記


チョコレートの起源は
紀元前1900年の
古代マヤ文明で
彼らはカカオから
ビターな飲み物を
作り出しました。
この飲み物は
1544年にドミニコ会の
宣教師に伴われた
マヤの貴族達の
スペインの
フェリペ皇太子への
献上品でした。


作曲家の
スカルラッティは
1729年に
バラバラ妃に随伴して
スペインに
移住しましたので
チョコレートを
飲む習慣に馴染んだ
ようです。



ホットチョコレート
 のカップ


1712年のロンドンで
活躍していたヘンデルは
ホットチョコレートを好み
使用人が毎朝
運んでいたという
エピソードが
残っています。




ショパンの
大好物でもあり
ジョルジュ・サンド作る
「ショコラ・ショー」に
毎朝、スミレの砂糖漬を
添えて楽しみました。





そのチョコレートが
地球温暖化のために
2050年には
食べられなくなる
かもしれないとの
ニュースが流れました。


サティ作曲
「アーモンド入り
チョコレートのワルツ」



洋上の小舟

2024-04-02 14:28:00 | 日記


昨日も
あたたかい一日。
午後は1時間ばかり
草抜きでした。
   ✨✨✨✨


モーリス・ラヴェル
カクテルが
お気に入り
自宅でパーティを開き
カクテル片手に
長電話を楽しむ
モダンな生活だった
ようです。





ラヴェル作曲
「洋上の小舟」

波と小舟のイメージは
葛飾北斎の冨嶽三六景の
「神奈川沖浪裏」から
得ています。





この浮世絵には
大波に翻弄される
3隻の舟が小さく
描かれていますが
ラヴェルは
富士山ではなく
この舟の方に
目を向けました。



若い頃にかいた
「水の戯れ」は
精緻な水の描写でしたが
「洋上の小舟」は
舟を描いたのではなく
周囲や社会に
流される人々の
悲しさや愚かしさや
可笑しさを
描いています。

Hello April

2024-04-01 10:06:00 | 日記


今日から4月ですね。
昨日のあたたかさで
桜が一気に
開花しました。


先週の水曜日から
画像が入らなく
なりましたが
編集画面も
だんだん使いづらく
なっています。💦💦

PCからは可能ですが
スマホ投稿に
慣れている身には面倒💦
早く解決しますように。

YouTubeは
取り込めます。


ドビュッシー作曲
「春」


この曲はドビュッシーが
ローマ賞を受賞して
ローマに滞在していた
若い頃の作品です。

ボッチチェリの
「プリマヴェーラ(春)」
からインスピレーションを
得ています。